後期4限目 1.SF論 クラークとアシモフとハインライン SF黄金時代

 はい、後期4回目の講義です。SF論です。

 前回はウェルズとスペースオペラの話をしました。今回は1940年代から50~60年代にかけて、SF黄金期と呼ばれる時代の話をしましょう。


 前回、パルプマガジンにおけるスペースオペラ全盛の話をしまして、アメリカに持ち込まれたSFについて、明るい未来と楽しい冒険が充ち満ちていたと話しましたが、もちろんそれ一辺倒というわけではありませんでした。作家たちの中にはもっとシリアスでダークなテーマを取り扱う作品もありましたし、スペースオペラで紹介したエドモンド・ハミルトンは、しだいに作風を変化させて後期には、『フェッセンデンの宇宙』などに代表される、文明批評味の濃いシリアスな作品を書いています。


 アメリカとSFの意識を変えた歴史的な出来事として、第二次世界大戦と原子爆弾の存在があげられるでしょう。それまでまさにSFの存在だった原子爆弾が実際に作られ使用されたこと、そして、第二次世界大戦の過酷な戦禍、また、ファシズムや社会主義といった全体主義への反感や恐怖が広がり、こうした意識を、SF作品の中に持ち込んだ作品が書かれるようになりました。


 アメリカでトランプ大統領が当選した今年、再評価されて非常に売れたこの時代の作品に、ジョージ・オーウェル『1984年』があります。「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる謎の独裁者によって支配され、生活と思想のすべてを統制される暗い未来を描いたディストピアSFのこの作品は、トランプ大統領の専制主義的な言動への反発もあって、発表から70年近くたった今年、爆発的に売れました。


 全体主義の中心地として、社会主義体制を固めることに邁進していたソヴィエト連邦文化圏からもこうした作品は出ました。エフゲニイ・ザミャーチン『われら』、アレクサンドル・ベリャーエフ『ドウエル教授の首』『両棲人間』などがあり、ペレスロイカ(情報公開)の波が来るまで出版されることが許されなかったり、削除検閲版しか出すことが許されなかったりもしましたが、現在ではほとんどの作品を自由に読むことができます。

 小説ではありませんが、古典的なアンチ・ユートピアSF映画、フリッツ・ラングの『メトロポリス』もあげておきましょう。この映画に登場するロボット・マリアはいまでもSFファンのアイコンの一種として有名で、レトロな中に美しさのある造形が愛されています。この作品は同題でのちに手塚治虫も描いています。


 ロボットという名称の原点となった戯曲作品『R.U.R』を描いたチェコの作家カレル・チャペックは、ほかにも風刺的SF作品『山椒魚戦争』を発表しています。黒人やユダヤ人を山椒魚人間にたとえ、ブラックな展開で人種差別を皮肉った内容になります。


 本格的SF映画の原点『メトロポリス』は1927年の作品(無声映画)ですが、実は1902年にはすでに、ヴェルヌの『月世界旅行』を原作とした映像作家ジョルジュ・メリエスによる映画『月世界旅行』が制作されています。これはヴェルヌの原作に正確に依ったものではなく、月へ到着してからの冒険は、ウェルズの『月世界最初の男』などの、古典的月世界冒険譚を使用し、映像作品として見て楽しいものに仕上げた短編でした。

 1931年には、のちにモンスター映画の代表俳優のひとりになるボリス・カーロフ主演のユニバーサル映画による『フランケンシュタイン』が公開されて人気を博します。これはどちらかというとホラー映画として公開されたものですが、さらに1933年には大御所ウェルズの『透明人間』も公開されて大ヒットし、SFはホラーというジャンルとともに、しだいに新しい表現手段である映画へと幅を広げていくことになります。


 第二次世界大戦が終結し、戦争後の倦怠と反省、厭戦気分、リアリスティックな現実へのめざめは、それまでB級娯楽作品と見なされていたSFにも大きな意識の変革をもたらしました。

 単なる科学礼賛や冒険物語だけではなく、より科学的に正確、かつ社会性やリアルな人間性への洞察を盛り込んだ作品が、SFにも求められるようになったのです。

 1950年代に入ると、堰を切ったようにたくさんのSF作家たちがさまざまな作品を発表しはじめました。現在でも読まれている多くの古典SFは、この時代のものが本当にたくさんあります。奇想SFの名手フレデリック・ブラウンによる分岐世界SF『発狂した宇宙』、緑色をした珍妙な火星人が地球にやってきて巻き起こす騒動を描いたユーモアSF『火星人ゴーホーム』、スペースオペラの形式を使いながらさまざまな異星動物を描いたA.E.ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号の冒険』、『イシャーの武器店』、SFの詩人と呼ばれるレイ・ブラッドベリ『黒いカーニバル』連作短編形式の長編『火星年代記』。基本的にブラッドベリには短編集が多いのですが、長編『なにかが道をやってくる』は古き良きアメリカに郷愁をこめたモダン・ホラー・ファンタジイの名作です。ブラッドベリには『華氏451度』という、本を禁じられた未来を描いたディストピア小説もあり、こちらも名作です。


 しかしもっとも大きな出来事は、「SF御三家(ビッグ・スリー)」と呼ばれる代表的な古典SF作家三名、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフの登場です。

 

 ほかの二人がエンタテイメント性、物語性を重視したのに対して、アーサー・C・クラークは自らの豊富な科学知識を生かしたリアルで壮大なハードSF作品を多く書きました。

 50年代の有名な作品としては、オーバーロードと呼ばれる超越的知性が地球に到来し、それによって地球人という種族が次の新しい段階へ移っていく『幼年期の終わり』、文明が崩壊した地球で、好奇心に溢れた少年が異星の知性体を求めて宇宙へ飛び立つ『銀河帝国の崩壊』、そしてこの作品の発展版として、完全都市ダイアスパーから真実を求めて外に出ようとする青年の魂の旅と成長を描く『都市と星』、そして地球上の生命の進化をうながした謎の物体「モノリス」と人工知性HALの反乱、そして新人類へと進化する人間を描く映画(および小説)『2001年宇宙の旅』があげられます。

『2001年宇宙の旅』はもともとクラークひとりの作品ではなく、スタンリー・キューブリック監督とアイデアを出し合い、それぞれ映画と小説を書いたという作品で、見てるともれなく眠くなる(笑)と評判のよくわかんない映画ですが、さすが映像職人キューブリック監督はいらん凝り方で美しい映像を堪能させてくれます。

 なんか立ってる石碑みたいなものに触るとサルが立ち上がり、骨を投げたらそれが宇宙船になり、HALが狂ってデイジーデイジー歌い出し、主人公がなんか年取って隣の部屋行ってみたら石板があって赤ん坊になって宇宙漂っておわり。という、ほんとに何回見てももうちょっと説明してくれたほうがいいんじゃないかなあと思う一種のSF映像詩みたいなもんですが、それでもこれがSF市場に輝く金字塔の一つであることは確かです。


 続くアイザック・アシモフは多彩な才能を持つ才人で、たくさんのライトな科学ノンフィクションや、ミステリ『黒後家蜘蛛の会』シリーズなども発表しましたが、やはり彼のもっとも特筆されるべき業績は、のちにロボットSFの規範となる「ロボット三原則」を創作したことでしょう。

 これまでのSFにおけるロボットものの多くは、最後にはロボットが反乱を起こし、人間が死滅する・またはロボットが破壊されるというパターンに終わっていました。アシモフはロボットの行動規範ともいえる三原則を規定することでこのパターンを脱却し、その上で、ロボット(人工物)と人間との関係を模索していく新しい道を切り開いたのです。

 短編『われはロボット』で提示された三原則とは、こうです。


第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


 アシモフのロボット・シリーズは短編が多いのですが、その中でも長編『鋼鉄都市』と『はだかの太陽』は、ミステリやSFとしてのプロットも非常に凝ったおもしろい作品ですが、ロボットに対して偏見を持つ人間の刑事イライジャ・ベイリと、そのパートナーとしてあてがわれたロボットR・ダニールというコンビが、摩擦を繰り返しながらもしだいに気持ちを寄せ合っていき、無二の相棒として事件にあたる筋書きは、バディものの警察ミステリとして読んでも非常に楽しい作品です。特に『はだかの太陽』は、アシモフ自身が作ったロボット三原則の裏をかいた不可能犯罪ミステリです。

 R・ダニールの登場するシリーズはこのあと『夜明けのロボット』『ロボットと帝国』と続き、人間であるイライジャが寿命で死んだ後もR・ダニールは彼の記憶をずっと大切にし続けていて、二人の絆の強さをうかがわせます。


 アシモフの大きなシリーズにはほかに『ファウンデーション』シリーズがあります。

『銀河帝国興亡史』とも呼ばれるこのシリーズは、数学者ハリ・セルダンが銀河帝国の衰退を予知し、「ファウンデーション」と称する人類の知識を集大成する組織を作ります。周到な彼の計画通りに降りかかる事件を払いのけながら、しだいに銀河系の覇者として勢力を伸ばしていくファウンデーション。一ページで二、三千年くらいは軽くすっ飛ぶスケールの大きさ、またミステリ趣味のアシモフらしく、一見最強かに見えた第一ファウンデーションを攻撃するミュータントにして超能力者のミュールを登場させ、危機に陥ったファウンデーション、だが明らかになった題にファウンデーションの秘密とは……と、読んでいて飽きさせないサスペンス性を維持し、読ませるエンタメ作品ともなり得ています。

