第2話 ワイン
ホテルには数人のソムリエたちが常勤している。店には日本酒、焼酎、生ビール、瓶ビール、ソフトドリンク、ミネラルウォーターは置いてあるがワイン関係になるとソムリエがやってきてお客様に注ぐサービスを行う。
お客様にワインについて尋ねられても板前は完璧には説明はできない。そこで変わりに説明しながら接客もするのだ。常連のお客様の中にはお気に入りのソムリエを指名し呼びつける方もいる。その度に中華、洋食、和食の店にワインセラーからワインクーラーと共に走って駆けつけるなかなかの重労働だ。
生オレンジジュースをお客様が注文するとワインセラーに私たちが走り、ソムリエが小さなまな板とナイフでオレンジをカットして手でグラスに絞らなければ店に持っていけない。そのためソムリエが出払っているとお客様を待たしてしまい、つい勝手に調理したくなるがその厨房はソムリエの聖域であり勝手なことはできない。私達は内線で他の店に連絡を取りソムリエを探さなければならず、あちこち探す旅に出てしまう事もあった。
各宴会場や他の店での混み具合を予測しソムリエを探す癖がつきホテル内部に詳しくなる。人に聞いて情報を集めるため、他のセクションの下っ端と自然と仲が良くなり人脈も広がっていった。
ある常連のお客様がいた。その方がホテルに来店するとフロントからマネージャーに連絡が入り店にも情報が伝わる。
「冷えたシャルドネを用意しろ」
ワインにうるさい方で栓を抜いて少しでも酸化したワインや、適正温度ではないワインには敏感に反応し容赦無く騒ぎ立てる。
「このシャルドネ、美味しくないね! 違うの持ってきてよ! 」
決まった板前、ソムリエ、マネージャーが接客しないと不機嫌になる大金持ちであり、ホテル関係者は邪険に扱えないため粗相がないように慎重に対応する。食べ物の好みもうるさく食材にも詳しいため、クレームをつけるときは容赦しない。
「今日の刺身脂が乗ってなくて美味しくないね。誰が作ったの? 」
「この焼き物火入れが強すぎる。誰が焼いたの? 」
その度に板前と担当した裏方が謝罪に出向いて平身低頭した。はっきり言って誰もが相手にしたくないお客様だった。
新人のソムリエが運悪く担当してしまいミスをして怒られる。
「君、本当にソムリエ? こんなワイン用意してさ〜。 俺のこと知らないの? 出直してきなよ」
営業中の満席の中でも高音の耳障りな声が響くために、他のお客様も顔をしかめる。騒ぎを聞きつけたマネージャーが来店してやっと騒ぎが収まる。怒られた新人は憔悴していた。さらに上司のソムリエにも叱られる新人。
私が備品を取りに倉庫に行くとその新人が泣いていた。
「畜生! 畜生! 」
顔を伏せ小さく叫んでいたが、やがて顔を上げて手鏡で身だしなみを整えると戦場に戻って行く。逃げることはできないし、ひとつ勉強したと思うしかないのだ。二度と同じミスはしない。彼は肝に銘じそこから私生活が変わったらしい。
休日は必ずバーに立ち寄ってワインの知識、接客、仕草を吸収した。本も読んで様々なワインに合う料理の知識も学び、時には有名店に食べに行くようになった。
数年後、彼は自分の店を開く事になるが当時はまだ誰も知らない。ソムリエの世界も職人肌の似通ったところがあった。
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