3章:インドは世界を追っている

第17話 あの日の太陽を追って

それは、インドのどこにでも広がる貧民窟でのこと。


小さく痩せっぽっちのシャルマは悔しさと悲しさに唇を噛み締め、懸命に涙を堪えて夜道を歩いていた。

ろくに舗装もされず該当も疎らな道路は腐った臭いのする水たまりがいたるところに出来ていて、涙の滲んだ瞳で下を向いて歩いていると、涙がこぼれそうになり、それがまたシャルマを惨めな気分にさせる。


今日も稼げなかった。


シャルマの家は貧しい。数えで5歳でしかないシャルマも小さな手で近所の荷運びの手伝いをしたり、観光客の案内や同情を引いたりして小銭を稼がなければ暮らしが成り立たない。

それでも小さなシャルマの手は非力で、大人に支払いを誤魔化されたり、せっかく稼いでも大きな子に乱暴に取り上げられたりもする。


こんな毎日が死ぬまで続くのだろう。


シャルマは小さな胸を人生への諦めと絶望で一杯にして、すっかり暗くなった家路を歩き続けていた。


その時、世界に強烈な光が差した。


光の次には、衝撃波と轟音と暴風がやってきて、貧民窟のトタン屋根をばたつかせ、幾つかを吹き飛ばした。


夜を乱暴に引き裂いた光は、轟音と煙を吐きながら高く、ひたすらに高く天へと昇っていく。


あれは、太陽スーリヤだ。僕は太陽を見ている。


シャルマはぽかんと口を開けたまま、太陽が昇っていくのをひたすらに見つめていた。


◇ ◇ ◇ ◇


十数年後、シャルマの家は少しだけ豊かになっていた。


成長するインド経済のおかげか、建設現場の一労働者であった父が中古のトラック一台で始めた輸送業が大きく伸長し、今では大型の輸送トレーラー十数台を揃える企業になっている。


貧民から抜け出し、めでたく中間層への仲間入りをしたシャルマ一家はデリー郊外の壁で囲まれた小奇麗なマンションへと居を移した。

そのマンションのリビングでは、ちょっとした家庭争議が起きている。


「お前は才能がある!なぜインド工科大学へ行かないんだ?」


「そうよシャルマ、考え直して」


今年、後期高等教育を終える予定のシャルマの進路問題である。


シャルマは背はあまり伸びなかったが、真っ直ぐで優しげで、そして非常に賢い若者に成長していた。


数学と物理に抜群の才能を示し、2年の飛び級を経験しているシャルマは、当然のように国内最高峰の大学であるインド工科大学へ進むもの、と周囲も両親も期待を集めていた。


インド工科大学へ進んで将来はアメリカのIT企業に入社し、帰国してインドで起業し、金持ちになる。


それが生まれの良くない層のインド人がエリート層に加わるロールモデルであったし、優秀な子供を持つことのできた両親が期待する進路でもあった。


ところが、一人息子のシャルマはそうした進路を否定するのだ。


「僕は、プネ工科大学へ行こうと思う」


強い口調で言い切るシャルマに、両親は困惑した。


「プネって・・・ムンバイでしょう?なんであんな遠いところに」


インド中央北部に位置するデリーと、インド南部の西岸に位置するムンバイとでは1500km近くの距離がある。


「列車で行けば1日かからない。そこまで遠くないよ」


「それにしたってお前・・・」


「もう、決めたんだ」


シャルマの強い決意を見て取った母親は頭を振って説得を諦めると、その役を夫に譲った。


「なぜ、プネなんだ。プネ工科大学も悪い大学じゃないが、インド工科大学では何がダメなんだ」


すっかり恰幅の良くなった父の目を真っ直ぐに見つめて、シャルマは答える。


「プネ工科大学には、衛星打上の実績がある。インド工科大学に行ってIT技術者になるより、僕はロケットをこの手で打上げられるようになりたいんだ」


幼かった頃、下を向いていた自分の目を覚まし、世界を光で照らしてくれた太陽のことをシャルマは忘れていなかった。


シャルマの父は目を閉じて黙考後、何度も無言で頷いた後「金にはならないが、名誉にはなる」と、シャルマの選択肢を受け容れた。

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