パンツが恥ずかしいのか、パンツ姿が恥ずかしいのか、それが問題だ
パンツは毎日替える。入浴のたびに、毎回。
自然と、最低でも1日1枚、夏場などは1日2枚のペースで消費されていくわけで、仕事をしていて週に1度しか洗濯をできないような状況だと、すさまじい勢いでパンツがたまっていく。
むろん、洗濯をした後も大変だ。大量のパンツを干しておくべき場所も必要だ。乾いたら乾いたで、たたむのも大変。さらには、その大量のパンツをストックしておくべき物理的な場所も不可欠である。
まったく、このパンツ問題は悩ましい。
話は飛ぶが、かつての恋人が、妙にパンツを恥ずかしがった。
恋人なのだから、当然パンツ姿を見たことはあるし、そのパンツを脱がしたこともあるし、パンツを履いていない姿で戯れ合ったことだってある。しかしながら、事後に私が脱がせたパンツを拾おうとすると、恋人はそれをかっさらった。洗濯したパンツをたたもうとすると大慌てでそれを奪って隠した。
どうも恋人は、自分の体から離れたパンツをなぜか恥ずかしがるクセがあったようだ。
パンツなど、どのみちただの布きれではないか。
どちらかというと、私はその布切れを着用した状態を愛でて、脱がせる過程を楽しみたい。私にとって、パンツは主体ではなく、人が主体なのだ。
しかしながら、世の中には物を主体的にとらえる人がいる。
社会学の祖として知られるフランス人学者オーギュスト・コントは、好きな女性が使っていた椅子を、その人との恋が破れた後も大切に愛していたのだとか。
ちょっとキモいw
このエピソード、学生時代に社会学の教授が紹介してくれたのだが、本当なのだろうか。ネットで検索しても、それっぽい話はヒットしないのだが。もしかしたら、違う人物と混同しているのかもしれない。
悪しからず。
と、いうわけで、パンツの話である。
パンツも、長年使っていると念が入り込むのかもしれない。髪が伸びる人形、一族を祟る妖刀、みたいなものだ。
怨念のこもった恐怖のパンツ。それをはいた者は、次々に謎の死を遂げる。
その怨念を浄化するために開発された、払魔具「洗濯機」をお求めの方は、お近くの電気屋さんへ。
などと妄想しながらだと、大量のパンツ干しもちょっと楽しくなる。
みなさんもお試しあれ(笑)
嗚呼、素晴らしき哉。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます