第35話 大きく帆を広げて

小林は、あたりに散らかっていたA4用紙を引き寄せ、裏に小さな四角形を描くと四隅に長い腕と間に張られた膜を付け足した。


「・・・凧?」


「そう!近いね。切手衛星チップサットの姿勢制御に、最初は太陽帆が使えないかと思ったんだ」


「太陽帆。光子の圧力を利用するのか。いいアイディアだが、ちょっと地球に近すぎるな」


太陽からは燃焼ガスや核融合で放出される光子が圧力としてうすく広く放射されている。

俗に太陽風などと言われているそれを、文字通り風のように帆を広げることで利用するのだ。

推進剤を使わない画期的な推進方式として一部の先進的な観測衛星などに採用されている。


だが、今回のデブリ監視衛星の姿勢制御に用いるには問題がある。


「だけどね、太陽との角度を一定に保てるのが利点だけど、それって地球近郊のデブリ観測をしようと思うと自転の速度で回転するってことだから・・・」


「データの受け渡しで角度の問題は何とかなるかもしれんが、あまり制御の利点がないな」


「そういうこと。それにね、そもそも太陽帆シミュレーションのデータがないんだよね。太陽風の観測データはあるけど、それが800kmの高度でどんな風に振る舞うかとか、太陽帆のついた切手衛星チップサットが、どんな風に振る舞うかとか、全然わかんない」


「そりゃそうだ。最先端の実験技術だものな」


「それにデブリで広げた帆に穴もあきそうだし」


「・・・それもあるな」


貧乏所帯おれたちの弱味の一つが、この問題に凝縮されている。

先端技術とデータの不足だ。


金と技術を自前で用意できない俺達は既存技術の組み合わせと安価な部品構成で勝負するしかない。

太陽帆による衛星制御などという最先端でデータ不足の領域で勝負はできない。

ましてデブリで穴が開いた場合の太陽帆の振る舞い予測など、計算だけでなく実運用と検証が必要な領域になると全くのお手上げだ。


一応、シミュレーションモデル上で「らしい」ことをでっち上げることはできるかもしれないが、今回のSDCC《コンテスト》の肝は、実際に衛星を打ち上げての検証にある。

確信の持てないアイディアで予選を通過して困ることになるのは自分達なのだから、そういう仮想空間上シミュレーションの”お絵かき”でお茶を濁すのは嫌だった。


「で、次のアイディアは?」


「うん。衛星の無動力の姿勢制御だと粘性ダンパーっていうのがあるらしいんだけど」


「リストにない液体と機械部品の組み合わせか・・・切手衛星ピコサットに積むのはしんどいな」


動作保証のない新開発の部品を小型化して衛星に積み込む。

資金のないチームには難しい方式だ。


「そうだね」


「切手大は諦めてカード大ぐらいまでにすれば何とかなるか?」


「そこは検討だね。だけど、そうすると面白くないんだ」


小林が「面白くない」という時は、そこに技術者エンジニアとして何かの勘が働いているときだ、と長年の付き合いから志乃田は理解している。


「というと?」


長期戦の構えになりそうなので、小林がアイディアを整理しやすいよう、こちらも椅子に座り直して話を引き出す態勢を整える。

もう一つ。小さな狂技術者マッドエンジニアの脳味噌を形にするのに効果的な儀式がある。


「とりあえずコーヒーでも淹れるか。砂糖は・・・多めだったな」


「うん。たくさん」


ガシャガシャと机に積まれたゴミをどけて空間をつくると、志乃田は安物のドリップコーヒーを淹れた。

紙コップに、スティック・シュガーを一本、二本・・・と流し込み、五本でとめる。


「お前、年食ったら糖尿病になるんじゃないか」


「ならないよ。考えるのにカロリーが要るんだもの」


想像するだけでも甘ったるいコーヒーを、小林がズズッと啜る光景には慣れている。

だが、慣れていることと好きになることは違う。

志乃田は眉をしかめて、別のカップにコーヒーを淹れる。砂糖はなし。


「俺はブラックでいいや」


「胃に悪いよ、志乃田」


「お前にだけは言われたくない」


徹夜明けの朝の研究室に特有の静かな時間に甘ったるいコーヒーの香りは、奇妙な郷愁をそそる。

自分達にとっての居場所は、研究室ここなのだ。

これからも研究者として生きるため、この居場所を守るためには勝負コンテストを勝ち抜き、研究予算を獲得しなければならない。


気を引き締めなおして小林に向き直る。


「それで、何が気になってるんだ?」


「うん。あのね、どうやって切手衛星を遠くまで飛ばすかを考えたんだけど、それは軽ければ軽いほどいいんだ」


甘ったるいコーヒーを飲み干した小林は、軌道上に打ち上げた切手衛星に、更に速度を与えるための構想アイディアについて語り始めた。

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