後期2限目 1.SF論 SFのはじまり

 はい、後期二回目の授業です。SF論です。

 今日はSFの歴史第一回目からはじめたいと思います。


 先週の授業で、SFの定義を「空想科学小説」とひとまずきめました(まあその中にもいろいろなものがあるとはいいましたが)

 ファンタジーの授業でもいいましたが、人間は身の回りのものに理由を見つけようとするいきものです。雨が降るのはなぜかとか、空が青いのはなぜかとか、そもそも自分たちはなんで生きているのかとか、そういう疑問を抱くのは、ある程度自意識というものを持ち始めた段階の生物として、自然発生することでした。

 そうしたことにたとえば「神がそうしたからだ」とか「妖精がいるからだ」とか「むかしこれこれの英雄がやったことだ」と理由をつければ、それは神話的想像力の発動ということです。神話の中では人間の深層心理にやどる神話的原型が、理論として活動します。これがファンタジーの起源であり、根底にあるものです。


 それに対してSFはまず、科学と合理的思想の存在が前提となります(あたりまえですが)。まだ科学的、合理的な思想が存在していなかったころにも、形式としてSF的な要素を扱っている作品はいくつか存在しました。

 人間が地上から空を見上げたとき、一番先に目に入るほかの星(星=惑星もしくは衛星・恒星という認識はまだなかったにせよ)といえば、月でした。SF成立以前のSF的作品には、「月へ行ってそこの住人に出会う・なんらかの発見をする」という物語がたくさんあります。

 天文学の発達していた紀元前後のギリシャ・ローマでは、星に関する物語が発達しましたが、その中でも、ルキアノスという弁論・風刺家は、『本当の話』という作品を残しています。50人のギリシャ青年たちとともに船出した主人公が、辺境の地を探索するうちに船が風に飛ばされ、なんと月に漂着してしまうというストーリーです。

 むろんまだ科学的に月や宇宙がどういう場所かというのは発見されていませんので、月世界に関する描写は完全にファンタジーの領域ですが、それでも月世界がわと太陽がわとで戦争が起こり、そこへ銀河を越えてやってきたケンタウロス軍が加わったり、戦争後、主人公たちがヒヤデス星団とプレアデス星団の間にあるという国を訪ねたりと、宇宙というものをよく観察していたギリシャ人ならではの宇宙の旅が記されています。

 ルキアノスの別の作品では、主人公が「イカロスのように」腕に翼をつけて飛び立つ、という物語もあります。この「イカロス」とは、ギリシャ神話に登場する伝説的な名工ダイダロスの息子で、父の手によって腕に鳥の羽でこしらえた翼をつけてもらい、空を飛んだ青年の名です。クレタ島の迷宮に閉じ込められていた父ダイダロスと彼は、この人工の翼でうまく空を飛んで脱出できたのですが、イカロスは父の忠告を聞かず、高く飛びすぎたゆえに太陽の熱で翼をとめた蝋を溶かされ、墜落死してしまいます。


 この名工ダイダロスについてはほかにもさまざまな発明品があり、ミノタウロスの迷宮(これもダイダロスが建造したとされる)のあるクレタ島の番人、青銅のタロス像も彼の制作であるとされます(鍛冶の神ヘパイストスが作ったとの異説もあり)。

 巨大な青銅製の自動人形であるタロスは原始のロボットとも呼べる存在ですが、タロスは島を走り回って警護し、近づくものがあれば石を投げて攻撃し、それでも接近すると全身を赤熱させて抱きついて焼き殺したとされます。全身が青銅なので攻撃されても無傷ですが、唯一、身体に通っている霊液の管の栓を抜かれると停止してしまいます。

 映画『アルゴ短剣隊の大冒険』(1963)では、このタロスが動いて主人公たちの船を攻撃するシーンが、ダイナメーションと呼ばれる人形のコマ撮り技法で描かれていました。こちらではミノス島ではなく、青銅の島と呼ばれる財宝の島の番人となっていますが、こちらの動画→https://www.youtube.com/watch?v=LxA3wFYxUB8で、その巨大ロボット的な動きを見ることができます。


 月の世界を扱った物語としては日本の『竹取物語』も有名ですね。月から来たお姫様をめくせる人間たちのお話ですが、これにSF的な解釈を加えた映画化『竹取物語』(1987)もあります。かぐや姫を宇宙人であるとし、最後に姫を迎えに来るのが蓮の花形の宇宙船となっていますが、まあ原作ではそんな描写はないにせよ、目にできるもっとも身近な天空の異世界が月であるとし、そこにさまざまな幻想を託すのは、洋の東西を問わないようです。


 ほかにも神話・伝説にはさまざまな、解釈すればSFと呼べないこともない宇宙や月に関する空想譚がありますが、やはりコペルニクスによる地動説の提唱以前のものはあくまで空想の域を出ず、ファンタジーや神話との境界があいまいです。

