第5章 職人三年目
第1話 出張
たまに自宅のお客様の家に呼ばれて板前と共に私たち下っ端も運転手兼雑用係で連れて行かれる。
まな板、はけ、醤油差し、塩皿、醤油皿、ネタケース、ガスバーナー、焼き網、箸などの小道具類。
浅葱、もみじおろし、すだち、大葉、白つまなどの野菜類。
シャリ、握りのネタなどを切りつけておいて現地ですぐに握れるようにして万全の体制で準備しておかなければならない。前日のうちに道具は準備しておけるが食材は当日に集める。しかしこれがなかなか至難の技だ。
仕込みで殺気立っている人間の間をすり抜けて食材を集める。中には快く協力してくれる者もいるが、ここぞとばかりに逆に頼み事をしてくる先輩も多い。
「暇そうだね。ついでに地下から野菜とってきてよ」
「今手が離せない。内線でて用件聞いてくれ! 」
「ちょろちょろするな! 邪魔なんだよ! 」
三年目に突入し慣れた私は先輩一人一人の性格、仕事の特性を理解して前もって先手を打つ。
「はい、これ朝セットで必要ですよね? 用意しておきました」
「いつものコーラですよね? 冷蔵庫に冷やしてあります」
「この前の飲み会で僕がお金立て替えましたよね? 僕と先輩の中じゃないですか〜。そんなこと言わずにちょっと野菜分けてくださいよ〜」
先手必勝、相手の弱みをつき、可愛い後輩を装って少しづつ食材をコンプリートしていく。関西弁の奴にも文句を言われないように営業の仕込みもギリギリまで手伝いアピールもしておく。哀しい習性だ。
シャリも出発直前に炊き上げるようにセットしてお酢と馴染ませておく。ランチ営業終了後に階段近くに荷物を用意しておいて、駐車場から玄関に車を回して一気に運ぶ。ヒノキのまな板はダンボールで包んで傷がつかないようにして、下ろす順番を考えて荷物を詰めていく。引越し業者と同じだ。
ビルが自宅という方がいた。地下二階が駐車場で一階から五階がテナント、そこから屋上までが自宅という大金持ちの方だった。
ビルなのに部屋の中には川が流れ橋があり植物が咲き乱れている。板前がいつでも出張できるように業務用キッチンが置かれて、来客の為に会食ができるヒノキのカウンターまで設置されていた。ムーディーな曲が流れて窓の外には大都会の景色が広がっている。成功者の証だった。
またある時には閑静な住宅街にやたら広い敷地の近代的な住宅にお邪魔した。メイドと執事が現実に存在してサポートしてくれる。パーティーが始まると生演奏でドレス姿のプロの音楽家がコンサートを開く。壁には数メートルに及ぶレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のレプリカが飾られていた。
「水は高い所から低い所へ流れるが、お金は逆なんだよ」
ベテラン板前が得意げに言った。都会には常識では考えられないお金持ちがゴロゴロいる。
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