トム君との出会いと別れ、そのすべてを語ろう

し、白い!


電車に乗っていると、途中駅で乗り込んできた若い男に目を引かれた。

季節柄、ほぼ全員が暗い色のコートを着ている中、その男は一人だけワイシャツ姿であった。

白くて目立つが、寒そうなことこの上ない。見ているこちらが凍えて震えそうである。

ところが、その男が私の目の前に立つに至り、寒そうどころの騒ぎではないことに気づいた。


とにかく、汚い。


髪を整髪料で固めているが、無数の細かいフケがラメのように張り付いている。

シャツはシワだらけで、無数のホコリ、糸クズ、髪の毛が付着している。袖口にいたっては、ノートに鉛筆で漢字を百万字ほど書いた後のように真っ黒。

男はおもむろにセブンイレブンのレジ袋を取り出すと、チョコがけビスケットをむさぼりはじめる。まるでクッキーモンスターのようにかけらをまき散らしながら。


そんな男が私の前に立ち、電車が揺れるたびに私に寄りかかってくるのだ。

ホラー以外のなにものでもない。

折しも、乗り込んでいたのは急行電車。次の停車駅までは十五分ほどかかる。

私は身震いしながらも、妄想に逃げ込むことで、この過酷な十五分間を乗り越えることにした。


彼の名前は飯富おぶつとむ。武田信玄の家臣として高名な武将の末裔である。仲間内ではトムと呼ばれている。隠れてオブツと呼ばれていることには、本人はまだ気づいていない。

トムは二十六歳。大学院を出た後で非常勤講師として働いているが、いかんせん収入が少ない。年収はわずか百五十万円で、奨学金の返済もある。実家は名家だが父が厳しく、仕送りなどは一切ない。自身の研究のために本を購入することもままならない、典型的な高学歴ワーキングプアである。

住まいは風呂なしトイレ共用の四畳半。月に一度銭湯に行くのが唯一の贅沢である。普段はキッチンで頭と顔を洗い、体は濡れタオルでこするのみ。冬は水道水も冷え切って、洗っているうちに皮膚の感覚がなくなるほどだ。

前日、非常勤講師を務めている大学の忘年会に呼ばれて、トムは久しぶりに他人のお金でたらふく飲み食いをした。しかし、そんなトムに悲劇がおそいかかる。酒癖の悪いことで有名な学科長にからまれた挙句に、泥酔した学科長のリバース汁を浴びてしまったのだ。

さらにまずいことに、トムは今日、別の非常勤職の面接があった。

一着しかないスーツを失ったが、着古したワイシャツを着てどうにか体裁は整えた。髪は食用油でセット。学科長からクリーニング代にと渡された五千円を握りしめてコンビニに行き、久しぶりの贅沢でチョコビスケットを購入した。朝食に百円近くもかけるのはこの上ない贅沢だが、面接でキレのある受け答えをするためには、脳への糖分補給が欠かせない。

ばたばたしているうちに、面接の予定時間が迫っていた。トムはあわてて電車に乗り込むと、車内でビスケットの食事。

ああ。

砂糖の甘美な味わい。

うまい。

糖分が脳内を駆け巡る。

たぎってきたっ!!

砂糖がもたらす多幸感で、トムは面接の成功を確信していた。


ふむふむ。オブツ……もとい、トム君の不潔さには、そんな事情があったのか。

それならば仕方があるまい。

がんばれトム君。

努力は必ず報われるなどという嘘八百を並べるつもりはないが、報われる者は必ず努力を積み重ねた者であることだけは間違いがない。

トム君の努力のベクトルが若干おかしな方向に向いているようにも思えるが、運命の神様のやることに合理性などない。

がむしゃらになってチャンスに食らいついてくれたまえ。



などと考えるうちに、十五分が経過した。電車は停まり、トム君は電車を降りていく。

彼の白い姿を見送りながら、私はトム君の成功を祈らずにはいられなかった。


なんと有意義な朝の時間w



嗚呼、素晴らしき哉。

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