第9話 オマハ・ビーチ
ロケット発射場で経営陣が額を集めて評価を決め兼ねていた男は、ちょうど同じ頃、カルフォルニアのホテルで大学院生とランチという名の相談を続けていた。
「作れば、それで終わりってわけじゃないんだ」
すっかり人が減ったレストランに、マイクが兄に強調する言葉が響き渡る。
「金は用意する。衛星だって作れそうだ。打ち上げもできるだろう。他に何が必要なんだ?」
ジェイムスは不思議そうに訪ねた。
金融屋の起業支援は、金を用意して適切な人材を配置すれば基本的に終わりである。
環境を整えるまでが仕事で、仕事のやり方については知っている人間を連れてくれば良い。
うまく行かなければ経営者を入れ替える。
投資と撤退。それ以上に何が必要だと言うのか。
という顔をしたジェイムスに、マイクは辛抱強く語りかけた。
「兄貴、デブリっていうのは物凄い高速で飛んでるんだ。それは知ってる?」
「知識としては知っているつもりだが」
「知識ね・・・」
マイクは、エミリーが食べ散らかした皿に残っていたパンくずを指先で摘むと、ジェイムスに投げつけた。
「・・・なにをする」
胸についたパンくずを払おうとするジェイムスに向かって、マイクが告げた。
「兄貴は今ので死んだよ。胸に大穴が開いて。即死だね」
ぴくり、と眉を潜めたジェイムスは、パンくずを指先でつまみ上げると、目の高さにあげた。
「これで死ぬのか」
「そうだね。人工衛星の塗料が剥がれたものにあたっただけでも大穴が開くんだ。デブリはーーー軌道によって速度は違うけれどーーー大体が秒速7キロから8キロで飛んでるんだ。ピストルの弾で秒速0.3キロから0.4キロのはずだから凡そ20倍の速度だね。
衝突のエネルギーは速度の2乗に比例するから、400倍の衝撃があることになるね」
「44マグナム弾の400倍か・・・」
なぜそこで44マグナムの話が出るのか。
男心のわからないエミリーは、男たちが拳銃の衝撃力(パワー)の持ち出すと、なぜ44マグナムの話になるのか不審に感じたが、この際はそれを利用することにした。
「あたしの衛星にぶち当たった弾は、もう少し大きかったみたいね。一発当たって、それでロケットが全部終わり。仕方なくロケットは大気圏に誘導して廃棄処分。あたしの研究者人生も燃え尽きた、ってわけ」
ジェイムスはパンくずを見つめ、次に高級ホテルから見える青空を見上げた。
何を想像しているのか、エミリーには理解できる気がした。
あの青空の上、大気の上を44マグナム弾の400倍のエネルギーを持つ銃弾が飛び交っている様子を懸命にイメージしようとしているのだろう。
エミリーの予想は、2分ほどしてジェイムスが発した言葉によって裏付けられた。
「なるほど。オマハ・ビーチだな」
オマハ・ビーチ。第二次対戦時、アメリカ合衆国も参戦した上陸作戦で最大の激戦地となり多数の犠牲者を出した戦場の名前である。
戦車の援護もなく上陸用舟艇で臨んだ兵士達は、隠れる場所もない砂浜でドイツ軍トーチカからの機関銃の銃撃で藁人形のように為す術もなく薙ぎ倒されたという。
「いい例えね。それ、プロジェクトの名前にしましょう」
エミリーは、大きな唇をニンマリとさせた。
宇宙デブリ、ごみ問題などと婉曲に専門家ぶって表現するから、大衆に事態の本質が伝わらないのだ。
今、地球軌道で起きていることはオマハ・ビーチで起きているのと同じ、無差別な銃撃である。
軌道上に打ち上げられた衛星は、それら無数に飛び交う銃弾で太陽電池パネルに穴があけられたり、観測機器を撃ち抜かれたりして、次々に戦死を遂げている。
それが被害金額の割に大きく取り上げられないのは、衛星が人間でないから、という一点だけが理由に過ぎない。
「実体はオマハ・ビーチより性質(たち)が悪いよ。地球上なら銃弾は落下して止まるけど、軌道上では落下し続けた先の地面がない。何かにぶち当たるまでは永遠に落下を続けるんだ。
どんなに確率が低い宝くじでも、永遠に買い続ければいつかは当たるのと同じ理屈さ。地球軌道は近いうちに戦車以外は使えなくなるよ」
珍しくマイクの語気が強い。
マイクがジェイムスとエミリーに向けている情報端末のシミュレーションによれば、70年後には事態が急速に悪化するという。
「このシミュレーションの信頼度は?」
「軌道計算学会の論文から拾ってきたから、たぶん正確。ただ前提条件は今のペースで宇宙開発が進んだら、となってるはずだから、こうはならないかも」
マイクが専門分野で態度を保留するのは珍しい。
「なにか気になる点があるの?」
エミリーの問いにマイクが口を開こうとする前に、横合いからジェイムスが断言した。
「簡単だよ。デブリが多くなれば衛星にデブリバンパーが必要になって重量が増し、衛星価格も打ち上げ価格も上昇する。軌道上の衛星の寿命が短くなって衛星投資の効率が悪くなる。行き着く先は、宇宙ビジネスの死だよ!物理的限界の前に経済的限界の壁にぶち当たってね!
いやはや、まったくジーザス・クライストとしかいいようがないね。これは大した追い風だよ。そうじゃないか?」
言いたいだけのことを言い放つと、ジェイムスは周囲の視線に構わず冷めたコーヒーをすすった。
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