第6話 プリティ・ウーマン?
VR会議室からログアウトし、眼鏡(グラス)の電源が切られると現実の大学の会議室が視界に戻ってくる。
マークスというエネルギーに満ちた男がいなくなった解放感からか、エミリーは知らず溜息を吐いていた。
自分でも意外なことだが、かなり緊張していたらしい。
「おつかれ」と声をかけてくるマイクの声に現実に戻ってきた、という安堵感を覚える。
まったく夢のような体験だった。
胡散臭い金融屋(かも)から数万ドルの研究費を引き出すはずの会議が、なぜか合衆国のロケット打ち上げビジネスでトップーーーつまり世界のトップということだーーーを走るカリスマ起業家と金満証券会社の巨大な陰謀の中に投げ込まれることになったのだから。
これ、マイクのしかけたVRの悪戯じゃないわよね。
思わずジロリと睨んだが、気弱そうに微笑むマイクの顔を見れば、それだけはない、と首を左右に振らざるを得ない。
あまりに強烈な体験をすると、現実感を失ったり、陰謀論に走りたくなるものだ。
そして、先程までの体験が夢でなかった証拠の男が目の前に存在している。
「とりあえず、コーヒーでも飲んで今後の予定を話し合わないかい?豆の美味い店を知っているんだ」
マイクの兄である金融屋(げんじつ)が笑顔を浮かべてきたので、エミリーも犬歯を見せて微笑み返してやった。
「そうね。でも、あたしはコーヒーよりチーズバーガーがいいわね。ビーフもトマトも血が滴るぐらい新鮮で分厚いやつで」
「仰せのままに」
ジェイムスはエミリーの威嚇に軽く肩を竦めると、先導するように歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジェイムスの運転で真っ青なカルフォルニアの空の下、真っ直ぐな道路をひた走る。
相当な速度が出ているはずだが、電気モーターで駆動するテスラのコンバーチブルは、タイヤとアスファルトが接する音以外の騒音を出すことはない。
「いい車に乗ってるわね!」
風の音に負けないよう、大声で叫ぶ。
この男はまるで趣味ではないが、車(テスラ)の趣味だけは褒めてもいい。
「ああ!新しい車ってやつには目がなくてね!こいつで5台目だ!」
なるほど。いかにも成金な行動というやつだが、最新の機械は嫌いじゃない。
電動で稼働するレザーシートや関連情報が表示されるスマートガラスもなかなかいい。
「ここ、ホテルじゃない」
30分ほどのドライブの後、ジェイムスの運転する車が停まったのは宿泊費が高価なことで有名なホテルだった。
「ああ。ここのスイートはよく泊まるんだ。いいシェフがいてね。ルームサービスでとってもいいんだけど、それは嫌だろうから、今日は上階のレストランで我慢しよう」
ジェイムスはホテルのドアマンに車のキーを預けると、スタスタと受付(レセプション)をスルーして奥のエレベーターへと歩いていく。
「ちょ、ちょっと。あたしもマイクも、こんな恰好なんだけど」
高級ホテルのレストランには、厳格なドレスコードがある。
貧乏大学院生の2人は作業着とワークブーツという格好でついて来たため、一歩間違えるとホテルの電気工事に来たブルーカラーにしか見えず、明らかに周囲から浮いていた。
「ああ。衣装ならレンタルしてくれるよ。それも任せて」
レストランの手前の階でエレベーターを下りて、ホテルの従業員についていくように促される。
ちょっとした上着でも貸してくれるのかと思えば、何十着もドレスのかかったドレスルームに通されて、別の担当者に今まで着たこともないような高価なドレスに着替えさせられる。
おまけに足首が折れそうな背の高いピンヒールを履かされて、デカいイヤリングにブレスレットまでつけられて、エミリーはようやく解放された。
背中の開いたピッタリしたドレスを着せられたせいか、水着を着ているようで落ち着かない。
おまけに視線がいつもより高い。180cmを超える背丈に、さらに高いヒールを履いたせいで今や慎重が2メートル近くになっているはずだ。
スタイル自体は悪いとは思わないけれど。と、エミリーは柱の鏡に写った自分の格好を評価する。
「お似合いですよ」とコンシェルジュは見上げつつ褒めてくれたが、似合うかと言われれば疑問がある。
ちょっとばかり肩幅が広くて、上腕の筋力が盛り上がっていて、意志の強そうな太い眉と大きな唇が、チャームポイントというには主張が強すぎる。
「これは驚いた。ミス・エミリー、とても似合っているじゃないか」
マイクを連れたジェイムスが、こちらを見つけて、下から見上げるようにして褒めてくる。
「あたしはプリティ・ウーマンにはなれないわよ。ジュリア・ロバーツって柄じゃないし」
映画のジョークで応じると、ジェイムスも軽口を返してくる。
「そうですね。自分もリチャード・ギアになるには、ちょっと背が足りないかな」
ちょっと、って言った?
片方の眉が勢い良くあがるのを感じたが、バーガーを奢ってもらえなくなると自力で店を探すことになる。
すっかり空腹の今、それはとても面倒くさい。
あたしは自重できる女だもの。余計なことは言わない。と自己評価を高めめつつ黙っていると、マイクが後ろから声をかけてきた。
「エミリー、すごい背中だね」
「はっ倒すわよ」
低音(ドス)の効いた声に、周囲の男たちの足がとまった。
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