アフタークリスマス*善い子とイブの正体*

 笹浦市警察署。

 ホワイトクリスマスから数日が経った本日は、晴々とした空模様に見舞われた。乾燥した空気には、行き通う人々のしろ息吹いぶきが放たれ、冬の寒さを共に示している。


 年末年始が近づいているが、警察官にとっては、休養できるような安安心期間ではなさそうだ。酒酔いの悪戯いたずらを始め、万引きや強盗などの犯罪件数が増す時期である。不定期な休日を過ごす彼らにとって、師走しわすとは名の如く繁忙期極まりない。


 足繁あししげく集まる警察署の奥には、留置りゅうちされた罪人と会話ができる面会室が設けられている。家族や親戚とコミュニケーションを取ることができる、犯罪者にとっての憩いの場なのかもしれない。


 そんな一室では、今日も利用者が訪ねていた。家族関係ではないのだが、以前から親友関係である二人の向き合い姿が、透明ガラスをはさんで公開されている。


「とりあえず、お前が空き巣で盗んだ物は、全部持ち主に返してきたぜ。……ったく、なんでオレまでやんなきゃなんねぇんだよ……」

「助かった、信太郎! 恩に着る!!」


 親友のかたわら警察官でもある信太郎に、岳斗は卓上に手のひらと額を乗せ、心からの感謝を示した。


 署に出頭した日、逮捕されるとすぐに取り調べを受けた。もちろん隠し通すことなく、盗んだ金品の在処ありかをすぐに伝え、後日には検察官によって発見されている。

 見つかった盗品は無事に、現在持ち主の元へたどり着いたらしい。いくつか売却してしまった品々に関しては、岳斗が信太郎に借金するという形で回収してもらい、何とか全ての被害者に返還することができた。


「チッ……。終わってみれば、オレが一番の被害者じゃねぇかよ……」

「大丈夫大丈夫! 出所したら、ちゃんと返すからさ!」


「……」

「あ~っ! 信じてないだろ!?」


「信じる方がおかしいだろ……」

「それでも信太郎か!?」

「詐欺られるための名前じゃねぇっつぅの……」


 冷徹な目を返されてしまったが、迷わず力を貸してくれた親友への気持ちは、ひたすら感謝のみだった。信太郎にいつ全額返せるかは、正直言ってしまえば不安だ。これから起訴きそされ、刑事裁判が待ち構え、長き懲役期間を与えられてしまうのだから。

 しかし、親友との約束を守ることは、義務を超えた使命だと捉えている。是が非でも返納し、できれば御恩を超越する奉公まで御返ししたい。



「――絶対に返すって誓うから! だから俺を信じてくれ、信太郎!!」



「……はぁ~~あ。相変わらず、威勢いせいだけは良いヤツだな、お前は……」


 信太郎は大きなため息を吐き、腕組みをしながらそっぽを向いてしまう。目を閉じて眉を下げ、悩ましい横顔が目の当たりにできるが、最後には鼻で笑ってくれた。



『――親のように面倒見てくれるから、親友って言うんだろうな……。ありがと、信太郎』



「……あ、そういえば信太郎? 風真と常海のこと、何か聞いてる?」


 ふと家庭を思い出し、大切な妻子の風真と常海の名を並べる。


「そっか。お前連絡手段ねぇもんな……。今朝無事に、空港から出発したってよ。まぁ常海の御袋さん付きだから、アメリカ着いても心配ねぇだろ」


 逮捕されてからは、実は今回が初めての面会である。携帯電話の所持など言うまでもなく、取り調べ開始日から今日までの留置期間では、家族との面会も許されていなかった。常海と風真が今朝渡米していたことも今知ることとなったが、どうやら心臓移植の手術も着々と進んでいることがわかる。


