第2話 フリーター
無職の若い男が日中にふらついているのは良くない。世間体としては非常にまずい。しかし私は無事に辞めれた開放感に酔っていた。長い夏休みが来たようなものである。数ヶ月は遊び呆けてダラダラ過ごした。
夏の終わり、庭の草を家族でむしっていた時に母親が突然泣き出した。
「あんた。これからどうするつもりよ! 」
将来のことについて初めて真剣に悩んだ瞬間である。お恥ずかしい話、若かりし頃の過ちというやつだ。
足元の地面に鎌を刺したまま直立不動で母親の恨み節を聞くしかなかった。九月の終わりのあの出来事は今でも鮮明に覚えている。無風で太陽がギラギラ照りつけ汗でシャツが体にへばりつき、草と土と動物の糞と自分の汗がミックスしたひどい悪臭を放っていた。この場を借りて謝罪します。お母様、あの時は大変申し訳ございませんでした。
それからバイトを始めた。とりあえずお金を稼ぎながらやりたい事を見つけようと思った。興味本位で何を思ったのか瓦職人の仕事に応募しようと電話してみた。しかし電話の対応がおかしく
「じゃ今から面接するから駅に来てよ」
「今からですか」
「うん。人手が足りなくてね。今日から働けそうかな? 」
「......わかりました」
電話を切って冷静になって考えてみるが、履歴書の事、仕事の内容も給与のことも何も言われなかった。やはりおかしい。すぐに折り返しの電話をして断った。
「なんで? 」
こっちのセリフだ。そいつはクチャクチャ物を食べながら最後まで喋っていた。当時はアルバイトの面接の電話がこれが初めてだったので、ヤバイ会社の見分け方がわからなかった。田舎でもまともなバイトの面接にこぎつけるだけでも一苦労だ。
近所の国道沿いにガソリンスタンドのアルバイト急募の看板が出ていた。田舎にしては給料がいいし、徒歩で通え休日出勤手当もつく。何より肉体労働なのがいい。体を動かしていればこの鬱屈した感情も少しはマシになるだろうと考えた。
ガソリンスタンドの仕事はハードだ。夏場には野外の仕事のためお客様の車の誘導では汗が滴り落ち、敷地内でお客様の車を運転するときはぶつけないように細心の注意を払う。オイル交換やタイヤ交換ではどうしても指にオイルが染み込み手が黒ずんで荒れる。
お客様との会話では常に笑顔を絶やさず、洗車に使ったタオルの洗濯やレジの締め作業や店内掃除の雑用、ガソリン類の危険物を扱うために結構神経も使う。冬場では冷たい風、雨、雪により手足が凍え、重たい物を運んだり、しゃがむ作業も多いために腰のヘルニアをやってしまう方も多い。そのためか離職率も結構多く転職をする正社員の方も多かった。車が好きなだけでは務まらない重労働の仕事だ。
冬場は国道に近いこともあり、県外からの車がタイヤ交換を求めて長蛇の列をなす。いくら捌いても次から次に車が列をなし、社員の方が急ピッチでタイヤ交換をするが間に合わない。
「毎年思うけど、雪国なめてるよね」
皆で県外ドライバーに小声で恨み言を唱えて互いに愚痴を吐きあいながら仕事をする。店にはうれしい悲鳴のはずだが、私には特別ボーナスが出るわけでも給与が上がるわけではない。毎日の修羅場と寒さで心が折れそうになるが歯を食いしばって耐えた。
アルバイトしてよかったことは、体が動かせてダイエットになった事、車の洗車が無料でできたこと。大声を出す機会が多いために声帯が広がった事だ。私の家族の洗車も店長のご厚意により無料でやらせていただいた。そのため私は真面目に働き、他のバイトが都合がつかなくなった時によく助っ人で呼ばれた。前日でも、当日でも決まって店長が猫なで声で電話してくる。ちなみに全て引き受けた。
「正社員にならないか? 」
ある日何故か、他店のガソリンスタンドの料金を偵察するという口実で、社員でもないのに店長の車に乗せられ、国道を車で流しながら口説かれた。店長は嫌いではなかったし、仕事にも慣れ自分が戦力になっている自信はあった。ただこの仕事を一生続けたいか? と言われるとそこまでの情熱はなく通勤に都合がいい、あくまでお金儲けの手段であることを正直に告げた。
「気が変わったらいつでも言ってくれよ。待ってるから」
自分を買ってくれるのには悪い気はしない。私はそこからそれ以上に仕事に真面目に取り組み、アルバイト社員の中で車のガソリンに入れる添加剤の売り上げで県三位に入賞した。賞与があったので少しは嬉しくもあったが、アルバイトの身では基本給が上がるわけでもなくそこまで喜びもしなかった。
店長は褒めて認めてはくれるが、他のアルバイトからはなんでそんなに頑張るの? という目で冷たく見られていた気がする。自分でもそう思う。頑張ったにしては自分に対するご褒美も達成感も少ない。やはり私にはこの仕事は向かない。そう結論づけた瞬間でもあった。
