22 このボリュームでこのお値段
文道社が入っているビルの41階。いつもいる本社の23階に比べて、空が近く、道路は遠い。
窓にくっついて地上を見下ろすと、黒っぽい大群が忙しなく横断歩道を渡っていた。
「さて、やりますかね」
コンサルの7つ道具、Excelを立ち上げる。これを7つ道具に入れるとPowerPointも自動的に入ることになるけど、いいんだろうか。
「えっと、多分付録の内容幾つか絞ってから見積り取るから……」
シートの中を、幾つもの図形が駈けずりだした。
業務フロー。1つの業務を行うのに、「誰が」「どのタイミングで」「何をするのか」が分かるようになっているフロー図。
「編集部」「印刷会社」など、登場人物・企業を縦に数列並べ、図形と矢印で「これが終わったらこれ」と手順を示す。
マニュアルのようにだらだらと紙に書くと、結局誰がどう動くのかが分かりにくいので、今回はこのようなフローで表すことになった。
「で、見積り見て付録を決定して発注……」
見えないなら拡大しろよ、と思うほど画面に近づいて悩んでいると、箱崎さんがアドバイスをくれた。
「唐木さん、多分発注の前にサンプルもらうと思いますよ。それ見て社内会議で最終決定、みたいな」
「あ、なるほど。確かにそうかもしれませんね」
お礼を言うと、箱崎さんはいえいえ、とばかりに手を振った。
丸い輪郭にほんわかした表情、おでこを出した黒がかった茶髪のミディアムロング。全体的に柔らかい印象の彼女は30代前半、まさにFucusのターゲット。そういえば猪井さんも同い年くらいかなあ。
「そしたら見積りと一緒にサンプルを……違うな、一緒には無理だ」
図形を増やして、「見積り」→「付録決定」→「サンプル発注」の流れにした。
今作っているのは、雑誌につける別添付録製作の業務フロー。女性ファッション誌によくついてる、モテ度アップのポーチやトートバッグなどの付録の、発注から店頭に並ぶまでをフローにする。
一旦仮のものを作って、今付録を主担当している編集者の方に話を聞きながら直していく予定。
これで全編集員が同じやり方で出来るし、そこに注意事項も書き込めばマニュアルとしても使える。
それにしても、女性誌の付録ってすごいな。バックナンバー見せてもらったけど、ミニボストンバッグからコスメ、保冷バッグまである。付録目当てに買う人がいるのも頷けるな。
つくづくなんで俺がプロジェクト入ることになったんだ。もっと喜びそうな他の女性コンサルいると思うんだけど。
「やっぱり自分の机あるっていいと思いません?」
箱崎さんが俺に向かって嬉しそうに笑う。
「いいですよね! 何でも引き出しに入れたくなりますよ」
「私も、もう引き出し全部使ってます」
そう。本社ではフリーアドレスなので、自分の机ってものが嬉しくて仕方ない。やったぜ、これが世のみんなが自分の好きにアレンジしている自分の城!
クリーム色で綺麗な天板に、引き出しが4段。もうこの引き出しを全部使いたくて、無意味に資料を4つに分けて入れている。不便さとかはいいんだ、どこ開けても何か入ってるのがいいんだ。
そして机の上には、炭酸のペットボトルにオマケでついてきたゆるいクマやゾウを飾る。こういうのみんなやってるんでしょ。
ああ、机飾るっていいなあ! 可愛い動物の顔がいっぱい並んでて、まさに頭部動物公園ですね! やかましいわ。浮かれすぎだろ。
「出張でチョコクッキー買ってきました! 食べてくださーい!」
「ありがとうございまーす!」
1人の女性が、楕円形の缶に巻きついているシールを剥がしながら明るい声をあげた。みんな、キャピキャピしながら中身を覗きに来る。
仕事場所も机の存在もいつもと違うプロジェクトだけど、一番大きな違いは多分、その空気感にある。
端的に言えば「柔らかい」。女性社員が9割を占めるこのフロアは常にまあるい雰囲気に包まれていて、誰もが明るくきびきびと働いているけど、どこかほんわかした匂いを感じる。
うちの本社でこんな空気があるだろうか。いつも誰かがどこかで「んだよ、分かんねえよ……明日までにどうすりゃいいんだよ……」とか言って頭抱えてて、鈍い黒色のエネルギーが常に放出されている。
それに比べてここのオーラですよ。清浄機なんか必要ないです、ハッピーな職場です。
そしてもう1つ、この文道社のプロジェクトで楽しみなこと。
「じゃあ唐木さん、お昼行きましょうか。猪井さんもお誘いして」
「あ、はい。いきましょう」
3人でエレベーターに乗り、2階上の43階に行く。そこには、おぼんを持った社員が列をなしていた。
常駐プロジェクトの楽しみ、社食。
もちろんない企業だって多いけど、大きな企業だとかなり綺麗な食堂を構えていることもあって、体験、というか試食できるのが結構嬉しかったりする。
値段も安いし、栄養バランスもそれなりに考えてあるし、本社でいつも時間に追われて「今日の弁当。麻婆豆腐でいいかな……3日ぶり今月4回目……」とかやってるよりは幸せなはず。何だろう、涙が出てくる。
「えっと、A定食お願いします」
おかずを盛っているおばちゃんの前に行き、鳥から揚げのみぞれ煮のお皿をもらった。左にずれて、たくさん並んだ小鉢からきんぴらごぼうとひじきの2つを選ぶ。
今度はご飯。白米もいいけど、ここはわかめ混ぜご飯一択! あとは味噌汁を装って完成!
「はい、500円になります」
東京駅近くの一等地にあるビルの43階、この価格でいいんですか! 結構しっかりご飯
「唐木さん、女性誌とかあんまり読まないからピンと来ないでしょ?」
大きな窓から日が差し込む開放的な空間で、猪井さんが西京焼きを箸で切りながら笑う。
「そうですね、でも昨日今日でバックナンバー何冊が読んだのでイメージは分かりました。いろんな付録あるんですね」
「そうそう。昔はシェイプアップグッズとかもつけてたの!」
「えー、面白い!」
猪井さんの話すネタに、箱崎さんが笑う。
いやあ、もうホントに、柔らかい職場です。
「さて、林さんいるのかな、と……」
午後3時。自席を立って、働いている人の顔を見ながら通路を歩く。備品棚のところで直角に曲がり、さらに机の島を3つ通り過ぎて、目的の島へ到着。
付録主担当である林さんという女性と、ご挨拶がてら打ち合わせの日程調整しよう。昨日はいなかったしメールも返ってこないからなあ。
「あの、すみません、林さんって……」
一番通路沿いの女性に訊いてみると、すぐに申し訳そうに両手を合わせた。
「さっき一瞬戻ってきたんですけど、また出ちゃいましたあ。今日はもう戻らないかと思います」
「あ、そうなんですね……」
まあるい職場だけど、柔らかい職場だけど、みんなきびきびバタバタと働いている。
大事な人が、捕まらない。
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