「そうかぁ~! 良かった良かった!」

「いやいや、これからが本番だろうが? 風真の身にもなってやれよ……」


「本当の戦いは、ここからだぜっ! って感じ?」

「……お前、ふざけんのも大概たいがいにしろよ……」


「ラジャ~!」

「オ゛イッ!!」


 上機嫌で思わず、幼い頃に憧れた特撮ヒーローの主人公を演じてみた。当時はよく似ていると言われていたため、自身ある演技でもある。


「……はぁ。まぁいいや、とりあえずお前が元気そうで何よりだ」

「信太郎……もう帰るの?」


 ふと椅子から立ち上がった信太郎を、少しだけ見上げながら尋ねた。


オレだって仕事があるからな。こっちはこっちで忙しいんだよ」

「そ、そっか……。今日は、わざわざありがと」


 離れていく背中には、寂しい気持ちは少なからずあった。逮捕後初の面会時間がとても短く感じてしまうほどで、可能ならば延長してほしいあまりだ。


「……? し、信太郎?」

「あん? なんだよ?」


「その、右手どうしたんだよ……? ずいぶん大ケガみたいだけど……」

「ああ、これか……。まぁ、そうだなぁ……」


 出口を開けた信太郎の右手は、やたらと包帯が巻かれていた。分厚さを窺う限り固定物も備えられいることがわかり、かなりの重傷に見受けられる。

 しかし、信太郎は微笑みを浮かべながら手のひらを見つめ、岳斗に向けてたくましげに答える。



「――ボールを素手キャッチしちまったからな。まぁ、すぐに治してやるさ、こんくらい……」



「そ、そっか……。お大事に」

「お前こそ、風邪に気をつけながらガンバれよ?」

「あぁ……。またな、信太郎」


 再会の呪文を唱えた後に姿を消し、親友同士の対面が終了した。

 寂しい気持ちは、結局最後まで残ってしまった。話題は持ち逢わせていないものの、話し足りないくらいに思える。が、岳斗の表情には確かに、微笑みも残っていた。一度深呼吸で頭を切り換え、監察官と共に面会室を後にした。



 ***



 面会が終わればすぐに、岳斗は留置所の空間に押し込まれていた。ねずみ色のコンクリート壁にもたれながらが、鉄格子てつごうしの入り口を施錠せじょうする監察官が去っていくのを確認する。


『はぁ~あ。ヒマだなぁ~……』


 周囲の環境を考えれば無理もない。外観を覗く場所も無ければ、この一室には自分以外誰もいない貸切状態なのだ。会話のキャッチボールすらできない空間では、寝て食べて息をするだけの生活が繰り返される。まるで閉じこもりのような日々には、数日経った今日も馴染なじめず、元硬式野球部主将の血がうなって仕方なかった。


『……また誰か、来ないかなぁ~?』


 天井を仰いでも、返ってくるのは冬の冷たい空気のみだ。何もない無機物からは、幻聴すら求めてしまいそうだ。


 もしも信太郎のように面会者が現れれば、再び鉄格子の外に出て会話ができる。いっそのこと、自分と同じ罪人がこの部屋に収容されても構わない。

 誰かとの会話が小さな幸せだ。

 面会者もしくは訪問者の到来を、ただ静かに待ち望んでいたときである。


――「ホッホ~。すこぶる退屈そうじゃのぉ~」


「へ……え、エェェエ゛エェェェェエ゛!? サンタのおじいさん!?」


 留置所内にて、孤独でとどこおっていた男声がとどろいた。驚きのあまり立ち上がり、高速後退りの結果、後頭部をコンクリート壁にぶつける。なぜなら声をかけた相手とは、サンタ教習所の姿と全く変わらないサンタクロース本人で、いつの間にか隣に座っていたからである。