 地動説の支持者である天文学者ヨハネス・ケブラーの小説『夢』(邦訳『ケプラーの夢』。講談社学術文庫)では、自然科学的な説明を織りこみながら月(レヴァニア)と地球(ヴォルヴァ)をめぐる科学的な記述が展開されます。小説に科学的理論をもちこんだ初めての例として、この作品を(狭義の)SF小説のはしりである、ととらえる意見もあります。


 シラノ・ド・ベルジュラック『月世界旅行記』『太陽世界旅行記』では、ケプラーが宇宙旅行を「精霊による往還」としたのに比べ、「水をいれた壜を身体にくくりつける」という理屈で宇宙へと到達する試みが出てきます。水は蒸発すると水蒸気になって空へ上っていくので、水を身につけていれば水が太陽にひかれてのぼっていくのにしたがって自分も上昇できるにちがいない、との、微妙に科学的でないこともない理屈です。

 この作品には火薬式の多段ロケットも登場し、宇宙空間に出た主人公は、地球と月の質量差による引力の違いなどにも言及します。いや宇宙空間は真空だろとかまだそういうツッコミ所はあるにせよ、かなり現代のSFに近づいてきました。


 現代にもつづくロボット・AIテーマ、また科学と人間性との関わりについて描いた重要な作品が、ホラーの方面でも紹介しました、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』です。

 プロメテウス、というのは、ギリシャ神話において人類に火を与えた巨人の名前です。生命の創造という、神のわざである一事に人間が手を出した結果起こった悲劇を描く作品ですが、科学技術の乱用とそれがもたらす恐怖を描く点、そしてそれだけにとどまらず、作り出された人工の存在が、自己の存在に苦しみ、また人間に対してさまざまな思いを抱くありさまを描く点は、両方ともいまのSFにおいて大きなテーマとして扱われているものです。また、怪物を作り出した主人公ヴィクター・フランケンシュタインをさして、マッドサイエンティストの代表とすることもあります。

 ロボットやAI、人工生物、遺伝子操作など、人間の技術的な操作が加わった存在に関するSFを「フランケンシュタイン・テーマ」と呼ぶことがありますが、その名称はこの作品に由来します。ホラー映画のモンスターとして、イギリスのハマー・プロ、またアメリカのユニバーサル・ピクチャーズで制作された映画が有名ですが、こちらは怪物による恐怖感の演出に力を入れており、SF映画としての側面はあまりありません。しいていうなら、1966年に日米合作で作られた特撮映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』がかなりSF的であり、同時に、造られたものの悲哀を強く打ち出している点で、かなり原作のもつ意義に近いといえるのではないでしょうか。


 さらにホラー・幻想小説の大家であるエドガー・アラン・ポオもいくつかのSF的小説を書いています。探偵小説の始祖とされるポオですが、その論理的志向は当時の科学技術を取り入れた作品を書くことにも発揮され、『メエルシュトロオムに呑まれて』の回転する大渦の描写、『ハンス・プファアルの無類の冒険』には気球で上昇して月へ行くという展開などが登場します。死後に大作家として名声が高くなったポオの作品の影響は、こののちのジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズの作品にも多く見られます。

 SFプロパーというわけではありませんが、少年向け海洋冒険小説『宝島』の作者として有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンにも『ジキル博士とハイド氏』という、マッド・サイエンティストを扱った作品があります。人間の善悪を分離する薬を作ったジキル博士がその薬を飲むと、邪悪で凶暴なハイド氏に入れ替わり、その姿で悪徳をほしいままにする。ところがしだいにコントロールがきかなくなり、しだいにハイドからジキルに戻るのが難しくなってくる。最後には薬が尽き、永久に邪悪なハイド氏になってしまうことに絶望したジキル博士の自殺で幕を閉じます。


 さて、ジュール・ヴェルヌ。

 初の本格的SF作家とされる彼は、はじめは『三銃士』『モンテ・クリスト伯』などの作者デュマに師事して冒険小説を書いていました。が、純粋な冒険小説に、ポオがやったように科学技術を織りまぜて現実性を高めるという手法に着目し、まず『気球に乗って五週間』という作品を書きました。

 これは成功を収め、勢いに乗ったヴェルヌは、『地底旅行』で地質学や古生物学を生かした冒険小説を発表したあと、ついに本格的なSF『月世界旅行』を発表します。これまでの月世界譚のほとんどは、しかたのないこととはいえ精霊や水や気球など、あまり科学的に正確とはいえない方法で月を目指していましたが、ヴェルヌのこの作品では、密閉型の砲弾ロケットが登場することになります。

 実はロケットの実用化自体はすでに行われており、火薬に火をつけて飛ばす飛翔体は兵器として南北戦争や、日本の戦国時代(種火矢)においても使用されていました。上記のように、シラノ・ド・ベルジュラックの作品においても多段式ロケットが登場していますが、ヴェルヌのこの作品では、「大砲クラブ」とよばれる元軍人集団が、月へ有人宇宙船(砲弾)を打ち込む計画を成功させるまでが綿密に、かつ現実的に描かれるところが、それまでの空想的月世界譚とは違うところです。

