20 消えかけの自分を
「ぐうう……これじゃないかなあ……ぐうう……」
言葉と呻き声が合わさった独り言をA4縦の方眼紙にこぼす。
紙には殴り書いたアイディアの種が、マス目を全く無視して踊り狂っていた。
最終報告日、当日の朝。夕方にクリンダ社訪問なので、昼に橋上さんと最終の打ち合わせをして、修正後に印刷というスケジュールだ。
で、10時現在。まだ社長に伝えたい内容は見出せないでいる。候補は幾つかあるけど、自信を持って「これだろう!」というものに当たっていない。
何だろう……社長は忙しいだろうから、パッと見で分かるように人事制度の変更のポイントをまとめてあげればいいのかな。
それともアレか、この制度をうまく運用するためのポイントみたいなものを提示してあげるとか。
いや、逆の発想か? クリンダ社へのお礼を書き綴るとか? 落ち着け唐木、それは逆の度が過ぎる。
「カラさん、大丈夫ですか……?」
苦悶の表情を浮かべる俺を心配する長石に「なんとかする……」と返すのが精一杯。
髪を掻きながら、方眼紙に書き加え、2本線で取り消し、候補になりそうなものをメモ帳に打って言葉を練る。
はっきり言えば。もうクリンダ社のことそれ自体など頭から半分抜け落ちている。
橋上さんに怒られないか、正解に近いものを提出できるか。問題はそこだ。
コンサルタントがそんなので良いのかと言われたら返事に窮するけど、それでも人間、怖いものは怖い。怒られないようにやる、っていう仕事の仕方だって、結果的にちゃんとやってるんだから間違ってはいないはずだ。
「……よし、これでいく!」
スライドが出来た。これが正解なのか、正直自信はない。でも、少なくとも自分で「何故これにしたか」は説明できる。うん、これでいこう。
「さて、宿題の成果を見せてもらおうかな!」
お昼の打ち合わせ。橋上さんが笑顔で会議室に入ってきた。いいんですよ、そんなにテンション高く来なくても……。
「えっとですね、色々考えたんですけど、このスライド1枚で『今回の人事制度の骨子』と『今後整備した方が良い内容』をまとめました。社長は永田さんから話は聞いてるかもしれませんけど、制度の詳細を見るのは初めてだと思いますので、まず骨子を載せています。それから、『今後整備した方が良い内容』というのは、我々の次の提案に繋がるかもしれない、ということで、パートから正社員への登用制度などを挙げています」
緊張が口にも感染し、間が怖くて一気に話す。橋上さんは黙って頷いていた。うん、反応は悪くな――
「20点だね」
……マジか。これだけ考えて赤点かよ。
「あのね唐木さん。考え過ぎて視界が狭くなってる。一番ダメなパターンだね」
俺は真っ直ぐ彼を見られなくて視線を僅かにズラし、長石はそんな俺と橋上さんを交互に見ている。
「社長だからポイントを提示するっていう姿勢は間違ってないよ。でもね、昨日も言ったけど、人事制度の説明をして社長が興味持つと思う?」
「いえ、そこまで持たないとは思いますけど…………」
意味を図りかねて黙っていると、橋上さんが「だからね」と口を開いた。
「人事制度っていうステージだけで話しても興味持たないんだよ。『経営的にどうだ』っていう言い方をしてあげないとダメなんだよ」
あっ…………。
「例えばさ、ちゃんと等級とか役職を定義しました、って書いてあるけどそうじゃじゃないんだよ。『定義したから、社員を柔軟に昇格・異動させやすくなりました』とか書いてあげれば、経営としてプラスになってることが分かるでしょ? そういうことなんだよ」
「なるほど……」
目から鱗。本当に。まったく考えつきもしなかった。
「制度なんていうのはさ、ただの仕組みなんだから。その前提の『それが会社にとってどんな良いことなのか』を出してあげないとダメだよ。それが出来ないと、唐木さんは一段階上のコンサルにはなれないな」
「そうですね、すみません……」
もう謝るしかない。
悔しい。昨日からあれだけ時間をかけて、視野狭窄になって、ここに辿り着けなかった自分が情けない。怒られたことより、よっぽどダメージが大きい。
「えっと、方針は分かりました。では私の方でスライドをドラフトして――」
「いいよ、今回は時間ないから、僕が書く。後で中身見て勉強して」
「……分かりました」
「じゃあスライド出来たらメールで送るから、差し替えて校正して印刷お願い。よろしくね」
こうして会議は終了して、会議室から出る。
あんなに不味かったコーヒーが無性に飲みたくなって、自分にはあのコーヒーがお似合いな気がして、PCを左腕で抱えたまま自販機に小走りした。
「ふう…………」
これでプロジェクトは終わり。橋上さんのスライドをチェックして、印刷して、報告して、それで終わり。
あまり良いバリューは出せなかった気がする。橋上さんの期待した通りには動けず、長石にはキャリアで嫉妬までして、しんどいプロジェクトだった。
「あの、カラさん、ちょっと質問があるんですけど」
長石が印刷した資料を持ってきた。
「ここの評価調整会議って、なんで2部構成にする必要あるんですか?」
「ああ、お前が疑問に思うなら補足説明追記した方が良いかもしれないな。課長が退席しないと、課長の評価できないだろ? だから構成分けてるんだよ」
「なるほど!」
確かにそうですね、と明るい声を紙にぶつけながら赤ペンで書き込む。
今の俺にも、してあげられることがある。
消えかけていた自己肯定感を無理やり持ち上げる。
落ち込む原因が自分なら、立ち上がるのも自分の責任。自己再生だって、サバイブするために重要なスキルの一つ。
『まあ、君には君の人生があるってことさ!』 仰るとおり。誰のこと羨んだってそれで自分が好転するじゃなし、歩いていくしかないってことさ。
「長石、日本酒好きか? 銀座に良いところが――」
「今日報告終わったら行きましょう!」
「台詞を奪うなよ」
面倒見の良い先輩でもなければ、色恋の始まりでもない。
俺の酒に付き合ってもらって、少し話を聞いてやるだけだ。
どうせ彼女の才能と未来に嫉妬もするだろう。帰り道は1人で僻みを爆発させるだろう。
それでいい。一緒に飲む代償だ。何日かして、必死で立ち直ってやるんだ。
ネガティブを酒で流して、そしてまた、明日から新しい何かが始まる。
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