32 ファイルを見て、と彼は言った
「生放送でもやってないかな、と……」
新橋駅の改札を出て階段を降り、キョロキョロと初めての通勤路を観察しながら歩く。
天気予報コーナーのロケはないかとついテレビ局横をゆっくり通ってしまう、ミーハーの病。
「あ、おはようございます」
神原のビルの1階で、
先月まで八重洲、昨日まで丸の内で今日から汐留。出社先がコロコロ変わるのも、慣れると面白い。
「じゃあ行きましょうか」
円藤さんについていき、ゲートを通過してエレベータに乗る。
「14Fが人事のフロアです。そこに唐木さんの机も用意してもらってるんで」
「あ、プロジェクトルームがあるわけじゃないんですね」
プロジェクトの規模によっては、専用に会議室なんかを借り切ってやることもあるけど、今回は違うらしい。
「採用の方も、普段の仕事やりながら今回のプロジェクトに協力してくれてるんで、部屋借りちゃうとコミュニケーション難しくて」
「なるほど」
エンジニアの方々用の部屋はあるらしいが、こっちはもっとクライアントと距離の近いところで仕事しろってことだな。
「ほい、じゃあここでーす」
軽いノリで14階の部屋に通される。人事以外にも経理やITなど、バックオフィス系の部門はこのフロアに集約されているらしかった。
うう、やっぱり初めての出社は緊張するぜ。みんな優しい人だといいな。「高い金もらって布団で真っ当に寝られると思うなよ」みたいなこと言ってこないといいな。そんな会社もう縁切れよ。
「人事も労務とかは別の島で、ここが採用チームね。あ、えっと、皆さん。今日から新しく入る唐木さんです」
「よろしくお願いします」
会釈すると、10人ほどいるメンバーはみんな座ったまま挨拶してくれた。女性の方が少し多いかな。
「で、うちのコンサルメンバー、もう1人。
俺の席を案内してもらった後、円藤さんが右隣を紹介してくれる。
「あっ、近山さん」
「どうも。お久しぶりです」
同じHR(=Human Resource:人材・人事)コンサルチームのメンバー。去年中途入社でストレイブルーに入っていて、年齢は確か俺の1つ上くらいだったような。
チームの懇親会なんかで彼と顔を合わせたことはあったけど、一緒に仕事することになるとはね。少し縦長の顔の輪郭、眼鏡の相性が凄く良い顔。
知的な印象が強く残る。よく見ると眼鏡フレームもカフスも凝ってるな。
「唐木さん、あと1人。採用チーム側で今回のシステム導入の担当をしてる浜田さん」
円藤さんの後ろから、1人の男性がひょこっと出てきて、ペコッと一礼した。
「唐木です、よろしくお願いします」
「どうも、神原リアルエステートの浜田です。よろしくお願いします」
名刺交換をしてからまじまじと顔を見る。40代半ばくらいだろうか。円藤さんよりも短髪、いわゆるスポーツ刈り。
そして、パッと見で判別できるくらいの「気弱さ」。この机の島に3日間置いたAIに「気弱」ってお題出したら彼を描くんじゃないだろうか。この仕事を押し付けられた感が滲み出ている。
「他のチームのメンバーとは少しずつコミュニケーションしておいてね。じゃあ早速仕事お願いしたいんだけど」
え、円藤さんもうサポートしてくれないの。俺から他の女性達に話しかけろって? 無茶言うぜまったく。
あといきなり仕事なの。普通あれじゃないですか。転校生って転校初日は特に授業とか気にせず周りからチヤホヤされるって相場決まってるじゃないですか。
「まずね、この資料目通してくれる? 今回のシステム導入の経緯まとめてあるから」
「あ、はい」
ポンッと置かれた印刷物を開き、赤ボールペンを軽く振りながら重要そうなところを拾って読む。
・採用管理システムを使うのは、採用チームの他、面談して選考結果を入力する現場の課長以上。なお、新卒は専用のシステムがあるので、基本的には中途採用で活用。
・入れるシステムは、最近実績を伸ばしているケーラー社の「リクルートドック」。クラウドシステムなので各個人のPCにシステムをインストールする必要がない(WEBページに全員が異なるIDでログインする)。
・項目の設定や追加機能の開発を、ケーラー社のエンジニアが担当している。
・もともと去年秋に導入予定だったのが、ケーラーと採用チームのコミュニケーションがうまく行かずスケジュール遅延が重なり、3月29・30日の土日に導入することに最終決定した。
最後の内容が気になるな……。これ以上の遅延は許されないってことか……。
「唐木さん、読んだ?」
円藤さんが、分厚い印刷物を2部持ってきて俺のPCの横に置く。
「これが浜田さんにまとめてもらった採用業務の流れと注意事項ね。で、こっちがシステムの操作マニュアル。もう現時点版のシステムは仮IDで操作できるようになってる」
「ありがとうございます。結構ボリュームありますね」
システムは少し触りながら覚えようかな。
「これ読んで、採用の流れに沿って操作してほしいのね。ダミーの応募者何人か作って、面接受かったらこうします、とか、落ちたらこうします、とか。で、採用チームにメンバーに実際の動き見てもらって、設定変更の意見とかもらいたいの」
…………へ?
「え、あの、まだ皆さんシステム見てないんですか? あと2ヵ月半で導入ですけど」
その質問に、円藤さんはアイロニックな笑みを浮かべて首を振る。
「色々あって、まだちゃんと見てないんだよね。だからどんな意見が出てくるか怖い部分はあるの」
怖すぎるでしょうよ。開けて大丈夫なのこのパンドラ。
「分かりました。皆さんに見せるのはいつからですか?」
「明後日」
「明後日」
思わず復唱しちゃいましたけど。短くないですか。採用業務もシステムの使い方も知りませんがな。
「明後日から2日間、18時から22時までチームメンバーに時間もらってるから、そこで全部確認して問題点洗い出そう」
「もうその進め方に問題が」
操作覚えてダミーデータ作って課題管理表作らないと……。
「あ、ちなみに追加人員を投入しまくってて予算ないみたいから、タクシー代は出ないです。ごめんね」
「……大丈夫です。山手で一本なんで……」
飲み会のときはありがたがってるのに、こういうときだけは家が近すぎて終電が25時過ぎまであることを、少し怨めしく思ったりもして。
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