 長い白髭に太い白眉が、突発的に出現したのだ。それも、牢屋内に。


「ホホホ~。相変わらず、若々しいリアクションをするのぉ~、園越岳斗」

「んま、マジで、ちまったかと思った……。てか、なんでここに……?」


 まさかサンタクロース自身も、警察に捕まってしまったというのだろうか。異世界の人間だというのに。

 壁にへばりついたままそう考えてしまったが、一方のサンタクロースは笑い皺を浮かべるばかりで、座りながら顔だけ向ける。


「まずは、御礼からじゃ。プレゼント配りを無事に成し遂げたことに、感謝申し上げるぞ、園越岳斗」

「え……わざわざそれだけを言いに……?」


「まずは、じゃ」

「は、はぁ……」


 どうやら別件も持ち併せていることが窺えるが、一先ひとまず落ち着きを取り戻し、サンタクロースに向けて照れ頭をく。


「いや別に……。こっちだって、風真の医療費をもらったんだ。感謝するよ、サンタのおじいさん」


 深々と一礼を示した。公約とはいえ、サンタクロースからは多額の医療費を受け取った。直接的な現金手渡しでなく、ボランティアを経由して贈り届けてくれたに違いない。

 さすがは、夢と希望を運ぶ、くれないの聖職者だ。


「ホホホ~……。はぁ~……結局今回は、二十四班だけじゃったのぉ……」

「え? なにが……?」


 二十四班といえば、間違いなく自分たちのグループだが、一体何が特有だったと告げるのか。



「――全てのプレゼントを、無事に贈り届けたのは、御主の二十四班だけじゃったよ」



「え!? じ、じゃあ、他の連中は……」


 度重なる驚きで再び声を轟かした。思い返せば、サンタ教習所には数多くの罪人が訪れていたことを覚えている。編成上では百のグループが存在していたが。


「無論、皆捕まっておる。“ガラパゴス諸島”も忘れて、子どもたちのプレゼントを、我が物にしようと逃げてしまってなぁ……」


「ガラ、パゴス、諸島……はいはい、“GPS”ね……」


 呆れて細目を向けたが、やはりサンタクロースからの真実には俯いてしまった。


「億万長者になりたい。借金全額を返納したい。しばらく生活できる費用がほしい。皆、自身の金銭的な願いばかりじゃったなぁ……」

「まぁ、俺もそうだけどさ……」


「いや、御主の場合はついやす場が違ったじゃろ? 罪人は自分自身のために。御主は、御主自身の息子のために、じゃった……」

「……」


 サンタクロースが言うには、二十四班以外の他者は、プレゼント配りの最中に脱走を試みたようだ。子どもたちへ届けるべきプレゼントと共に、正真正銘のバックレ活動が開催されたらしい。恐らくは、そのプレゼントを金銭に替えようと持ち逃げしたに違いない。新品のオモチャに新発売のゲーム機といったら、買い取り価格はどこも高値を掲げている。


 最後まで信用ならないまま終わってしまった者が、ほとんどだということだ。サンタ教習所内では時おり、会話や笑顔を交わすシーンが目撃されたが、互いの心を開くまでには至らなかったようだ。


「毎年一つの市から罪人を集め、更正を願って考えたのが、ワシのサンタ教習所。まだまだ改善策が浮き彫りのようじゃな……。人の心とは、何とも難しい」

「そっか……。んで、そのプレゼントの行方は……?」


「当日、トナカイたちが無事に回収し、ワシが責任持って届けたよぉ」

「そっか……。じゃあクリスマスに悲しむ子は、いなかった訳か……」


「ホォ。他者の子どもたちのことまで考慮するようになったとは……。君だけは立派に更正できたようじゃな、園越岳斗」

「え……」


 いつしか関係のない子どもたちのことまで考えている自分に、どこか不思議さを感じた。サンタ教習所に訪れた初日では、疑心ばかり抱いていたことを覚えている。周囲は自分と同じ犯罪者で、信用に値しない者たちだと思い込んでいたからだ。自己願望のために罪を背負い、他者の気持ちを踏みにじるかの如く犯す人間である。少なくとも、空き巣に働いた岳斗もその内の一人だった。


