36 グミと昆布で煌めいて

「朝浦さん、すみません」

「どしたの、唐木さん」


 アーモンドチョコをつまんでいた彼女に声をかける。

 役職のない、現場のリーダー格の人。40前後、パーマをかけた茶髪に、大きめの胸が強調されるニットのセーター。


 2月下旬ともなると、採用チームの人ともだいぶ打ち解けてきた。


「あの、システムのマニュアルに書きたいことがあって、質問を」


 途端に不機嫌そうに眉を曲げる。浜田さんのこと嫌いだから、彼が関連してる仕事は何でも憎く見えるんだよな……。


「今って、部門の部長が最終面接して、内定の人の給与決めるじゃないですか。その給与で問題ないか、人事部長に承認回す場合と回さない場合があると思うんですけど、それってどういう条件で分かれてるんですか? 管理職の場合とかですか?」


 んんーと軽く考える朝浦さん。え、悩む要素があるの。


「特に決まってないよ。これ高すぎないかなあ、とか採用チームが判断したら回すの」

「……そうなんですね……ありがとうございます」


 仕方ない、次の採用チーム定例会議のときに話して、統一ルール作ろう……。

 文道社のときみたいに、業務を統一するところから始めた方が良いような気もする。




 今週の土曜から3月に入り、来週から採用チームへの操作トレーニングも始まる。


 肝心のマニュアルはといえば、開発側との打ち合わせ等々で遅々として進まず、各部門の社員向け・システム管理者向けのマニュアルは一旦後回し。

 近山さんと一緒に、採用チーム全員向けのものを分担して作っている。


 とはいえ、まだまだ詳細不明の作業や暗黙のルールが盛り沢山。都度チームの方々に聞きながら、牛歩でページ数を増やす日々。




「唐木さん、トレーニングも進め方考えなきゃですね」

 机に置かれたグミを食べながら、近山さんが溜息で話す。7割ブレスの3割声。


「そうなんですよ……回数と1回の時間と進め方と……あとみんなが触れるようにダミーのデータも用意しないと……」


 差し出されたグミを口に入れた。噛み応えがハードで頬が疲れる。



 最近、近山さんと俺のお菓子の消費量がえげつないことになっている。「こんだけ働いてるんだから、このくらい良いだろう」という歪んだご褒美精神が購買意欲を駆り立て、空いてもいないお腹を満たしにかかる。

 近山さんはグミ、俺はおしゃぶり昆布がお気に入り。



「働くって大変だ」

「大変だ」

 大丈夫、まだ大丈夫。負けない、ここで折れていられない。




***




「それでは、今日から2時間ずつ4回、『リクルートドック』のトレーニングを行います。よろしくお願いします」


 週明けの月曜日はあっという間に来た。1月にも使った大きな会議室を借りて、メンバー全員が座る。円藤さんは人事部長と別件の打ち合わせ。


「今日はログインとユーザー情報変更、そして、『部門から依頼されて求人データを作る』というところまでやってみたいと思います。システムのURLは、お昼に送ったメールに貼ってあるので、まずはそこをクリックして下さい」



 どんなに高価で効果のあるシステムだって、ただのツールに過ぎない。ちゃんとみんなが使いこなして、初めて意味がある。


 なるべく分かりやすく、後で困らないように。



「……と、このような画面で求人データを作ります。ここで作ったものが、そのままサイトにも反映されて、一般の人や契約している転職エージェントの方も見られるようになります」


「あの、質問いいですか?」

 疑問より不満の方が多めなトーンで手が挙がる。


「例えば優遇する語学レベルとか、不文律的な項目ありますよね? そういうの、一般の人向けのサイトでは表示しないですけど、契約してる転職エージェントの方向けには見せたいんですよね。そういうことって出来ないんですか?」

「え…………」


 このタイミングで、まだこういう要望が来るの……?


 何なの、浜田さんはどんな要件を開発側に伝えたの? 貴方も採用活動してるんだから、こういうことは想定して伝えてくれたんじゃないの?


「浜田さん、この辺りって……」


「確かにそうですね、見せた方がいいです。すみません、気がつきませんでした」


 彼が淡々と頭を下げると同時に、場が静まる。

 いや、謝ればいいっていう段階にないんですけどね、正直。

 おい昆布だ、誰か俺におしゃぶり昆布をくれ。



「えっと、一応開発側に確認してみます。間に合わなかったら、4月以降に順次対応していきましょう」


 トレーニングが進む度に、こうして質問という名の新たな要望やルールが出てくる。


 課題管理表に追記するものの、その打鍵はストレスのせいかバチバチと嫌気がさすような音を奏でていた。





「疲れた……」


 自席に戻り、肘を枕にしてぐったりと机に突っ伏す。20時終了の予定が、質疑応答やその場でのディスカッションが混じり、21時。


 このトレーニングがあと3回。控えめに言って、厳しい戦いだ。


「さて、また結構システム直さなきゃって感じですね」


 グミを差し出してくれる近山さん。


 そう、俺が出来る範囲で、選択肢のプルダウン直したり、項目追加したりしなきゃいけない。それをまたマニュアルに反映して……先が見えない。

 ああ、グミ美味しい! グミ美味しいなあ!




 と、円藤さんから着信。絶対にいい知らせじゃないだろうから、一瞬取るかどうか迷った。


「えっとですね、2人に朗報があります。今月からタクシー代が経費でおりるようになりました」

「……そうですか……」


 それが何を意味するか、瀕死の頭でもさすがに分かる。


「でですね、今日データ移行について話したいんですけど、ちょっとこっちの会議も長引きそうで……23時半から会議いいですか」

「早速タクシーが活きますね……」



 麻痺した脳は、ワークスタイルの異常なんて感知しない。


 とにかくやる。やらなきゃいけないから、走り続ける。

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