33 戦友と哀しい世界
「うっわ、もうこの時間かよ……」
PCの右下。23:38という時間が見え、今日の終わりをデジタルに且つ残酷に告げようとしている。
少し前まで左隣にいた円藤さんは別件打ち合わせでストレイブルーの本社へ。右隣には近山さんが残っていた。
昨日お願いされた採用管理システム「リクルートドック」のデモ操作。その準備のために昨日は初日だというのに終電と相成り、今日も多分同じ運命を辿る気がする。
25時20分ごろ家に着くと、もう寝るまでに出来ることって幸せな人を呪うことくらいですよね。
そして、そんな俺の癒しは、フロア入り口近くで飲む休憩のコーヒー。
「不味い。最高に不味い」
奇しくもストレイブルー本社にあるのと全く同じ自販機。紙コップの0円コーヒーが胃に沁みる。これだよこれ、絶望と苦汁の味。
なぜこんなにイマイチな味わいなのに、こんなにも懐かしいのか。
「近山さんは何の仕事してるんですか?」
紙コップを持ったまま自席に戻り、腕を回して休んでいた近山さんに声をかけると、「いやあ、ホントきついです」と第一声が返ってきた。
「今は結局Excelで中途採用の管理してるんで、そのデータを繋ぎ合わせて大体の選考通過率とかを整理してます。それないと今年何人募集受け付ければいいか分からないし」
「おおう、それはそれで辛そうですね」
この規模の会社でExcelで採用を管理してるなんてことがホントにあるんだな……。
「もうね、データもグチャグチャだし、選考の途中で何人か減ってまた増えたりしてるし、絶望しかない」
……あれ? この人、俺と感性似てない? 深夜だしカマかけてみるか。
「もう私や近山さんが寝る前に出来ることって、幸せな人を呪うことくらいですし」
「分かる。何にも悪いことしてないけど、定時で帰れた人に何か起こってほしい」
「自分達が幸福になれない分、幸福な人がちょっとずつ不幸になれっていう」
そして2人で深く頷く。
「近山さん、近山さんがそんなダメな人間だとは思いませんでしたよ」
「私も、唐木さんがそういうタイプの人だとは思いませんでした」
フフンッと互いに笑い飛ばし、意味もなく0円コーヒーで乾杯。
いや、この乾杯に意味はある。これが、分かり合える友人の、戦友の証だ。
「唐木さん、家はどこですか」
「大崎ですよ。終電山手で一本です」
「あ、私も一本で上野です。じゃあ25時くらいまで頑張りますか」
「もうやるしかない。悲しい世界」
「哀しい世界」
一気に距離の縮まった同僚と、液晶と戦う夜は更けていく。
***
「定時の後にお時間頂きありがとうございます」
翌日18時。神原の採用チーム全員を大会議室に集める。画面をモニタに投影し、皆を見渡して作り笑顔。最高に眠い。
「これから実際の採用をイメージして『リクルートドック』を操作します。浜田さんにまとめてもらった要件に基づいてケーラー社の開発メンバーが設定しているので、概ねは問題ないかと思いますが『ここをこうしてほしい』というところがあれば都度教えて下さい」
聞けば、採用チームでは各自それぞれ「営業」「設計」「経理」など、採用を担当してる部門が決まっているらしい。各部門の特殊事情みたいなものを反映する必要があれば、この場で聞ければいいなあ。
ぎこちない手付きで、操作マニュアルを見ながら画面をクリックする。
「えっと、まずは『営業』や『総務』など、募集してる部門の求人データを作ります。応募してくる人材は、そのデータリストの中で何の部門に応募したのかを紐付けて管理します。リストの作り方ですが……」
えっと、新規作成からJobを押して、必要事項を入力、と。ふむふむ、なんとか出来るぞ。人間、その気になれば何とかなるってもんだ。
「で、ここに人数を入れて――」
「あの」
40歳くらいの1人の女性が、不機嫌そうに手を挙げた。
「それって数字しか入らないんですか? 私、営業部門の採用担当なんですけど、営業部長からよく『若干名』って形で依頼されるんですけど」
「あ、私もです。具体的に数字入れるの難しいことがあるんで、数字以外も入るようにしてほしいです」
「…………あ、じゃあ課題管理表に書いておきます。変更はできると思うので……」
動揺する心を抑えて、キーボードを打つ。
そんな細かいこと、と驚いたんじゃない。
こんなレベルですら、浜田さんが意見を集約していない。
「すみません、私の担当してるITの部門では人数きちんと出てくるもので……」
苦いような、困ったような、誤魔化すような笑いで、浜田さんが頭を掻いた。
いやいや、「数字しか入れられなくて良いんですか?」なんて聞かなくていいんですよ。「他の部門では違う採用方法でやってるかも」って思いさえすれば自然と確認するでしょうよ。っていうかそれが「採用部門としての意見の集約」でしょうよ。
あれ? え? これマズい? マズいパンドラ開けちゃった?
「で、神原の採用サイトから応募があると、採用チームのグループアドレスに採用通知が飛びます」
「あの、唐木さん。質問なんですけど」
今度は20代後半、俺より少し年上くらいの若い女性。
「応募された部門関係なしにグループメールが来るんですか? 自分が担当してない部門のものも見なきゃいけないってことですか?」
「え、あ、ええ……」
まずい、さすがにその仕様までは知らないぞ。
「浜田さん、それってどういう感じですが」
「はい、全てメール来るようになってます」
そこにすかさず彼女が言葉で詰め寄る。
「え、何でですか? システム入れて今よりも面倒になるってことじゃないですか。それ前聞かれたときも言いましたよね? 何とかしてほしいって」
「ええ、でもなかなか……少数意見だったんで……うん……」
うん、じゃないんですけど。言われたものも集約してないってアンタ。
その後も矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「え、この情報、なんで各部門側が見られないんですか?」
「求人ページで履歴書添付しないでも応募できちゃうんですか?」
積み重なる、課題の山。
モニタへの投影を止めているとき、近山さんからチャットが入った。
「悲しい世界」
俺も返す。2秒で返す。
「哀しい世界」
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