大作家芸大、講義中! ~おもしろいってどんなもの?~

@Yu_Godai

1限目

   心に棚を作れッ!

                 島本和彦 『炎の転校生』



 えー、そんなわけで、はじめましてどうも。はじめましてじゃない人もいるかもしれないけどこんにちは、五代ゆうと申します。物書きのはしっこでなんかごちゃごちゃやっております。よろしくお願いいたします。

 この雑文、というかなんだかよくわからないものは、大阪芸術大学文芸科エンターテイメント論(およびSF論ファンタジー論キャラクター作成論Ⅱ)のレジュメとして書こうかと思い立ったものです。まあそこまでちゃんとしたもんでもないけど。

 だいたい私は系統だった話をするというのがきわめて苦手で、すぐ何の話をしていたんだったかわからなくなるし、オタクの常としてあっちゃこっちゃへ話が飛んで、何を話して何を話さなかったか見失って、あとであっあのこと話さなかったとか思い出して激しく落ち込むので、前もってなんかこう文章にでもまとめておけば多少は忘れないでおけるかもしれないと考えたわけであります。だいたいこの文章もしゃべるのとおんなじ感じでだらだらと書いてます。ひとりで空中にむかってしゃべるのは変な人ですがパソコンにむかって文章をうつのは普通です。大丈夫です。ほらもう話がそれた。



 で、まあエンタメ論の話ですよ。

 だいたいそんなにたくさん本を出しているわけでもない私がエンタメのなんたるかを語るというのも変な話ですし、そもそもてめえにそんな資格があるのかという疑問はいまいち頭を離れないのですが、そこはそれ、当芸大の偉大なる先輩であられる島本和彦先生の名言『心に棚を作れッ!』に従ってそこらへんはいったん棚上げにさしてもらいましてよっこらしょ。

 とりあえず本講座の目的というかなんとなくの心づもりでは、これからいろんな作品をジャンルごとにわけてあれやこれやと紹介しまして、あれもおもしろいこれもおもしろいこれのここがいいこっちのあそこがステキだとかいう話を延々していく予定です。なんかおもしろい作品が見たいとかこういう傾向のでなんぞ楽しげなやつはないかとかいう方への、おおざっぱな作品案内です。ぶっちゃけ年寄りオタクの腐れヨタです。夏場の生卵のお持ち帰りはご遠慮いただいております。

 作品は小説にかぎらず漫画アニメ映画ゲームいろいろとそのとき私が思いついたやつによってあっちこっちします。あくまで私の好みなので、あとで自分の好きなアレがなかったとかコレはどうしたとかいう場合はご容赦ください。

 あと私の読書傾向は翻訳物に大きく傾いているので、どっちかというと翻訳作品の比率が高くなります。特撮と怪獣を偏愛しておりますので強制的にガメラとかウルトラマンとか見せられるかもしれませんが辛抱してください。それと青春ものと恋愛ものとスポーツものはほとんどカバーしてないですすいません。なんかいいのがあったら教えてください。シン・ゴジラと君の名は。では圧倒的にシンゴジ派です。



 ああもうまた話がそれる。

 そもそも『えんためとは何ぞや?』ってお題ですよ。

 だいたいそんなもの、規模がでかすぎて「論」とかにまとめられる気がしませんし、文学とは何ぞやとかSFとは何ぞやとかファンタジーとは何ぞやとかラノベとは何ぞやとか本格ミステリとは何ぞやとかいう話題はここ数十年単位でもう泥沼化してぐるぐる同じとこ回ってますし、今さらそこに参入しようなどという気はまったく起こらないのですが、たったひとつ、私にもわかるし誰にでもわかるジャンル論がございます。それは、



【この世にあるのは『おもしろい』と『おもしろくない』の二種類である】



 ということであります。

 まあこの「おもしろい」と「おもしろくない」の定義が人によって違うからまた難しいんですけどね。しかしまあ、究極的には個人の好みと感性の違いに落ちつくしかない『エンタメとは』というお題に対して、これ以上の返事というのはあんまりないのではないかと思う所存です。

 見た人がおもしろいと思うならなんだってそれはエンタメです。純文学だろうが一般小説だろうがラノベだろうがマンガだろうが関係ありません。

 なにもフィクションだけではありません。ある人にとってはむちゃくちゃ退屈かもしれないNHKの科学番組が、ある局地的な一部(うちのTL民とか)には一大ブームを巻き起こしている場合もあるわけです。ニュースだってそうです。「感動ポルノ」だのなんだの言われる場合もあるように、そこに制作者の意思による編集がある程度入る時、私たちが受け取るのはなまの現実ではなく、ある一面から加工された「エンタメとしての(わかりやすい)おはなし」です。


※「見た人の感情を揺り動かすのがエンタメ」という定義も一時は考えたのですが、別に感情が動かなくても、たとえば純粋に知的な喜びを得るのもエンタメの一部と呼んでまちがいなかろう、と思ってやめました。ポピュラーサイエンスの本を読むとか歴史書を読むとか哲学書を読むとか、あるいは内田百閒の『阿房列車』みたいに、ただ単に偏屈なおじいちゃん作家が汽車に乗ってなんということもなくむっつりカタコト揺られてるのにつきあうだけだって充分たのしいのです。内田百閒をエンタメ呼ばわりするのかと怒る人もいるかもしれませんが、百閒先生は私にとっては「おもしろい」という意味でばっちりエンタメなので放置です。



