12 探偵に憧れて

「では、昨日のスライドの修正版です」


 クリンド社との定例会議を翌週に控えた午後3時。窓際ではなく、フロア中央にある少し小さめの会議室で、俺が説明を始める。


「一応全部通して――」

「いいよ、修正したスライドだけで。時間ないしさ」

 橋上さんが指で「巻いて」とジェスチャーする。


「分かりました。では修正点ですが……まずはこのページですね。社員の給与レンジですが、在籍社員の給与状況を踏まえると、新制度のレンジも等級間で重複させた方が良いだろう、という考察まで1枚で入れています」

「おっ、良くなったじゃん! ふっふっふ、良い感じですねえ」


 腕を組んで笑う橋上さんに、俺と長石は目を合わせて微かに笑いあう。1回作ってから何回直したか分からないからな。ガッツポーズ。


「で、次に昇給金額の話ですが……」

 勢いに乗って次の修正点の説明に入る。つい表情をちらちら見てしまうけど、割とポーカーフェイスなので読みづらい。


「……という感じにしました」

「うん、60点だね」

 低っ。修正前50点だったぞ。「進研ゼミ コンサル講座」だったら伸び悩んで退会してるわ。


「あのさ、単純な疑問に答えられてないんだよね。『等級間で給与が重複するってことは、重複してる高いゾーンにいる人が昇格しても給与上がらないじゃないですか』って絶対に聞かれると思わない?」


 …………正論。ぐうの音も出ない。


「そうですね、すみません。昇格昇給額みたいなものを決めて、最低その金額は上がるようなルールにします」

「うん、ちゃんとしてね」

 率直な物言いトークストレート、今日も相変わらずだ。



 今回のプロジェクトマネージャー、橋上さん。仕事を取ってきたのは別のディレクター(部長~本部長クラス)なんだけど、今回はほとんど関与しないから、アドヒーシブのときの逸見さんみたいな位置づけの人はいない。


 30代後半だけど、前半にも見えるような若い顔立ちと、キリッとした眉が特徴的。あまり自分のことは多くは語らない。

 俺達が入社したときの新人研修でHR(=Human Resource:人事)チームの説明や人事の仕組みについて説明してくれた人。そういう場では明るいトーンで話してくれるので、同期からもウケも良かった。あの説明きっかけでHRチームに興味を持った人も少なくないと思う。


 しかし、しかしですよ。普段のコミュニケーションはドライ&率直なので破壊力が強い。

 決してパワハラではないし、人格否定みたいなことはしないんだけど、余りにもストレートなのでボディへのダメージが重い。


 前職は海外のメーカーの人事部で働いていたらしく、そのときのコミュニケーションの癖らしい。まあそれはそうだろう、ハイコンテキストな文化の海外では、言いたいことハッキリ言わないと伝わらないって言うもんな。


 で、ストレートな理由がもう1つ。彼は多分、と思っているタイプってこと。ここがとてもキツい。期待値レベルまで達していないときに有無を言わせず否定する。「分からない」ということが分かってもらえない。ここに喰らい付いていくのが難儀な踏ん張りどころ。



「じゃあ、今言ったところ直して僕に送って。夜確認するから。これから別件で出るけど、質問ある?」

「いえ、ないです。明日15分前に現地集合でよろしくお願いします」


 長石さんと分担してね、と言い残して、橋上さんは足早にオフィスを出て行った。


「カラさん、打ち合わせお願いします!」

 会議室を出る準備をしながら、元気に迫ってくる長石。取材記者かお前は。あと今年の代はなんでみんな、俺をその愛称で呼んでんだよ。慣れないんですけど。


「じゃあ、ちょっとだけ休憩入れてから作業分担するか」

 そして、自販機のまずい0円コーヒーを飲みに行く。むせるようなカフェインの味を舌に沁みこませた後、2人でスライド作成を分担した。



「いや、でもだよ……」


 19時のオフィスで、誰に聞かせるでもない接続詞を呟く。日が落ちて気温が下がっても冷房がガンガン冷気を吐いていて、設定を変えに行ったら女性が先にコンソールを触っていた。


 誤字脱字やグラフの見せ方変更等々、細かい修正は完了。あとは、構成・デザインを丸々変えないといけないスライド1枚と戦うだけ。が、これが悩ましい。


 こういうとき、いきなりPCに向かって悩みながら作り始めると、あんまり良い結果にならない。多分、画面を見ているせいで、最近作ったスライドや上司のスライドをつい思い出してしまい、思考の幅が狭くなるからだと思う。


 そんなわけで、コンサルタントの七つ道具のうちの一つ、薄い青線のA4方眼紙を前に睨めっこして思考拡散。

 ちなみに道具の残り六つは知らない。適当なこと言った。



「ううん……」

 俺の隣で、同じく唸る女子が1人。長石麻紀。彼女にも大きな修正の入るスライドを担当してもらっていて、そこで悩んでいる様子。手持ちのリングノートにアレコレ書いている。あ、七つ道具の一つ目がもう違いますね。



「さてさて……」

 俺もそろそろ考え方をまとめないといけない。紙に書いた粗方のアイディアをざっと見て、ボールペンを持って立ち上がる。そしてそのまま、フロアをゆっくり歩き始めた。


 みんな考えごとをするときの自分なりの方法があると思うけど、俺は何も見ないで歩き回ると割と思考が整理されるらしい。子どもの頃、部屋をゆっくり歩きながら推理する探偵の小説が大好きだったからだろうか。だとしたら少し恥ずかしいけど。



 廊下に出た。あんまりフロアを何周もしてると、それはそれで怪しいからな。ボールペンはノック用。歩いているだけだとどうしても手持ち無沙汰になってしまうので、うるさくない程度にノックして、歩行と思考にリズムを加える。


「ってことは、あの統計情報を活かせばメッセージが……」


 と、エレベーター前で、同じくブツブツ言いながら歩いている女子に遭遇。


「箇条書きじゃ伝わりづらいから……あ、カラさん。これ、真似してやってみましたけど、意外とはかどりますね」

「いいんだよこんなところ真似しなくて!」


 おい長石、せめて場所を変えてくれ。2人でやってたら完全な不審者プロジェクトだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る