第4話 感動

 テレビを見る時間も減って新聞も読まなくなり、世間の出来事に疎くなってしまった事に危機感を抱き始めた。仕事はハードな長時間の肉体労働で楽しみは同期との飲み会だけだ。


 休日に一人でキャバクラに行くほどハマっている先輩がいて、私たち後輩を飲みに連れて行ってもらった。ちなみに先輩は翌日休みで、私たちのほとんどは仕事だったが文句は言えなかった。


 まずは築地近くの深夜まで営業している寿司屋に連れて行ってもらった。古いが伝統を感じさせる大衆的な店だが安っぽくはない。生まれて初めてのカウンター席で緊張する。


「俺の後輩たちです、お任せで握ってください」


 先輩が顔見知りの板前に注文する。


「なにか苦手な食べ物、アレルギーはあるかい? 」


 みんなが黙って首を振る。ビールで乾杯してお通しの穴子の煮こごりの旨味に感動しながら、握りが一貫ずつ目の前の皿に置かれる。全てが新鮮で江戸前の仕事がされた素晴らしい寿司だった。板前の包丁さばきにも釘付けになる。全て美味しかったが特に衝撃を受けたネタは赤貝だった。


 殻付きの生きた赤貝を剥いて、下処理して飾り包丁を入れてからまな板の上に叩きつける。そうすると赤貝が刺激を受けてウネウネと反り返り、新鮮なネタである証とお客に対するパフォーマンスとシャリが握りやすくなるのだ。


 板前が煮切り醤油を刷毛で塗り、目の前の皿に出された握りは淡い照明の光に反射して宝石のように輝いていた。手でつまんで恐る恐る食べると弾力のある食感と芳醇な香りが鼻を抜けて、シャリが口の中でホロホロと崩れる。絶品だった。


 今までお恥ずかしながら回転寿司で流れてくる死んでクタッとなった冷凍物赤貝しか食べたことがなかった。痛んで匂いがするネタにも当たったことがある。本当に衝撃的で未だにあの味は忘れられない。というわけで私が一番好きなネタは赤貝であり、貝類や烏賊、蛸などのコリコリ感も大好きになった。


 大満足で店を後にしてタクシーに乗り二軒目に向かう。先輩行きつけのキャバクラだ。薄暗く怪しげなシャッター街を抜けて、先輩が呼び込みの兄ちゃんに声をかけて交渉している。


「可愛い子いる? 」

「今なら大丈夫です。マンツーマンで女の子つけます」

「大人数なんだから、一時間二千円にしてよ」

「いや厳しいですね。三千五百円なら大丈夫です」

「高いね。もう少し頑張ろうよ」


 店のスタッフとケータイで連絡を取る黒服の兄ちゃん。


「分かりました。一人三千円でどうです? 」

「二千五百円! 」


 先輩が粘り黒服が苦悩の表情を浮かべる。


「分かりました。二千七百円でファーストドリンク無料にします。これで勘弁してください」

「どうする? ここは割り勘にするけど」


 先輩が皆に聞いてくるが、そもそも土地勘がないので相場がわからない。ついて行くしかなかった。古びたエレベーターで上がった五階にその店はあった。店内も薄暗くこじんまりをした店で他の客がカラオケで盛り上がっている。


 ふかふかのソファに座り手持ち無沙汰でキョロキョロしていると黒服がおしぼりを持ってドリンクをどうするか聞いてくる。ビールを注文してしばらく待っていると女の子がやってきた。


「お邪魔しま〜す。ちょっとなんで固まって座ってんの! 一人分づつ開けてよ!」


 明るそうな女の子が笑いながら注意してくる。同期全員で顔を見合わせ「そんなもんなのか? 」と目で訴えてから男女交互に座った。


「まずは乾杯しようか」


 先輩が音頭を取り軽くグラスを重ねて弱々しく乾杯した。隣についた女の子が話しかけてくる。薄暗いので肌の質がわからないが声が若い。大胆な紫色のドレスに身を包み肩を露出してロングスカートからチラリと生足が露出して怪しく光っている。


「初めましてアスカです」

「どうも、〇〇です」


 思わず敬語で本名を名乗ってしまった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る