27 誰にも届かないフロアで

「すみません、その色校って今週までにあがりますかね?」

「一条さん、スタジオ確認とれましたー!」

「さっきまでここにあったゲラってどっかに回ってますかー?」


 文道社、Fucus編集部門で、いつもより少し早口な女性陣の声が飛び交う。

 全員が通るフロア入り口の近くにホワイトボードが置かれ、書かれているスケジュールの締切が赤いマーカーでぐるっと囲まれていた。



 12月に入り、出版業界や放送業界が戦々恐々となる「年末進行」の時期。年末年始の1週間が削られた状態で通常通り出版するため、皆が慌しく奔走している。


 ちなみにコンサルタントも12月末までの仕事とかたまにありますけどね。上司が12月中旬くらいに「最悪29日とか使えばね」みたいなことを言い出すと危ないですよね。その最後の手段、中旬に宣言することじゃない気がするんだ。



「あれ、林さん、赤入れしてないじゃーん」

 付録の主担当である彼女の席に行き、昨日の夕方置いておいたクリアファイル入りの資料がそのままになっているのを見つける。

 彼女も年末進行の煽りをモロに受け、読者モデルの取材が重なっているらしい。


「林さん、いました?」

 自席に戻ると、隣の箱崎さんが箱入りのチョコを差し出してくれた。おっ、栗をチョコでコーティングしてるのか。秋冬ならではの新作だな。


「いえ、いなかったです。細かいところを詰めていきたいので、そろそろ会って何点か質問したいんですけどね」



 雑誌の別添付録製作については、企画から発注、製造・納品まで、大きな流れは掴めた。業務フローもほぼ作れたので、これを見ながら業務を進めればある程度問題なく付録担当を務められるようにはなっている。


 ただ、もう少し細かいところまで炙り出したい。トートバッグなんかの場合、サイズや色の仕様変更はどのタイミングまで可能なのか。Fucus自体の販売部数を変更する場合、付録製造会社には誰がどのように連絡するのか。

 林さんが暗黙知として当たり前に思っていることを新人も理解できるように、注意事項をしっかり追記したい。



「唐木さん、私も午後は本社に戻るんで、何かあったら連絡下さい。はあ、掛け持ちはしんどい」

「お疲れ様です……」


 溜息で大きく肩を上下させる箱崎さん。プロジェクト2つ持つと、時間の使い方も難しくなるからな。川本も「子どもが2人いるようなもんだよ」って言ってた。いやお前子どもいたことないだろ。



「寒くなってきたし、冷え性にはツラいなあ」

 ガラス張りの向こうでは換気する気が失せるほどの寒気が漂っている。気候も年末進行で、一気に冬が押し寄せてきていた。





「あの、林さんは……オフィス戻ったら来てもらえる予定だったんですけど……」

 隣の席の女性に尋ねる。俺にとってのこの方は、もうすっかり「林さんの予定を詳細に教えてくれる優しい人」だ。


「え、あれ、そうなんですか? すみません、さっき資料取りに一瞬来たんですけど、何件か電話しながらそのまま出て行っちゃいました」


 何なのその隠れ身。諜報員なの。


「分かりました、ありがとうございます……明日来たら――」

「唐木さんのところですよね。お伝えしておきます」


 ニッコリ笑ってくれる。ううん、眼鏡が似合う人だなあ。知的に見えるけど、赤いフレームで全体のコーデで良い差し色になってる。

 お互い、林さんを全力で確保しましょう。彼女が何したんだよ。




「それじゃ、奥付クレジットの確認だな」

 誰に聞かれるわけでもない説明を呟きながら、猪井さんの机に向かう。


 雑誌巻末に掲載するクレジット。これも作成・入稿・ゲラチェックの流れが担当者によってまちまちだったというから驚き。



 チーフ編集長の席に行くと、11月にはいつ行っても大抵は席に座ってデスクワークしていた彼女の姿がない。隣の女性に聞いてみると、申し訳なさそうに眉を下げた。


「すみません、今月は取材も担当してて」

「外なんですね!」

 思わず大きな声出ちゃったよ。年末進行、恐るべし。



「分かりました、夜また来ますね」

「あの、夜も来ないかもしれません……」


 彼女の言葉は、あまり耳に入ってこない。そうか、どっちもいないのか。箱崎さんも本社戻ってるし。頼れる人が誰もいないじゃないか。



「寒いねえ……」

 Yシャツから下着を通過して泳ぐ冷気に、ぼそっと独りごつ。休むことなくシュンシュンと鳴る加湿器は、俺を嘲笑ってるようでもあった。





「なので、林さんも猪井さんも捕まらないんですよ」

 夕方、八重洲から丸の内へと駅の反対に移動し、ストレイブルーの本社へ。箱崎さんに愚痴っぽく現状報告する。


「なるほどね、さすがに出版はこの時期大変ね……」

 目線を下に投げる。その表情はしかし、すぐに強気なものになった。


「で?」

「……えっと…………」



 俺はこの鋭い目を知っている。入社当時から色んな先輩の瞳に宿っていた想い。今はすんなりと分かる。


 <で、どうするの? そんなの理由にならないでしょ? こっちは期間と成果物決めて契約してるんですよ? 相手が捕まらないのを理由に未完成になんて出来ないですよね?>


 そう、目で語っている通り。うん、仰る通り。そんなの理由にしてたらコンサルなんのレゾンデートルなんかすぐ総崩れだ。



 さあ、彼女の目を見て言ってやれ。高らかに宣言してやれ。


「捕まえに行きます」



 なあ、学生時代の俺。コンサルがスマートにデスクワークして、カッコよく仕事こなしてるなんて、大した幻想だよ。



 そんなに上手くはいかない、綺麗にやってたら終わらない。泥に塗れて、サバイブするだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る