第21話 生き抜くための方法
シャルマには、インターンに来てから始めた習慣がある。
早朝、誰よりも早く起きること。
周囲を軽く散歩して、朝日のあたるベンチに陣取ること。
ノートを広げて、今日の研究計画を練り直すこと。
規則正しい生活は、頭の働きを保つ上で必要であるし、寮暮らしでは一人になれる時間は貴重である。
仮説や手順を頭の中でじっくり整理・検討していると時間はあっという間に過ぎる。
「シャルマ!そろそろ時間よ!」
快活な声が自分の思考に没頭していたシャルマを現実に引き戻した。
そしてアーシャと一緒に朝食を摂ること。非常に大事な習慣である。
今日もインターン生シャルマの一日が始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
入口で胸から下げたIDをチェックし、技術職員専用の大食堂に入ると朝食をとる職員達で7割がた席は埋まっていた。
「ほら、早くしないと座るところがなくなるわよ!」
アーシャに促されて、天井まで続く大窓側で打ち上げ場が一望できる席に座わると、地元雇用のウェイターが注文を取りに来る。
「あたしは大陸式(コンチネンタル)、紅茶で」
「僕は地元式(ローカル)、チャイで」
海外帰りの職員も多いせいか朝食のメニューには欧州風のトーストやコーヒーなども備えられている。
「シャルマは朝からよく食べるわね」
朝からドーサ(クレープのようなもの)を山盛りにしてサンバル(豆と野菜のカレー)をつけて食べるシャルマをアーシャは面白そうに観察する。
「うーん、なんだか懐かしい味でね。それに、ここに来てから、よくお腹が空くんだ」
「きっと充実してるのね。それで、配属先の方はどう?」
「そりゃあ大学とは全然違うよ!周りの人もすごく優秀だけど、何より設備が全然違う!真空試験でも、耐熱試験でも、振動試験でも、とにかく申請すれば、その日のうちに実験できるんだ!まあ、その小さい部品だからってのもあるけど」
研究の話になるとつい、声が大きく話が長くなる。
そんなシャルマの話にも、アーシャはきちんと相槌を返してくれる。
「衛星分離の機構、って言ってたわね。大事な部品ね」
「うん。そう思ってるよ。ところでアーシャはどんなことをしているの?」
シャルマの問いに、アーシャは悪戯っぽい表情で
「もちろん、エアコンの効いた部屋でキーボードを叩いてるのよ」
とバンガロール研修でのジョークを返してシャルマを笑わせた。
ひとしきり笑い、それを納めた後で説明を始めようとしたアーシャは
「うーん、広い意味で管理(マネジメント)なんだけど説明しにくいわね・・・」
ちょっとお行儀悪いけど、と氷水の入ったコップから氷をつまみ上げると、紅茶の中にぽちゃりと入れた。
「氷を見ててね」
ティースプーンを使って紅茶をかき混ぜ始めると、氷がどんどんと小さくなっていく。
アーシャは器用に紅茶をかき混ぜ続け、氷が完全に紅茶に溶けて見えなくなった。
「こうやって、氷がカップにぶつからないようにする、管理(マネジメントよ)」
「それってどういう・・・」
説明に質問を重ねようとすると、アーシャは、あっ、と声を上げて立ち上がった。
「ちょっとあたし行かなきゃ!朝の会議(ミーティング)があるの忘れてたわ!」
そうして、バタバタと荷物を持って去り際に
「あ、それとシャルマ、今日の夜時間ある?若手の自主勉強会があるのよ。参加しない?後で連絡するから!」
と手を振って去っていった。
後には、呆然としたシャルマと、氷が溶けて微温くなった紅茶とティースプーンだけが残される。
その日、シャルマは(アーシャは一体何を言いたかったのだろう)と思い悩みながら一日を過ごすことになった。
◇ ◇ ◇ ◇
シャルマはインターン生なので、18:00には勤務は終わる。
長時間かかる試験もあるが、そうした設備の運用者は専門に用意されているのでインターン生のシャルマが残っていてもやれることはない。
20:00から勉強会、ということなので食事とシャワーを済ませて大急ぎで指定の会議室に行くと、既に20名程が車座になって席を並べており、その中にはアーシャの姿もあった。
隣に座ったアーシャが教えてくれるところによれば、施設の性格上、外部との通信が制限されていることもあって、こうした顔を付き合わせる形での勉強会というのが、ここでは盛んらしい。
今日の勉強会には、別の部署から講師を呼んである、という。
中央に進み出た男は、30歳ぐらいだろうか。若手の参加者たちがエンジニアらしく比較的ラフな格好であるのと比べて、冷房が効いているとはいえ、20:00を過ぎたと言うのに三つ揃え(スリーピース)のスーツにネクタイまでキッチリと締めた格好をしているので、すぐにそれとわかった。
「皆さん、私はジョーイです。大学の専攻は化学、院はLBSを出ています」
男が自己紹介をはじめたが、シャルマは単語を聞き咎めて小声でアーシャに「LBSって何?」と尋ねた。
「ロンドン経営大学院(ビジネススクール)よ。すっごいエリートね。あたしも大学を卒業したら行こうか迷ってるの」
海外の大学院!おまけにビジネススクールなどに行ったら、何千万ルピーの学費がかかるのだろう。
このミスター三揃い(スリーピース)は、ミーシャと同じように途轍もない金持ちの生まれに違いない。
そう言えば、彼の話す英語も綺麗な英国語(クイーンズ・イングリッシュ)だ。
住む世界が違いすぎて、嫉妬する気にもなれない。
それにしても、一見してビジネス畑にしか見えないこの男が、いったい何を教えてくれるというのだろう。
ロケットにかかる費用の計算方法でも憶えろというのだろうか。
シャルマが不思議がっていると、男は装置(デバイス)を操作して壁に”本日のお題”とやらを映し出した。
STRATEGY FOR SURVIVAL
サバイバル?これから若手の自分たちを解雇する話がある、とでも言うのだろうか?
ざわめく参加者たちに向かって、ジョーイは厳かに告げた。
「私は、これからインドのロケット産業が生き抜くための話をします」
ストラテジー・フォー・サバイバル。
即ち、生存戦略、である。
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