14 花を咲かせる金曜日

「っし、終わった!」

 19時半、資料をメールで橋上さん・長石に共有し、小声で叫ぶ。

 今日は花金、花の金曜日。そして酒の金曜日。


「やべ、やっぱり20時だな……」


 今日は新橋で、大学のサークル同期の飲み会。毎年8月上旬のこの時期に、定期会のような感じで開催されている。


 とはいえ、開始は19時。日時調整のときに「俺は仕事の都合で20時くらいになりそう」と宣言したにもかかわらず、「みんな19時から飲めるし、柊司は20時に設定しても仕事で延びる可能性があるから」という理由で華麗にスルーされた。もっと俺を労う姿勢があってもいいんじゃないでしょうか。



「お先です」


 誰に言うでもなく呟いて退社し、東京駅で京浜東北線に飛び乗って2駅。


 新橋のSL広場付近は金曜らしい盛り上がりで、「仕事なんか忘れて飲めばみんなハッピーだよね」という平和と堕落の入り混じった空気が街を包み込んでいた。



 えっと、ここを奥に行って右、右……お、このビルだな。


「いらっしゃいませ」

 上から下まで居酒屋で埋まった堕落の象徴のようなビルの3階、和風居酒屋で予約の名前を告げると、奥の部屋に通される。


「うっす、遅れた」

「おー! 柊司きた!」

「おそーい!」

「とりあえず生でいいな?」


 飛び交う声に反応しながら席に座る。他の大学も合わせて同期20人のうち、12人が集まっていた。




 動画・映画制作サークル「大創動おおそうどう」。うちの大学はそこまで学生数の多くない国立大だったけど、近くの大きな私立や女子大とインカレのサークルで、4学年80人くらいの大所帯。


 自分の性格上、完全に溶け込んでたとは言えないけど、何となく映画も創作も好きだったから、4年間所属して映画の撮影や編集を担当した。




「じゃあ柊司も生も来たところで、改めて乾杯!」

「おつかれさまー!」


 ガチンガチンとグラスをぶつけて、僅かにフローズンが浮かぶビールを喉に流し込む。ショリショリした氷の後に押し寄せる、冷たい麦の香り。


「カーッ! 美味いっ!」


 ドンッとグラスをテーブルに叩き付けた。うん、やっぱり花金はこうでなくちゃ。先週は18時頃仕事が降ってきて、彼岸花みたいな金曜だったからな。



「何、柊司また仕事だったの?」

「ああ、まあね」

 一番手前のテーブル。俺が撮影チームを組んでいた3人が集まっている。


「相変わらず忙しい職場だなあ。うちなんか、よっぽどのことないと残業の許可おりないよ」

 主に役者を担当してた栗原。彼女は大手精密機械メーカーの営業部門にいる。


「いやいや、栗原。早い時間に帰る方が良いって。夜何でもできるんだぞ?」

 俺はせいぜい、海外通販のオープニング見て何の商品か当てるくらいしか出来ないんだから。


「栗原の方はどうなの? 大変?」

「んん、社内の方が大変かな。技術部と営業がうまくいってなくてさ」

 だし巻き玉子を頬張りながら答える。マニキュアにほんの少しだけ混ぜてあるラメが、俺の目を指先に見蕩れさせた。


「まあ特に精密機械みたいなものだと、開発してる技術部門の力が圧倒的に強いからな。変に力関係できちゃうから生産も営業もやりづらいと思うよ」

「そうそう。マイスターみたいなプロの技術屋さんもいるんだけど、だんだん定年近づいてくるから技術伝承してほしいんだけどね。なかなかなあ」


「したがらないよな。下に技術引き継いだら自分の仕事奪われちゃうし、『自分しか出来ない』ってプライドもあるし」

 おおお、と栗原が目を丸くする。


「やっぱり詳しいねえ」

「仕事柄な」

 入社して3年半で色んな企業を見てきたから、大体の業界の話にはついていける。コンサルの特技、というか特殊スキルみたいなもんだ。




「あ、そうそう! 俺、ギター習い始めたぞ!」

 ご丁寧に挙手をして発言する桐原。自分から動いて人生を楽しむ感じは、リーダーとして監督をやっていた頃から変わってない。俺にも少し分けてほしいくらい。


「私も中国語習い始めた。え、ギターって月いくらなの?」

「俺、実は趣味で色彩コーディネーター取ろうと思ってるんだよね」

 近くにいたみんなが、習い事や資格講座の話題に花を咲かせる。


 俺は付いていけない。日々をなんとか生きるのが精一杯で、そんなこと考えたこともない。週1回の習い事? ミーティング入ったら無理じゃん。そこでおしまい。


 仕事ばっかりやったって、豊かにはなりゃしない。そんな思いが虚しく、しんしんと積もって、俺はグラスを一気に空にした。


「いやいや、今回は真剣なんだよ。ボーナスでギター買ったし!」

「おお、すごい! ワタシ、夏休みの旅行で使い切っちゃったよ!」


 演出を担当していた福田が、肩まである髪を手で後ろに流しながら「写真見る?」とスマホにかじりついた。


「でもよ、外資コンサルさんはボーナスたくさんもらってるだろ? このこの!」

 イノセントに肘で俺の腕をツンツンしてくる桐原に、溜息を漏らす。


「あのな、うちの会社は定期賞与ないんだぜ。業績良かったら出るんだ……」

「えっ! そうだっけ!」


 6月の12月に賞与が出る会社ばっかりだと思うなよ。成果主義の外資、ってのを盾にして、そういう文化は存在しないんだぜ。


 今年も夏季賞与時期の楽しみといったら、「サマーボーナスキャンペーン」の中吊り広告を、顔を動かして見る角度を変えて「マーボーナスキャンペーン」にして遊ぶことだなんて到底言えやしない。冷静に考えるとこれの何が楽しいんだ。



「でもさあ、仕事、面白くないよね。ホント早く帰りたい」

「そうそう。俺はオフを充実させることにした。今年ダイビングのライセンス取ったし! もう一回潜りに行きたいなあ」


 急に変わる、話のベクトル。仕事内容の愚痴というか仕事そのものへの愚痴。みんな悩んでることは近いらしい。


 こういうのを聞くと、自分は幾分幸せかもと思える。毎日違うことをやって、3ヶ月後にはどんな会社に何やってるか想像もつかなくて。

 なんだかんだ忙しいけど、変化のある毎日が、それはそれで楽しい。



「それじゃお疲れ様!」

「またねー!」


 23時近くまで飲んで解散。家まで電車で10分ちょい。近くて便利。


 でも、酔い覚ましも兼ねて、大崎から1駅先の五反田で降りて歩く。思ったより風は生暖かくなくて、ジャケットを脱いでYシャツになり、汗を乾かす。


 スマホで会社メールをチェックすると、長石から1件。

『資料のドラフトをお送りします。お時間あるときにご確認下さい』


「頑張るねえ」


 呟きが風に乗って、横の目黒川に運ばれていった。


 さて、今度はこっちが頑張る番。アフター5も決まったボーナスもないけど、この悪くないかもしれない日々を駆け抜けようか。

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