 はじめは最初の三部作『ファウンデーション』『ファウンデーション対帝国』『第二ファウンデーション』で完結したとされていましたが、その後ファンの要望により、『ファウンデーションの彼方へ』『ファウンデーションと地球』『ファウンデーションへの序曲 』『ファウンデーションの誕生』が書き継がれ、さらにアシモフの死後、若いハード作家による続編『ファウンデーションの危機』(グレゴリイ・ベンフォード)『ファウンデーションと混沌』(グレッグ・ベア)『ファウンデーションの勝利』(デイヴィッド・ブリン)が書き継がれました。

 R・ダニールをはじめとしたロボット史シリーズと、ファウンデーションシリーズはのちの続編で融合を果たし、ロボットを排斥した人類がのちに銀河帝国を建設したという形になっています。


 ノン・シリーズでは、ドーム都市で生活していて夜というものを知らずに来た人類が、もしも本物の夜を体験することになったら……という短編『夜来たる』、のちにファウンデーション・シリーズにつながる銀河帝国三部作の長編『宇宙の小石』『暗黒星雲のかなたに』『宇宙気流』などがあります。

 縮小された人間が病気の人間の体内に入り、治療活動をする『ミクロの決死圏』は、1966年のアメリカ映画をアシモフが小説化したもの。映画ではどちらかというとサスペンス・冒険が重視されていましたが、アシモフの小説版ではきちんと科学的な説明がつけられ、SFとしての水準を保っています。



 ロバート・A・ハインラインの魅力は、ストーリーテリングのうまさにあります。多くの作品は既存の他ジャンルの作品、立身出世物語や風刺小説、植民地の独立などを上手にSFに移し替えたもので、もっともハードSF作家的なクラーク、SFによって人類の未来史を叙事詩として描き出したアシモフに比して、より物語作家としての傾向の強い作家です。

 彼の作品にはエリートによる寡頭政治をよしとする考えや能力主義的社会を是とする考え方が見られ、あまりその負の側面が書かれることはありません。明るくて読みやすいということもできますが、多少そのまっすぐすぎる考えや独善性が鼻につくこともまあ、時々あります。


 ハインラインの作品でまず一番にあげられるのはやはり、『夏への扉』でしょう。永遠のスタンダードSFとして数えられるこの作品は、親友にだまされて未来への冷凍睡眠に入れられてしまった主人公が、タイムマシンを使って過去に戻り、奪われた自分の発明と恋人を取り戻しすというロマンチックなハッピーエンドで、日本では特に人気のある一作です。特にかわいいのは主人公が飼っている猫のピートで、このピートが探し続けている「夏へ通じる扉」が、タイトルとなっています。


 直接の原作ではありませんが、ガンダムでおなじみ「パワードスーツ(モビルスーツ)」の語が出現する作品『宇宙の戦士』も有名ですね。ガンダムとはまあほぼ関係ありませんし、モビルスーツがさほど活躍するわけでもありませんが、この作品のポール・バーホーベン監督による映画『スターシップ・トルーパーズ』は、パワードスーツこそ出てこないものの、さすがバーホーベンというべき血潮ドバドバ内蔵ブシャーの大盤振る舞いな映画で、ある意味人間の破壊と殺戮衝動をこれでもかと満足させてくれる映画となっています。


『メトロポリス』が開いたSF映画の道は発展して受け継がれ、1951年には宇宙人クラートゥとロボット・ゴートの存在感が凄い『地球が静止する日』、のちのジョン・カーペンターによるリメイクが有名になってしまいましたがやっぱり名作な『遊星からの物体X』が公開され、人気を博しました。1953年にはストップモーション・アニメことダイナメーションの神様レイ・ハリーハウゼンの実質的デビュー作『原始怪獣現る』、翌1954年にはそれを受けた日本最初の大怪獣特撮映画『ゴジラ』が公開されました。放射能で蟻が巨大化して人間を襲うパニックSF『放射能X』もこの年。

 同じ54年にはメタルーナ・ミュータントことでっかい脳みそむき出しな怪人でおなじみ『宇宙水爆戦』、56年にはイドの怪物とロボット・ロビーが有名な『禁断の惑星』、さらにジャック・フィニイの『盗まれた町』を原作とした『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』、58年にはスティーブ・マックイーンが初の主演を果たしたことでも有名な『スティーブ・マックィーンの人喰いアメーバの恐怖』が公開されています。


 50年代はSF映画ブームとなり、多くのSF映画が制作されましたが、それらの多くは子供向けだったりスペクタクル性ばかりを追いかけたものがほとんどでしたが、のちにリメイクされたり、名作として今も伝えられているものも数多くあります。

 見ようと思えばかなりのものが今ならネットで断片的にでも見られたりたりもしますので、機会があれば一度見てみてください。50年代アメリカンSF映画ってほんとにどうしようもなくバカで楽しいものもたくさんあって、ここでは挙げなかったものもいろいろとすごくて楽しいので、そういうダメさとかアホさとかをかえって楽しむという見方もできます。いやほんとすげえわ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る