 また、宇宙に出てからの描写もきわめて科学的・SF的であり、砲弾型ロケットに搭乗した乗組員たちの視点から描写される宇宙や月、宇宙空間航行のようすも(当時の知識が到達できる限界として)リアルです。望遠鏡の発達で、月には動植物も水もないということがあきらかになっており、その点もきちんと述べられています。天体力学などの科学考証も、当時としては可能なかぎり正確になされており、世界初の宇宙SFとして、見事なものであるといえるでしょう。

 フランスの映像作家ジョルジュ・メリエスかこの作品をもとに『月世界旅行』(1902)を制作しています。https://www.youtube.com/watch?v=7s-al3Df0Ss こちらは原作に大きくアレンジを加え、月世界に行ってからの冒険をウェルズの作品『月世界最初の人間』の空想的な月人を登場させて、映画的なおもしろさを増しています。


 また、ヴェルヌの代表的なSF作品として忘れてはならないのが『海底二万マイル』があります。謎の巨大潜水艦ノーチラス号、そこに乗り組むことになった主人公、そして謎の男ネモ船長が彼を導いていく海の大冒険は、ヴェルヌのほかの作品をおいて現代でも高い支持を得ており、ガイナックスのアニメ作品『南の海のナディア』の原作、またディズニーのアニメ映画『アトランティス』(中身はぶっちゃけナディアのトレスといっていいぱくりで評価も微妙でしたが)の原作となっています。

 

 ヴェルヌの作品の特色は、綿密な科学考証を加えて現実味と臨場感を演出することにあり、また、科学礼賛の一方で、科学に翻弄され支配される人間への危機感をも逃さず書いていた先見の明が、これまでのSF的物語の作者とは一線を画していたといえます。



 ヴェルヌより少しあとに出てきたイギリスのH(ハーバート)・G(ジョージ)・ウェルズも、初期の本格的SF作家の大家です。

 最初のSF作品『タイム・マシン』は、主人公が航時機(タイム・マシン)を発明し、それに乗ってはるかな未来へ行くという物語です。主人公がたどり着いた未来では、人類は美しいが怠惰で退廃的なエロイと、地下に住む凶暴で不気味な人類モーロックがいて、モーロックはエロイを食って生きています。主人公は恋人となったエロイの女性とともにタイム・マシンをモーロックのもとから取り返し、さらに未来に旅立って、人類の終焉、そして生物と地球の終焉を目の当たりにします。

 ウェルズのSF作品は『モロー博士の島』(生物改造・マッドサイエンティスト)、『透明人間』(人間を透明化する薬物)、『宇宙戦争』(火星人による地球侵略)などが有名作としてあげられ、映画化などメディアミックス作品も多くあります。


 あくまで現代を舞台に、厳密な科学技術による冒険を描いたヴェルヌにくらべて、ウェルズの特色は、豊富なSFガジェットを創出した点にあります。タイムマシン、タコ型の火星人、透明になる薬物、冷凍睡眠装置、最終戦争とその後の世界など、現代においても使用されているSFガジェットやモチーフには、ウェルズの作品に初出のものがたくさんあります。

 ヴェルヌはあくまで「(当時の)現代の技術においてありそうなこと」を描きましたが、ウェルズの作品は、「科学技術を元にしているが、現実には縛られることなく自由に世界の幅を広げる」という、より現代SFに通じる姿勢をとっています。

 また、エロイが富裕階級、モーロックが労働階級の未来の姿とすることによって社会批評的な姿勢を打ち出したり、SFの最初期の作家でありつつすでに生物や地球の終焉という遠未来にまで思考をとばしていたりと、ウェルズよりも自由な発想力を持っていたといえるでしょう。ヴェルヌがどちらかというと(科学的蓋然性を重視するという意味で)「ハードSF」的であったのに対して、ウェルズはより現代的な意味での、なんでもありな「SF作家」であったといえるかもしれません。


 ヴェルヌとウェルズに続く作家として、シャーロック・ホームズシリーズの作者として有名なコナン・ドイルがいます。ホームズでミステリを大衆のものとしたドイルは、チャレンジャー教授という冒険家のキャラクターが登場する『失われた世界』を発表しました。

 これはおそらくヴェルヌの『地底旅行』に影響された作品と思われますが、アマゾンの奥地に進入の困難な台地が存在し、そこに古代の恐竜がいまも生存していたという設定の冒険小説です。ヴェルヌの地底への旅という大仕掛けなSF設定はこちらにはありませんが、巨大な恐竜が闊歩する世界というロマンは人気が高く、映画『ジュラシック・パーク』の原作者であるマイクル・クライトンは、その続編のタイトルをこの作品のタイトルにすることでオマージュを捧げています。


 今回はこれくらいかな。

 次はパルプSFとスペースオペラについてお話したいと思います。では。

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