ちなみにその冷たい視線を放ったアルバイト仲間は学生だったが、遊び呆けすぎてビジネス専門学校を留年してしまった。両親によほど責められたのか青白い顔で出勤してきて、その日から勤務態度も私に対する接し方も良くなった。正直スカッとした。人は痛みを伴わない教訓からは何も得られない。どこかの有名なセリフだ。
アルバイト中にお客様と仲良くなると世間話で身の上話もする。ご年配のお客様の中には、当時のフリーターという肩書きに嫌悪感を示す方も多く
「なんだ。君はただのフリーターか」
などと捨て台詞を吐く方もいた。紳士な方だったので結構ショックを受けた。自分では一生懸命働いているつもりなのに肩書きだけで蔑視され差別されたのは初めてだった。そこでファイトが湧いてもっと金を稼ぎたくなり、居酒屋でもバイトを始めた。
飲食店なら賄いが出る事、料理が好きなことが動機だった。駅の古いビルの二階の居酒屋兼焼き鳥屋みたいな店で働き始めた。最初に命じられた仕事は冷蔵庫掃除だった。業務用の冷蔵庫で床に木のスノコが引かれている古いタイプだ。夏でもジャンパーを着込まないと凍死するレベルで床には腐った野菜の液体が腐臭を放っていたが、普段からガソリンの匂いを嗅ぎトイレ掃除をやっている私には大した障害にはならなかった。念入りに丁寧に掃除を行い一日目の仕事を終えた。後から店長に聞いた話ではあれは試験だったらしく
「アレに耐えられるなら、大抵のことには耐えられる」
事実、私の後に入ってきたバイト君は一日で辞めていく者も多かった。気難しいベテラン正社員と、アルバイトのおばちゃんと店長で私は午前九時から午後三時まで働いた。おばちゃんとは気が合い仲良く大量の玉ねぎや白ネギの小口切りやじゃがいもの皮むきを行い、正社員の方からはチャーハンやラーメンの作り方を学んだ。
そのうちに朝の店の準備を任せられるようになり、鍵を渡されてシャッターを開け、ガスの元栓を開けて寸胴鍋のスープに火をつけて、その日使う分の野菜を冷たい水で洗いざる上げしておく。おばちゃんが休みの時は私が洗い場になり、水仕事で手が荒れて手の甲に斑点状に血がにじみ出た。ハンドクリームを夜眠る前に塗り、営業中は手術用に使うような薄い手袋をして働いた。冬場、お湯を使うと手の脂も流れ落ちて特によくない。しかし料理をしているときは不思議と嫌なことは忘れて没頭していた。
「今日も美味しかった」
賄いづくりを任せられて従業員に褒められる。嬉しかった。この方面の仕事に就くといいかもしれない。漠然と考え始めて、いつしか料理の専門学校に通う目標を立てた。居酒屋でも正社員に誘われたがやはり修行するなら最初はちゃんとした店(居酒屋の悪口ではない。自分の料理の専門性に合っているという意味)で働きたかった。知り合いにも飲食店にコネのある人物はいないし、調理師免許も取得したかったし、就職先も紹介してくれるならいいのではないのか?
「俺、金貯めて専門学校行くよ」
「本当に? 」
最初、両親は「またこいつ辞めるのではないか」という感じで信用されなかったが仕方ない。行動で示すしかないのでそこから猛烈に働いた。体と時間が許す限りシフトを入れてもらいがむしゃらに労働する。バランスも良かった。居酒屋では暗くて小さい店で無言で働いていたが、ガソリンスタンドでは広い敷地で走り回り大声を出していた。体感的に陰と陽の相反する職場だったので、仕事をすることにより仕事のストレスを発散できていたので続けることができた。今でもどちらか一方に絞っていたら必ず心に歪みができていただろうと確信している。
平日の午前中から昼までは居酒屋、夕方から夜まではガソリンスタンド、日曜、祝日は一日ガソリンスタンドで働き多い月には月収三十万円を超えていた。体は悲鳴をあげたが心は充実していた。預金通帳を見るたびに頬が緩み一歩づつ前進していると感じた。
ケータイも解約して一切遊びもせずにひたすら金を稼ぐ変態だった。成人式にも出ずに働いていたほどだ。夏らしい思い出はバイトの帰り道で聞いた花火大会の音だけだ。時間差で聞こえてくる音だけで映像を脳内で補完し楽しむ術を身につけた。完全に一日オフは正月しかなく、いつしか感情を押し殺しアルバイトだけを無心に行う殺戮マシーンに変貌していた。狂った様に働く私を見て両親は心配していた。
おかげで入学金の頭金を貯め、調理師専門学校に入学することができた。
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