10 裏方の裏方で

 朝5時過ぎ。いつもより大分早い出社。それでも数人社員がいるのは、朝型だからか午前様か。あの人はヒゲが大分伸びてるから泊まってるな。


「じゃあやっちゃいましょっか」


 印刷ボタンを押して、プリンターの前へ。プリンターにフロアのセキュリティーカードをかざさないと、印刷が始まらない仕組み。印刷物取り忘れなんかのトラブルを防止するためで、個人の印刷枚数を管理する目的もあるらしい。


 ガシャンガシャンという無機質でリズミカルな音が、嫌が応にも眠気を誘う。



 結局、一睡もしないまま本社に来てしまった。万が一寝すぎて大和クライアントに行くのが遅れたら困るし、やることが終わってないとプレッシャーで良くは寝付けないもんだ。



「製本……」


 たとえ密着してる人にも聞こえないような声で呟いた。オフィスに誰もいなければ「リングだ! 専用のパンチでいっぱい穴開けて、リング通して、そしたら体休めるんだよバカめ!」と節でもつけて叫びながら作業したいところだけど、これだけ睡魔に襲われてもぱしの羞恥心はあるらしい。



 覚束ない手つきでリングを通す。もう少し器用になりたい。手先も人生も。

 ダメだ、ネガティブの泉が噴き出している。




「終わった!」


 修正資料を逸見さんと金森さんに送って、ようやく夜を徹した孤独な戦いは終了した。

 さて、6時前。9時に新橋の大和アドヒーシブ本社前だから、2時間くらいは時間があるな。


 パソコンを閉じて、スマホのアラームをセットする。音量はMAX。オフィスで大音量なんてうるさいけど、遅刻のリスクを考えたらこれが正解。


 他の人だって、寝てる俺を見れば、「ああ、あの人は仕事が終わらなくて寝不足だった可哀想な人なのね。アラーム音くらい大目に見てあげましょう。可哀想な人だし」って思ってくれるに違いない。おい何で今、可哀想って2回言ったんだ。



 これで準備完了。腕を枕にして、授業受ける気のない高校生のように机に突っ伏す。寝心地は悪いけど、このくらいの方が熟睡しないでいい。


 ふう、頑張った。元はといえば自分で蒔いた種だけど、ちゃんと自分で刈り取った。これで、なんのためらいもなく…………新橋に………………






 ジリリリリリリリリッ!

「……んおっ」


 突如頭の方で鳴ったベル音に、むくりと上半身を起こして設定を解除する。ふう、アラームに好きな曲だって選べるけど、やっぱり目覚まし時計の音が一番だよ。学生のときからこれに慣れてるからな。



 オフィスにはまだ人は少ない。みんな夜が遅いからか、朝は比較的ゆっくりだ。

「うしっ」


 リュックを背負って、ドアを開ける。また山手線に乗って、今度はさっき通り過ぎた新橋へ。やるべきことが終わったからか、さっきよりも資料で重くなってるはずの鞄が、大分軽く感じられた。






「おはようございます」

 新橋駅の銀座口を出て、大和アドヒーシブ本社へ。先に金森さんが来ていた。


「唐木さん、昨日連絡気付かないでごめんね」

「あ、いえいえ」

 朝までやったことへのねぎらいはない。そりゃそうだ、自分のミスを自分でカバーしただけだから。


「おはよ。暑くなってきたなあ」

 逸見さんも合流し、金森さんの「行きましょうか」の声でエレベーターに向かう。


 4階に行き、受付を済ませると、すぐに正面のドアが開く。相変わらず貫禄のある体型の石山人事部長。朝から聞くには少しキツいほどの明るい声。


「おはようございます! 朝早くからどうも!」

「よろしくお願いします」

「今日は部下にも聞いてもらいますんで!」

 部長の後ろに、初めて見る少し若い男性が2名。


 さて、最終報告と参りましょうか。






「いやあ、だんだん暑くなってきましたね!」

「そうですね。今年は猛暑らしいですよ」


 報告会議が終わり、資料をファイルに入れながら話す石山さんに、逸見さんが窓の外を見ながら答える。

 もうすぐ6月、梅雨も今年は寝坊気味なのか未だ気配すら見せず、今日も快晴がオフィスビルを照らす。



 次のフェーズ(=プロジェクト継続)はない。今回の話を受けて「じゃあ定年社員を対象とした雇用施策と報酬制度を設計しましょう」という展開も十分に考えられたが、予算の都合などで一旦ここで終わりとなった。

 石山さんはとても優秀な方だから自分でやるかもしれないし、また1~2年して依頼が来るのかもしれない。


 いずれにしても、このプロジェクトはここで終わり。



「いやあ、ホントにありがとうございました!」

 石山さんが、逸見さんと金森さんの方を見てお礼を述べた。2人が一礼するのに合わせて、俺も一応頭を下げる。


 いや、別にいいんだ。そういうものだから。今回、石山さんにとって、自分はあくまで「2人を補佐している部下」、会議でもそこまでたくさん発言したわけじゃないし、彼だって俺を無視したわけじゃなくて、2人が位置的に固まってたからそこを向いただけだろう。


 コンサルの仕事は裏方。今回の俺は、さらにその裏方。そこで激流に飲まれないよう、サバイブしていく。




「本社戻る、唐木さん? 僕達これから別件があるんで、銀座線なんだ」

 逸見さんがメトロの案内を指差した。


「あ、はい、JRで戻ります。じゃあここで。お疲れ様でした!」

「お疲れ様ね」

「唐木さん、あとでプロジェクト評価の面談日程決めましょう」

 金森さんに「メールします」と伝えて、メトロの階段を下りていく2人を見送った。



 プロジェクトの終わりはこんな感じ。別に普通の会社の「社運を懸けたプロジェクト」みたいなものではないので、あっさりしている。でも、また2人と仕事をすることもあるだろう。



 さて、次はどんなプロジェクトが待ってるかね。少し楽な仕事だといいんだけど。



 改札口、期待と不安を手首に込めて、俺はいつもより強めにICカードをタッチした。

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