第8話 飲食の窓際
入社式の時に居眠りしていたNさんはまだ働いている。彼は和食の親方に誘われて店に入社したが一緒に働いて喧嘩してしまい和食部門をクビになった。
「寿司を一から勉強したい」
社長に直談判して店に残ったが、別に我々と一緒に出勤するわけでもなく遅く出勤して仕込みを行う。だいたい毎日同じような仕事をしているので技術の進歩はない。
たまに和食の仕事もするが決して出来栄えはよくはない。煮物、焼き物がはっきり言ってまずい時もあった。包丁さばきも大したことはない。
営業中でも裏方でよくミスをして我々を困らせていた。ひどい時には立ったまま居眠りをしている時もあった。器用な男だ。膝が悪くしゃがめないので足元の冷蔵庫の食材も取れない。四十過ぎのベテランなので叱るわけにはいかず
「もう〜、Nさん、お願いしますよ〜」
というので精一杯だった。体も大きく狭い厨房では場所をとり、我々は通りにくくイライラする。下っ端からスタートしていないので物がどこにあり、何を準備したらスムーズに営業が回るのか全く考えていない。
「お前ら、俺をうまく使えよ」
Nさんはよくこう言った。だったらそれなりの仕事に対する態度があると思うのだが本人は全く悪びれない。人間的には悪い人間ではない。明るく社交的で可愛いところもある憎めない人物だった。
賄いを食べる食堂で和食の親方と鉢合わせする。
「お〜お〜。仕事もできないのに飯だけはしっかり食べて偉いね〜。俺だったらゆっくり食べずにさっさと仕事に戻るけどな〜」
親方の嫌味が炸裂するがひたすら無視していた。このやり取りは二人が会うたびに行われたがNさんは黙って耐えていた。一度尋ねたことがある。
「なんであそこまで言われてるのに耐えれるんですか? Nさんにもプライドがあるでしょう? 言われっぱなしでいいんですか? 」
あまりにしつこく親方が絡んでいるので、見ていられなくなり思わず言ってしまった。
「もう俺もいい歳だ。体もあちこちガタがきてるし無理はできない。ここなら給料はいいし、体のことを配慮してもらって働ける。この歳じゃ転職はできない。また人に使われるのは目に見えてるしな。俺の腕じゃそんなものさ」
数々の店を渡り歩き苦労してきたNさんは店に骨を埋める気でいた。自分の技術不足も分かっていて、起業するような野心もないベテラン職人の身の振り方だった。
嫌味を言われても、こき使われても、辞めずに働き金を稼がなければ生きてはいけない。泥水をすする覚悟を決め腹をくくって働いていた。向上心はないが、とりあえず働く。ちなみに独身だ。
当時の私はその考えを理解できずに嫌悪していたが、三十を過ぎて長く同じ業界で働いていると考えも変わってきた。
結婚をして家族ができて守るものができたり、身体にガタがきて体調を悪くしたり、このまま使われていいのか? と起業を考えて見たり、常に職人は将来の不安を払拭ながら夢を追っている。
Nさんのように自分に見切りをつけて軌道修正をする方も当然出てくる。若い頃のように体力が続くわけではないのだ。良い事ばかり続くわけではなく、悪い事も長い人生では経験するのだから。
人それぞれ自分の器量を理解してそれなりの生活を続けていく。体を張ってお金を稼ぐ者の宿命である。
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