 だいたいもって、なまの現実というのはクソです。わかりづらい上につかみどころがなくて、つかんだと思ったらまた別の場所からヘンテコなものがにゅっと顔を出してきたりします。そういう屁のような代物をわかりやすくし、自分の中で安心して決まりをつけて生きていくために、人間は「物語」というものを必要としてきたのです。

 ここに一冊の本があります。ちくまプリマー新書『人はなぜ物語を求めるのか』(千野帽子・著)という本です。興味のある人は買って読んでください。別に宣伝ではありません。これ一冊読むとかなり人生がラクになります。私はなった。

 ものすごくおおざっぱにこの本の内容をまとめると、「人間とは物語る動物である」ということです。

 人間は、たとえ本や映画やその他のフィクションにまったく触れない人でも、日々物語を生産し、消費しつつ生きています。例をあげましょう。



 あなたは突然恋人にフラれました。原因はなんでしょう。恋人は連絡手段を断ってしまって訊くすべがありません。あなたはクヨクヨと思い悩みます。

 新しい恋人ができたのか。単に自分が飽きられただけなのか。自分が何か嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。それともただ忙しくて連絡が返せないだけなのか。

 ここですでにあなたは物語を「作っている」のです。理解しがたい「恋人にフラれた」というなまの現実を前に、何か納得のいくストーリーを構築して、自分を落ちつかせ、安心させようとしているのです。

 恋人にフラれたのは相手に新しい恋人ができたからである。先日のデートで相手を怒らせてしまったからである。いやひょっとしたらこないだ出来心で浮気しちゃったのがバレたのかも。等々、等々……



 このあたりのバリエーションをひとつとりあげてうんたらかんたらすれば、たちまち恋愛小説なり恋愛映画なりが仕上がります。別にフラれたとかマイナス方面でなくても、実生活で、恋人と楽しいデートをしているとき、うっとりしながら「なんだか私たちって恋愛ドラマみたい」と思ったことはありませんか? 青春ドラマを見ながら、楽しかった高校時代のサークル仲間を思い出して涙したことないですか? 

 現実は不条理です。そこにたいした意味はないし、理解できるような筋道も、実はありません。

 このあたりの話は純文学の人たちがさんざっぱらやってますが、ここではそこに深入りする気はないです。ただ、「人間とは物語る動物である」ことこそが、まちがいなくエンターテイメントというものがこの世に存在する理由であります。

 私たちは物語を求めます。つかみづらい現実を整理し、なだめ、安心させてくれる筋道だったストーリーを求めます。

 殺人事件の犯人は必ずつかまるし、怪獣はウルトラマンが倒してくれるし、自分をフッた恋人の理由は明らかになってよりを戻すか、新しい恋を見つけるかします。仲間たちはぶつかり合いながらもやがて力を合わせてコンテストでゴールドカップを獲得し、痛めつけられた主人公は、愛と勇気と友情で強大な悪をぶっ飛ばします。

 現実はそんなふうにいかない。もちろんそんなことはわかっています。

 でも私たちは「納得したい」のです。そうでなければ、私たちは砕けてしまうでしょう。自分自身という物語をもはや語れなくなったとき、人は壊れるのです。



 この不規則で不条理で特に意味もなければつかみどころもない世界、ぶにゃぶにゃぐにょぐにょ気持ち悪いなまの現実というそびえ立つクソに相対するには、「物語」という剣をふりかざし、死にものぐるいでただ道を切り開いていくしかありません。

 筋道だった美しい物語、世界があるべきように進み、あるべきように収まる『エンタメ』は、そういう私たちにとっての、ある意味道しるべなのです。

 理由があり、行動があり、始まりがあって終わりがある。現実には終わりはありませんが、「物語」にはちゃんと終わりがあります。そうして私たちは安心し、少しの力を得て、またクソな現実に立ち向かう、明日の活力を抱くのです。



 エンタメ論、というお題にあってるかどうかまたしてもよくわからなくなりました。どうなんですかねこれ。

 まあとりあえず生徒さんがスマホででも見てくれることを期待して、これから授業のあるときはだいたいこんな感じのヨタをカクヨムに貼ることにします。ネットなら作品とか参考画像とかリンク貼れるしね。特に見なくても問題はないですがお時間あればどうぞ。



 んで来週の予定ですが、各論に入る前に「ジャンル分けとかいうのは実はあんまり意味ないんだよね」って話をしようと思います。特に書き手にとっては意味ないです。下手するとかえって自分に枠をはめてしまう結果にもなりかねません。ジャンルとかいうのは読み手にとっての利便であって、書き手のほうは気にしないが勝ちです。

 そのために『妖 ~ayakashi~』というアニメの第九・十・十一話を見てもらいます。『化猫』です。

 詳しいことはまた来週説明しますが、日本の怪談をアニメ化するという企画のもとに作られたアニメですから、パッと見はホラーに分類される話です。

 しかし、細かく見ていくと、単にホラーというだけではない、さまざまな側面が見えてきます。ホラーであると同時にミステリでもあり、ファンタジーでもあり、キャラクター物でもあるお話です。

 またさらに細かく掘り下げていけば、民俗学、演劇、美術、神話伝説等々のファクターも見つかります。どれも「ホラー」の一言ではくくれない部分です。

 そういうところを、作品を見たうえでちょっといろいろ語りたいと思います。では、よろしければ、また来週。



★今回の参考書籍

『人はなぜ物語を求めるのか』 千野帽子  ちくまプリマー新書

https://www.amazon.co.jp/dp/4480689796

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