第7話 セクション
年中無休のホテルでは年末から三が日が一番の繁忙期だ。一年前から予約して宿泊するVIPがいるくらいである。夏が過ぎると徐々に店の予約も入り始める。年末専用の予約帳を作り対応は必ず板前が行う。綺麗に清書した予約表を後からコピーして当日に配るため間違いは許されない。
業者も休みに入るために早めに注文して確保しておかなければならない。魚は各飲食店の奪い合いになる。懇意にしている業者と早めに何度も打ち合わせして、どんなグレードの魚が欲しいのか、数はどのくらい仕入れるのかを店長が予約帳を見ながら予想して仕入れる。
冷凍できる食材は早めに仕込んでダンボールに入れて冷凍庫に保管する。当日仕込むことは忙しすぎて無理だからだ。余ってもすぐに二月三日の恵方巻きイベントが来るので作りすぎても問題はない。
干瓢、椎茸、穴子、蒸し鮑、マグロなどを旬の脂が乗っている時に真空パックして冷凍する。ホテルでは業務用の真空マシーンがあり洋食の肉を担当する部署がよく使用していた。
大きな肉の塊を数人がかりで筋を切ったり、いらない部分を取り分けたりしている姿は圧巻だった。手の動きに一切迷いがなく凄まじいスピードで処理していく。そんな緊張感の中、私は声をかける。
「すいませ〜ん! 真空マシーン使わせてください! 」
「いいけど、ちゃんと掃除しといてね! 」
返事は決まってこうだった。コックコートと長い帽子に身を包んだ眼鏡をかけて恰幅の良い、いかにも仕事に厳しそうなベテランがジロリと一度だけこちらを見てまた肉の処理を続ける。私はこの空間が苦手で早く仕事を終わらせようと急いで真空作業していた。
店からは和食部門のメニューも注文できる。オーダーが入ると内線で連絡してしばらくすると折り返しの内線がかかる。
「茶碗蒸し、あがったよ(できたよ)! 」
向こうも殺気立っているので極めて愛想が悪い。昔あまりの態度の悪さに板前が和食の店に怒鳴り込みに行ったことがあるくらいだ。それについて和食のベテランが言っていた。
「そっち(寿司)は若い子が外線受けて、たまにカウンターでもお客様と直接話すだろう? それはとても良いことなんだ。ホテルの和食はお客さんと喋るのは板前数人ぐらいで、あとは内輪だけで完結してしまっている。修行中にお客さんと直接触れ合うのが一番いいんだよ。若い時からの顔も覚えてもらえるしね。だからキャリアを積んだ時に腕はあるのに会話ができない板前ができちまうんだ。それに気づいて辞めてしまう若い衆もいる」
ホテルによっては新人をホールに配置してから厨房で修行させる店もあるがここでは違うらしい。ホールはホテルが雇った和服を着た女性が持ち回りの交代制で行なっていた。
女性も人によって微妙な仕事のやり方の違いがある。新人は先輩によってやり方を柔軟に変えないと嫌味を言われたりする。
「こっちの仕事先にしなさいよ! 」
「あんた、そんな事もできないの? 」
ホールの仕事のやり方、後輩の指導の仕方には口出しができないが、見ていてあまりにひどい時もあった。何人もの若い女の子が自然と消えていく。
「あれ、そういえばあの子最近見ないね? 」
「とっくに辞めたわよ」
ぶっきらぼうに言うベテランは達観している。
「逆に早めに自分の適正に気づいて良かったんじゃない? お互いに時間の無駄だしね。残る子は放っといても残るわよ」
帰り道で一緒になったベテランに話を聞いた。普段は頭を結いた姿しか見ないので、髪を下ろした姿には艶っぽさがあり思わずドキッとする。ホールの世界も厳格な上下関係が存在し楽な世界では決してない。
宿泊室から交換代を通して直接店に注文ができるので、漆塗りの箱桶の寿司を部屋まで届ける配膳専門の方達もいる。大抵はみんな痩せていて足が引き締まっている。日頃のハードな肉体労働の賜物だ。コース用の味噌汁を温めている間に談笑したり、他の食材をつまみ食いさせたりして若い子をいじって仲良くなる。
お客様の部屋に届けるために、エレベータ前で階数の表示を見上げて待っている横顔はみんな真顔で疲れていた。先に乗っている上層部の人間がいる時もあるが、お客様優先なので全員が道を開けて協力する。ホテルあるあるかもしれない。
パティシエの若い女の子は営業終了間際になると、各店舗に格安で売れ残りのケーキの販売の内線をかける。売り残りは廃棄せざるおえず、勿体無いので従業員に売る作戦だ。
「今日はどうですか? 」
「種類は豊富? 」
「今日は結構売れ残ってますね」
「だったら千円分でもらおうかな? 」
「いつもご協力有難うございます! 」
そうするとわざわざ届けてくれるので小腹が空いた若い衆は大喜びだった、ホテルのケーキなんて普通はこんな値段では絶対に買えない。多い時には八種類ぐらい入っている時もある。
洗い場のSさんも度々頼む。私も甘い物は嫌いではないので代表して買って、後輩に分け与えたりした。
「あざ〜っす! うまいすね〜 」
食い意地を張った後輩がバカ丸出しでほう張っている。私は体のことを考えて少ししか食べない。
「これ残りもらっていいですか? 」
「別にいいけど、どうするの? 」
後輩は店舗入り口近くのお会計部門にいる若い女の子を狙っているらしく、ケーキを土産にして仲良くなる魂胆らしい。私は苦笑する。
「よくやるよな......」
ホテルでも若い女の子とくっつく若い衆も多い。お互い忙しい身で出会いは少ないのだ。私はそんな気にはなれず仕事一筋だった。欲望のまま行動する後輩は接客もうまく天性の人懐っこさがあり、正直羨ましかった。
こうして日々の仕事を終えて、下っ端同士で馬鹿騒ぎしながら一緒に帰宅する。とても充実していた。
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