第8話 遅刻の罰
どんな人間でも寝坊はする。避ける事はできない。これは真理だ。遅刻した新人は大慌てで会社に行こうとするが、ある程度会社に慣れた人間はふてぶてしくなる。
目覚めた時に「あれっ? いつもよりも日が高いな〜」と起きてテレビをつける。八時からのニュースの小倉さんが喋っていれば間違いなく遅刻だ。次に嫌々ケータイを確かめると会社の着信履歴が五件ぐらい入っている。「やっちまったか〜」と諦めてまずは顔を洗い歯を磨く。そしてゆっくりと朝食をとる。さらに身支度を整え忘れ物がないか確かめて、家の鍵をしっかりかけてから会社に電話だ。
「すいません。遅刻しました。すぐ行きます」
以前、寮に泥棒が入ったことがある。被害にあった先輩は遅刻して家の鍵をかけ忘れて貴金属をごっそりと盗られた。その為、戸締りは念入りに行う。
タクシーは使わずにいつも通り電車を使う。怒られるのはわかっている。焦ってはいけない。時間は巻き戻ることはないのだ。心を落ち着け遅刻理由を考える。理由を告げる時は余計なことを言ってはいけない。相手の怒りの火に油をそそぐだけだからだ。簡潔に明確に答える。
会社に近くなってきた。ここからは若干小走りでロッカーに向かい急いで着替える。会社の人間に見られてはまずいからだ。エレベーターに乗って呼吸を整える。扉が開いた瞬間ダッシュで店に入り
「すいませんでした! 」
全員に挨拶をして仕込みに合流する。このやり方は自分が新人だった時の不真面目で要領のいい先輩に習ったやり方である。
「一分遅刻しようが二時間遅刻しようが遅刻は遅刻だ。どうせ休憩時間返上で働くんだから。朝食ぐらいしっかり食べておけよ。倒れちゃうよ」
全く反省していない態度であるが、実は正しいのかもしれない。自分がいなくても会社は普通に営業している。誰かがいなければ誰かが代わりに行う。当たり前のことだが会社人間はこの真理になかなか気づけない。
「俺がいなければ、会社が回らないんだ」
天狗になりのぼせ上がる先輩を何人も見てきた。だいたいナルシストで鏡に映った自分の姿を見て悦に浸っていた。後輩に対しても同じ仕事のモチベーションを要求して説教をする。でも自分で起業する度胸はない。
休憩時間に入るとコンビニで各々が後輩をパシリに使い買い物を頼む。もちろんお金は支払うので安心だがやはり面倒臭い。
「炭酸でさっぱり系と何か小腹にたまるもので千円以内で」
「何か新作のアイスお任せで」
「体のことを考えてダイエットコーク! 」
パシリのセンスが問われ気に食わないと文句を言われるのでコンビニで吟味して選ぶ。
「確かあの人辛いの苦手で、新作好きの割には保守的だからな。どっちがいいかなぁ? あ〜、 面倒くせっ! 」
お駄賃としてお釣りをいただけるが中にはケチな奴もいて「レシート見せろ」と確認を必ず取る者もいた。好みがうるさくこだわりが強い者が多い。
戻ってくると「ボンスター」と呼ばれる金属たわしで鍋を全部磨いていく。手袋をして水を少量と洗剤を少しだけ混ぜ、力をいれずにクルクル回すようにして磨くのがコツだ。小さい鍋から始めて大きな鍋に移っていく。ピカピカになった鍋を重ねていくのは実に爽快で病みつきになる。
休憩時間が多い時はみんなが包丁を研ぎ始める。荒砥から中砥、仕上げ砥石へと移行して包丁を研いでいく。仕込み用の包丁からカウンター用の包丁を時間をかけて手入れしていく。みんな真剣になり包丁の研ぐ音だけが厨房に響いていく。私はそれを横目に必死になって鍋を磨く。
「おっ、やってるね〜」
店長が嬉しそうに話しかけてくる。店長はなぜか上半身裸で包丁を研ぐ。意味不明だが六〇代にしては均整のとれたいい体をしていた。健康マニアでよく独自の体操をしていた。非常に暑苦しい。
休憩時間が終わり食堂に従業員が食べにいく時間だ。本来であれば電話番で後輩を一人残しておくのだが、遅刻者がいる場合はその限りではない。みんなが帰ってくるまで夕方の仕込みを行う。
ようやく私も飯にありつけて一息つく。このようにして遅刻の罰を償った。この店では板前が遅刻しても掃除や鍋磨きをする雰囲気があり、強制ではないが全員が渋々行っていた。前の店ではなかったことなので感心したものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます