第5話 ケスラー・シンドロームは起きている

マークスは狂暴な笑顔とでも表現したくなるような、怖ろしいと同時に惹きつけられる表情を浮かべていた。


これがカリスマ起業家の本当の顔かしら。などとエミリーは思う。

自分の身近なーーー主として研究室にいるような男性達ーーーとは全く異なるタイプだ。


「正直言って、金融屋のやり口は気に入らん。だが、敵という言い方は気に入った。確かに、連中は宇宙開発の敵だ」


マークスの発言に、ジェイムスが言葉をかぶせる。


「奇妙に聞こえるかもしれませんが、世界には金が余ってるんです。行き場を失った金がジャブジャブとネットの中を行き交っています。それを正しい才能、正しい場所(ビジネス)に流し込んでやるのが、自分のような金融屋の仕事です。


世界中から金を集めましょう。我々が金を集めれば、その分、敵の金がやせ細ります。いっそのことビットコインで投資できるようにしてもいいかもしれません。中国の資金も取り込んでしまいましょう!」


「中国か」


マークスは、笑顔のままでさらに歯をむき出しにした。


「連中の杜撰な打ち上げでデブリの数は猛烈に増えたぞ。昔はソ連が目障りだったが、今は中国だ。国策だが何だか知らんが、連中はゴミ掃除を知らんと見える」


「ですから!是非とも中国人に投資させないといけません」


ジェイムスは動じない。


「だが、ビットコインで投資する連中は宇宙ビジネスに投資する連中とは違うだろう。あそこの宇宙開発は国家主体で国の予算をつぎ込んでいる。民間投資主体の合衆国(うち)とは事情が違う」


「だからいいんですよ。金に国境はありません。利益は世界の共通語です。敵の中に別の利益団体を作れば、いい加減な打ち上げをすると損をする集団を作り出すことができます。中国で大金を投資するのは、政府に影響のある高官も多いですからね。プレッシャーになるはずです」


敵の中に敵を作り、味方を増やすという方法は経営の中でも政治に類する方法だ。

生粋の起業家として人に頭を下げることなくやってきたマークスにとって政治は苦手な分野でもあり、即答できない事柄でもある。


「ふうむ」とマークスが考え込んだタイミングを捉え、それまで置いていかれた形のエミリーが口を挟んだ。


エミリーには金融やビジネスに関する金融知識こそないが、デブリに関して何か画期的な枠組みが討議されていることを理解するだけの知性はあったし、金融特有の胡散臭さが宇宙ビジネスを侵食しようとする危機感もあって発言せずにはいられなかったのだ。


「ちょっといいですか?その、変な債権とかいうのを作って買う人がいるとしても、そもそも何の権利があって発行するんですか?宇宙にある衛星群は、あなたのものじゃないでしょう?」


「ふうん、そこからですか。なるほど」


ジェイムスの自然に人を見下したような態度にエミリーはカチンと来たが、問題を理解したいという好奇心が怒りを上回ったのでぐっと拳を握ってこらえることができた。


「まあいいでしょう!頭の堅いお偉方に対するプレゼンの予行だと思って答えます。そうですね、二酸化炭素取引については知っていますか?」


「一応のニュースぐらいは。二酸化炭素排出量を先進国と後進国の間で有料で取引する、とか」


「そもそも、なぜ二酸化炭素で取引が可能なんだと思います?二酸化炭素はどこの国のものでもないでしょう?」


「それは条約で決まっているからでしょ?地球温暖化対策も条約とか議定書とかで」


「なら、デブリと二酸化炭素の本質的な差はなんだと思います?ちなみにデブリについても国際条約で規制はされています。地球温暖化と地球軌道の汚染、どちらも本質的には同じ問題に見えませんか?」


「共有地(コモンズ)の悲劇、と言いたいわけね。でも、それって少し前提条件が違わないかしら?」


エミリーは有名なゲーム理論の例を引き合いに出した。

共有地の牧草は牛によって食べつくされる。


「宇宙開発については、世界的な団体もあるし各種の規制もある、と聞いています。それでもロケット技術は年々進歩しているし、参入する民間企業も増えている。状況は近づきつつあるとは思いませんか?現実に軌道は汚れ続けているのです」


「軌道が汚れてるのなんて、言われなくても知ってるわよ」


宇宙ロケット打ち上げ技術は中国やインドのような先進国入りを果たそうとする国家や、欧米の民間企業の参入により、一時の停滞が嘘のように活況を取り戻している。

マークスの会社も、一段目ロケットの回収技術とメタン使用した推進剤によって高い打ち上げ能力とコストを武器に躍進したのだ。


一方で、そうした競争と発展は敗者と汚染を生む。

規制緩和という名の元に、簡略化された審査で無理な打ち上げを行う国もある。

その結果が軌道上のデブリの発生数の増加に跳ね返っている。


「宇宙軌道というのは、今や二酸化炭素排出権に並ぶ貴重な公共財です。その価値を正しく査定し、毀損する団体に対しては法的、ビジネス的に手を打つ必要がありす。それも、一刻も早く」


「勝手に、ね」


「そうです。勝手に金を集めて、勝手にやります。政府のお偉方に任せていても解決することはありません。タグ付けは、いわば共有の牧草地に侵入している牛の全てに名札をつけるようなものです。牛が食べた牧草分についてはオーナーに賠償の義務があることを思い知らせなければなりません」


「ケスラー・シンドロームね。確かに早く手をうたないと手遅れになるかもしれないけど・・・」


軌道上のデブリがデブリに衝突することで増えていく現象をケスラー・シンドロームという。

国際条約で打ち上げ時のデブリが抑えられるようになった今でも、実はデブリは増え続けている。

ケスラー・シンドロームは理論上の現象ではなく、今も地球上の軌道で起きている現実なのだ。


「ですから、デブリ除去は政府の問題解決を待つのではなく、民間市場の問題として再定義する必要があるのです。最速で最善の問題解決をできる才能(タレント)に資金をつぎ込む。そのための手段が特別な債権の発行です」


「ご立派な言い草ね。その資金を集めたりつぎ込んだりするのに、会社(ゴールドマン)が暗躍するんでしょう?」


いかにも、金融屋らしい言い草ね。


エミリーは不快さに鼻の頭にシワを寄せたが、今のところ論理に穴は見当たらない。


「ええまあ。優れたアイディアと専門知識には相応の手数料をいただきます」


なんとか、この取りすました笑顔を浮かべる小男をへこませてやりたいものだが。

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