歴史的轢死とかダジャレを言ってる場合じゃない
あやうく車に轢かれるところだった。
歩行者用信号を渡ろうとしたところ、目の前を猛スピードで左折していく車が。あともう一歩前に出ていたら、確実に当たっている距離だった。
死ぬときは苦しまずにポックリ逝きたい、といつも思っているものの、轢死はいただけない。
そもそも、字面がなんか仰々しくて嫌だ。
どうせ死ぬなら、毒バラのトゲに刺されるとか、そういう風雅な形がいいではないか。
皆さんが自分の死の運命を具体的に意識したのは、いくつのときだろうか。
私は、たぶん8歳くらいだった。
自分も、いつか死ぬ。テレビの電源が切られたときのように、ひゅん、と暗くなって、何も見えなくなる。何も聞こえなくなる。何も感じられなくなる。こうして思考することすらできなくなる。
幼い私にとって、それは圧倒的な恐怖であった。
自分の存在が消滅してしまうことをイメージすると、心臓がどきどきして、息苦しくなった。
夜中、死のイメージにおびえて眠れなくなった私は、恐怖で泣きじゃくりながら母の布団にもぐりこむと、こうたずねたことを覚えている。
「おかあさんは、死ぬのこわくない?」
「こわいよ。でも、考えないようにしてる。だって、考えたって、実際に死んだときに何が起きるのかは知りようがないし、自分にはどうにもできないから」
母の声と体温に安心した私は、すぐに眠りにつくことができた。
そんなかつての純真な子供も、いまやバラに刺されて死ぬだとか、自分の生死すらネタにする立派な妄想の奴隷になったのだから、たいしたものである。
もっとも、妄想する力こそが人類の進歩に貢献してきたことを考えれば、私のような妄想族が人類の宝であることは言うまでもない。
なのに、どうしてみんなもっと私を大切にしないのかw
わかった。
まだ妄想が足りないのだな。
やってやる、やってやるぞ。
車の運転手は石原翔太、30歳。助手席には妻である佳奈、28歳が乗っていた。佳奈は妊婦だったが、予定よりも早く始まった陣痛に耐えていた。
一刻も早く佳奈を病院に連れていかなければ。と慌てていた翔太は、交差点を左折する際に人を轢きかける。
でも、大丈夫。あぶなかったが、轢かずに済んだ。
しかし、ホッとしたのも束の間、その先に路上駐車していた車と接触事故を起こしてしまう。厄介なことに、相手の車はヤクザのものだった。翔太はヤクザにつかまってしまい、金をまきあげられてしまう。ようやくヤクザから解放されたときには、佳奈はひどく出血をしていた。病院に駆け込んだときには、すでに佳奈は息絶えていたのである。
翔太は絶望のあまり絶叫した。
その自分の声で、目をさます。
どうやら眠ってしまっていたらしい。いやな夢を見た。
しかし、翔太のもとに佳奈がやってきて、おなかが痛いと言う。佳奈を車に乗せて走る。夢で見たのと同じように、左折時に人を轢きかける。夢で見たヤクザの車との接触は回避する。そのまま病院に直行したが、佳奈は手術室へ。
その後、医師は母子ともに助からなかったと翔太に告げる。
そして、また家で目をさます。
繰り返される時間。翔太が行く病院を変えても、救急車を呼んでも、何をしても佳奈は死んでしまう。
何度も佳奈の死に立ち会ううちに、翔太の心は疲弊していった。
限られた短い時間にとらえられた翔太は、最愛の人を救えるのか?
……自分が轢かれかけたことまで妄想のネタにする、この浅ましさ。
嗚呼、素晴らしき哉w
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます