35 乾杯のご発声は

「よし、とりあえずここは改修完了、と……」

 

 ケーラー社開発陣からのメールに丁寧にお礼を返信し、Excelの課題管理表に画面を切り替える。

 該当するものを探して、ステータスを「完了」に。条件付き書式で一気にグレーアウトするのが気持ちいい。



 冬本番の2月中旬。今年は東京も冷え込みが厳しく、初雪は2週間前にうに終えてしまった。

 スマホ対応の手袋なのに反応が鈍く、新橋から神原のビルまで手袋外して歩いていたら、かじかんでキーがうまく打てないという悲しさ。



 先月鬼のように出まくった課題を潰す日々。開発側に直してもらえるなら改修を依頼し、難しければ「どうやって運用でカバーするか」を考える。


 例えば、今やろうとしている、<メール振り分け>



「唐木さーん」

 下を向いて考え込んでいる俺に、円藤さんがヒラヒラと手を振って注意を向ける。


「近山さんの手が空くので、しばらく一緒にやって下さい」

「あ、助かります……」

 ふつつかものですが、と近山さんは大仰に頭を下げてみせた。


「で、何をやればいいですか?」

「一緒に実験手伝って下さい。メールの振り分けテストしたいんです」

「振り分け?」


 嗚呼、この、口に出すだけで辛い内容を言わなきゃいけないんだな。彼に近寄り、声をひそめる。


「サイトから応募があったら、応募があったのがどの部門でも採用チーム全体に通知メールがいっちゃう仕様じゃないですか」

「ああ、そこ開発側で修正は間に合わないんですもんね」


 溜息をつく近山さん。浜田さん、あなたの負の遺産がうずたかく積まれてますよ。



「で、その通知メールの件名って、応募した部門ごとに変えられるらしいのね」


 それはシステムじゃなくて会社の採用サイト側の設定変更の話だからね。


「だから、メールの受信設定で件名振り分け条件とか作って、みんなが自分に関係あるメールだけ見ればいいようにしたいわけですよ」


「なるほど。そういう設定が出来るかどうか試すのね」

「このメールソフト使ったことないから、IT部門に設定方法聞いてからね……」


 年が近いからか、一緒に重荷を背負っているからか、いつの間にかタメ口も混じるようになった。


 さて、条件設定して、テストして、問題なければ採用チームにも同じように設定してもらいましょう。





「久しぶりにお昼外でどうです?」


 短針が華麗に1を駆け抜けた頃、財布をジャケットの内ポケットに入れながら近山さんに声をかける。


「いいですね。あれ、そういえば円藤さんは本社?」

「そう、社内会議で戻りましたな」


 シニアマネージャーともなると大変だ。社外の仕事の他に、社内の業務も山ほどある。


「どこに行きます?」

「午後少し余裕あるし、バイキングいきましょう」

「いいですね」


 凍てつく街を小走りで抜けて、大型商業施設の2階へ。ランチバイキングも、この時間になるとさすがに空いている。



「おっ、今週は中華・韓国か」


 週ごとに替わるバイキングのテーマ。もちろん洋食もあるけど、細長く陣取られた配膳台の中央には、エビチリやタッカルビが並んでいた。


 良かった、タイ料理とかだったら、食べられるのガパオくらいしかないからな……。



「いやあ、厳しい戦いだ」

「厳しいですね」

 オレンジジュースのグラスをぶつける。こんな乾杯のご発声はあまりお目にかからない。


「木曜にして今週初めての外食ですね」

「確かに。昨日まで午後イチのミーティングばっかりでしたからね」

 言いながら、近山さんが麻婆豆腐をれんげで掬う。


「もっと優雅な昼を過ごしたいですよね」

「唐木さん、こんなんでいいんですか私達は」

 ノンアルコールでも止まらない愚痴。


「油っこい中華をこんなに摂取するなんて」

「太りますよね」

「でも仕方ない。ストレスと戦うためだ」


 人間には2種類しかいない。ストレスで食べられなくなる人間と、ストレスで食べたくなる人間。

 俺も近山さんも完全に後者だ。なんなら今すぐに日本酒を飲みたい。



「ダメだ! エビチリが俺を呼んでいる……っ!」


 こうしてストレスと誘惑に負けた人間が1人、皿を持って大皿へ向かうのだ。

 あーあ、暇になったら運動しなきゃ。





「マニュアル作成をやらないとなんだよね……」

「…………円藤さん、今なんと……?」


 西日の猛攻をブラインドが阻む頃、苦味成分多めの苦笑いを披露した円藤さんに、近山さんとゆっくり聞き返した。


「採用チーム向け、チームの中のシステム管理者向け、あとは各部門の面接を担当する社員向け、この3つかな」


「え、あの、は、ちょっと待って下さい。ケーラーが作ってる操作マニュアルがあるじゃないですか」

 その質問に、我が上司は残酷に首を振る。



「あれはもともと、導入する前に動きテストするための汎用的なヤツなのよ。画面とか一部違ってたでしょ?」

「確かに……」

「ケーラーとの契約では、マニュアルは神原側で作ることになってるんだよね」

 で、神原の代わりにストレイブルーが作りますってことですか。


「それで、操作マニュアルじゃなくて、業務マニュアルにしたいの。違い分かります?」


 近山さんが「はい……」と力無く回答した。


「画面操作だけじゃなくて、『こういう風に業務進めてね』って説明も加えるってことですよね」

「ビンゴ」


 おめでとう、近山さん。何か商品もらえるかなー、マニュアル作成権しかもらえないかなー。



「じゃあそっちも徐々に着手しますけど、円藤さん、これいつまでに仕上げるんですかね? あと1ヶ月くらいですか?」

 3月上旬に完成させて、導入までの半月で最終チェックってところかな。


「いや、一旦2月下旬だね」

 おーい、メンタル。なんかすごいスケジュール来たぞ。生きてるか、大丈夫か。



「採用チームにマニュアル配って、操作トレーニングしなきゃいけないし。トレーニングしながらマニュアルも修正してく感じかなあ」

「そういえばありましたね、トレーニングとか……」


 まだシステムの改修も完了してないのに。課題も全部潰しこんでないのに。


「そういうわけで一緒に頑張りましょう。私も人事部長と採用戦略詰めなきゃ……終電までで終わらせたいな……」


 そう言って、0円コーヒーを啜る円藤さん。今まで欠片も戦略がなかった会社の戦略を策定するのは、負荷も大きいだろう。



「近山さん、マニュアルの構成、ディスカッションしましょう」

「で、分担決める感じですね」


 気温も下がって手を擦り合わせる。


 さあて、熱量高めにやらないと、タスクも凍って滞るぞこりゃ。

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