9 カッコ良くなんかねえんだよ
落ち着け、落ち着け。
よし、落ち着いたな、じゃあ1回叫ぼうか。
「っんだよ! 間違ってんじゃん! バーカバーカ!」
うし、悲哀と自責の叫びはこれにて終了。
さて、まずは状況を整理だ。
ミスしたのは、これから入ってくると予測される新卒の給料。高卒・大卒・院卒といるのに、その想定給料に金額差がない。学歴調整を忘れたってわけだ。
バーカバーカ! 何やってんだよ! でもって何このタイミングでようやく思い出してんだよ!
くそう、つい咆哮をリフレインしてしまう……。
Excelを直せば終わり、なんて単純な話じゃない。初任給の金額を直すってことは、これから10年後までのシミュレーションの新卒全員に影響が出る。
ってことは総額の人件費にも影響が出る。その人件費は最終報告書のPowerPointにも記載しているから、そっちも直す必要がある……。
時計を見る。間もなく24時。瞬時に頭で作業時間を見積る。ざっと4時間。その後、本社で最終報告書を印刷し直さないといけない。
どうする。気付かなかったことにするか。明日が最終報告で、成果物を納品するまではそこから更に時間がある。明日のミーティング中か終了後に金森さんに「すみません、さっき気付いたんですけど」って話にもっていけば大丈夫だ。うん、それで行けるはず。
その想いと相反するように、俺は部屋着ではなくTシャツを着てチノパンを履いた。PCを戻したリュックを背負い、徒歩5分の24時間ファミレスに走る。
「すみません、おかわり自由のドリップコーヒー頂けますか」
席に着くなり頼んで、面白味のないデザインのカップで運ばれてきたコーヒーを啜った。
「さてと……やるかね」
何もしなくて大丈夫、そう思ったはずのシートと、にらめっこを始める。
なんで直そうと思ったのか、よく分からない。
コンサルとしてこんなこと言っちゃ失格かもしれないけど、決して「クライアントのため」みたいなイノセントなことを思ったわけじゃない。そんなことは今は浮かばない。
上司の顔を立てるためでも、まして「こんな時間まで頑張る自分」に酔うためでもない。
寝たいし。早く寝たいし。でもそう決め込めなかった。
朝まで作業なんて擦り切れそうな心で、擦り切らないプライドが僅かに
誰のためとかじゃない。見つけたから直す。直さないと気持ち悪いから直す。ただそれだけ。
「コーヒーおかわりお願いします」
30分に1回、発する言葉はそれだけ。ボタンを押して、頼むだけ。店員さんは、金にならない客の俺にも、笑顔で持ってきてくれる。
金森さんに報告のショートメールを送ったけど、返事は来てない。いいや、このまま進めよう。
シミュレーション上で学歴ごとに初任給を変えるには、そもそも「毎年何人の新卒を採用するか」という変数に「学歴の比率はどれくらいか」という情報を加えなきゃいけない。過去の採用状況から学歴の割合を調べてExcelを更新していく。
くそっ。眠いし目も痛い。大体アレなんだよな。漫画でもドラマでも、「徹夜で頑張ってる」シーンってのは、12時くらいのあとは大抵朝に飛んでるんだよな。その間の時間帯が一番大変だってのに。そこをもっとやれよ。体のしんどさと精神状況をもっとやってくれ。みんなに広めてくれ。
早く終われ。終われ。いっそこのままでもいいんじゃないか? 逸見さんも金森さんも気付いてなかったわけだし、明日初めて気付いたことにして修正版を後で送ればいいじゃないか。
そこまで思ってるのに止める気にならない。ミスを見つけてそのままにしておく気にはならない。俺が1日徹夜すればいいだけ。なら、やればいい。それだけ。
「ぐう……うしっ!」
よし、シミュレーションシートは直った。将来の人件費予測も多少変わった。あとは報告書を直す。数字自体に大きな変動はないから、結論や考察がズレなくて良かった。
店内の時計の短針は、3に近づこうとしている。1つ作業が終わった安堵からか、図ったように眠気の波が来た。
「意外と寒いなあ」
荷物はそのままに、席を立って外に行く。一応電話に出るフリで言い訳を作りながら店を出るのが、我ながら小心者。
「っしゃっ!」
そこから住宅地に続く道を、一気にダッシュする。
全力も全力、坂だって全力。こんな残り体力が不安な状態で、体力を犠牲に眠気を消す。
『コンサルタントってなんかカッコ良くないですかっ!』
逸見さんが聞いたという、女子大生の言葉が脳内で響く。
バカめ、カッコ良くなんかないっての。
大企業の社長にプレゼンしてるような想像でも膨らませてるかい?
現実はこんなもんだ。泥臭い仕事を泥臭く長時間やって、這いつくばって眠い目で走って足掻いてんだ。
カッコ良いなんて俺は思わない。
でも、つまらないとも思わない。
大層なキャリア意識はないし、コンサルタント最高ってわけでもないけど、でもやらなきゃいけないから、責任持ってやるだけだ。
「すみません、お願いします」
「おかわりですね、かしこまりました!」
席に戻って、ノルマのようにコーヒーを頼む。スマホにイヤホンを差して、邪魔にならないBGMを流す。さて、もうひと頑張り。
***
「もう始発近いじゃんっ!」
精一杯小声を張り上げる。ああクソッ、さっき「責任持ってやるだけだ」なんて思ってた俺をこのグランドメニューを丸めて殴りたい。何酔ってんだよ。
ダメだ、疲労と眠気の第二波が来て、バイオリズムがネガティブに触れ始めた。
もう4時なんですけど。もともと4時間かかると思ってたから自分の工数見積りの精度が上がってるね、ってやかましいわ。
そろそろ終わる。後は印刷だ。ってその印刷が問題でしょうが!
あれでしょ、大崎駅から大和アドヒーシブの新橋駅まで行けばいいはずだったのに、新橋駅越えて東京駅まで行って、うちの本社で印刷・製本してからまた新橋まで戻れってことでしょ。何その非効率。オリエンテーリングのチェックポイントがゴールの先にあるみたいな。
2つ隣の大学生カップルはこんな時間までエネルギー切れずに雑談してるし、空も夜とはちょっと違う色になってきたし、もう色々と心が厳しいんですけど。
店員さん、コーヒー要らないから一緒にパワポやりませんか!
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