 しかし、今の自分自身は、過去の自分と大きく変わった気がする。いきなり変化できた訳ではないのだが、発端となったのはやはり、二十四班の結成だろう。


『みんなと話したり、聞いたり、協力したことで、みんなの尊い気持ちを知ることができた。閉ざしてた心だって、開くことも……』


「……それも、サンタのおじいさんのおかげだよ、ありがと」


 サンタ教習所という更正場を設立した、サンタクロース。老爺ろうやがいたからこそ、更正できた自分が今ここにいる。ただ逮捕されるだけでは理解できない、優しさ、協力精神、相手への思い遣りも習える場をもうけた聖職者だ。“ありがとう”の一言で収められないほどの御恩まで頂き、空想だけの存在だと思っていた彼に、敬意まで生まれてくる。


「ホホホ。いつか御主のような更正者が増えるよう、ワシもつとめんとなぁ」

「身体には気をつけてな? てか、サンタクロースって、本当にいたんだな」


「ホホ……。年々減っているが、“い子”がいる限り、ワシはこの世界に訪れるつもりじゃよ」

「善い、子……?」


 ふと立ち上がったサンタクロースにも気づき、思わず瞬きを繰り返した。確かにサンタクロースとは、その一年“善い子”でいた子どもたちにプレゼントを贈る者だと言われている。

 少子化が影響源なのかと聞いてみたが、首を左右に振られ否定されてしまった。てっきり子どもたち全てが善い子だと思っていたが、どうも老爺にとっては違うらしい。実際にプレゼント配りを行ったときも、明らかに子がいる家庭に侵入しないときもあって不思議だったが。



「――ワシの中で“善い子“とは、悲愴で辛辣な現実の中でも、必死に生きようと歩み、過酷を背負いながらも、表では微笑みを型どり、社会の規範を守りながら過ごしている子じゃ。時に誰かのために働き、時に誰かに喜びを与える。まるで人間界のサンタのような子たちにこそ、ワシは感謝の印として贈っているのじゃよ」



 サンタクロース本人が掲げた、“善い子”の定義と、プレゼント配りに結びつけられる定理だった。

 様々な社会問題に包まれる人の世は、時代が進むに連れて息苦しさが増している。情報網の発達をきっかけに、多くの制約が人間を縛り、ストレスを誕生させていることだろう。

 しかし、そのストレスが関係のない子どもたちまで及んでいることを、大人たちは忘れがちだ。

 子が日々の生活面で問題を起こす場は、確かに外出した先がほとんどだろう。不思議にも、家庭内ではなかなか起こらないのが近ごろの御時世だ。

 なぜなら家庭内での子どもたちは、仕事上で抱えたストレスを運んで帰宅する親たちに、全身が固まるほど緊張しているからである。大好きな父母から、恐ろしいまでの怒号を受けたくないあまり、静かに我慢しているのだ。いこいの場であるはずの家庭なのに、今だって。


 苦境にも負けずに笑い、外で問題を起こすことなく過ごす子には、サンタクロース自身は誇りに思っているそうだ。

 サンタクロースにとって、クリスマスプレゼントとは、御褒美ではなかった。

 “ありがとう”の意を吹き込んだ、感謝の贈り物だったのだ。


「年々減ってる、か……。かわいそうだけど、何かわかる気がする……」

「さて、もうそろそろ本題に入ろうかのぉ~」

「はぁ? 今までの全部、前振りだったの?」


 さすがは長話専門者だ。

 どうやらサンタクロースが現れた理由とは、想いを伝える以外にまた別件の内容らしい。すると、あらかじめ持っていた白袋の中から、見覚えのないプレゼントボックスを一つ取り出し、サンタブーツの音を鳴らしながら歩み寄る。


「御主が教習所で忘れていった物を、届けに来たんじゃよ~。ほれ、受け取りなさい」

「わ、忘れ物……?」


 不思議ながらプレゼントを開け始める。何かを置いてきたつもりは一切なかったが、中身を覗いてみると、ハッと思い出したように見開き目を落とす。


「写真だ! 家族の写真と……ハハ、二十四班みんなで撮った写真」


 まずはサンタ教習所にさらわれる前から持っていた、風真と常海のツーショット写真。

 また、プレゼント箱詰め作業が終了した際に撮影した、二十四班全員での写真。

 そして、なぜだかわからなかったが、箱底には赤いサンタ帽が一つ詰まっていた。

 計二枚の写真と一つのサンタ帽が目に映る中、まず二十四班の写真を取り出し、小さな微笑みを浮かべながら除き見る。


『望……留文……芽依……聖……そして、イブ』


 思いを添えた写真には、自身を含め計六人の集合絵が描かれていた。右側で手を結び合う笑顔カップルの留文と芽依。

 一方の左側では、お母さん指とも称せられる人差し指を立てた、鋭い目付きながら微笑む望。

 その端の方で、そっぽを向いたまま横顔のみ写した、寡黙の中に日だまりをともす聖。

 そして中央には、岳斗自身に飛び抱き着いた、笑顔満点で嬉しいの字にピッタリなイブ。


 五人は今、一体どうしているのだろうか。


 捕まった望と留文に関してはきっと、同じように留置所生活を強いられていることだろう。恐喝と誘拐に絡んだ二人には、それなりの重い罪を課せられる気がして否めない。しかし、それぞれの輝かしい未来のために生き抜いてほしいと、無事なる出所を願うばかりだった。


『また会えるなら、絶対会おうぜ……。望、ルドルフ……いや、留文』


 また、唯一被害者の立場だったのが芽依。今ごろ実家に戻って、家族たちと平凡な生活を送っているに違いない。盲目が治ることはないのだろうが、気配り上手な彼女には相手を見透かしてしまうほどの、心の目がある。そんな思い遣りをずっと忘れず、いつまでも優しい少女でいてほしい。


『芽依だって、また留文と会えるさ。それまで辛いかもだけど、お互い我慢しような』


 三人は異なる現状に置かれているが、空の下という点では同じポジションに着いている。が、たった一人、聖だけは還らぬ人となってしまった。この世には存在しない人物と化し、会いたくても会えない写真上だけ面会できる彼である。

 再会できないことは、言うまでもなく寂しい。共に努力した仲間であり、最後には心を開いてくれたチームメイトなのだ。

 しかし、あえて微笑みを写真に返し、生きている者として言える感謝を思う。


『根が優しい聖のことは、一生忘れない。天国に逝っても……仮に地獄に逝ったって……俺は絶対に忘れないから』


 二十四班という一つの枠中で過ごした、家族と同じくらい大切で尊い四人たちと、小さな写真を通して無音の会話を終えた。そして最後にはもちろん、突如消えてしまった幼女へ目が向かう。


『イブ……』


 世話役として働いてくれた、キラキラスマイルのサンタ幼女。ふと彼女を目にした途端、岳斗の頬が下がる。


『イブも、最後には突然いなくなっちまった一人なんだよな……』


 最後のプレゼントを配り終えた日に、イブはサヨナラも言わず姿を消してしまった。当時そばにいた常海や風真、院内の方々にも聞き回ったのだが、誰もが見ていないという。


「……なぁ、サンタのおじいさん。イブは、どこに行ったんだ?」

「戻るべき場所へ、戻ったよ。ひたすら嬉しそうに、満を持してじゃ」

「そっか……。なら、良いけど……」


 サンタクロースの応答を聞き入れ、写真上のイブを見つめ続ける。小学校低学年程の幼女にとって帰るべき場所を考え、やはりこう思い付く。


『きっと、家族の元に帰ったんだろうな……』


 今考えてみれば、イブの存在は不思議極まりなかった。罪人だけが集まるサンタ教習所に、なぜ幼い彼女までいたのだろうか。しかも他班では見受けられなかった世話役を、なぜ率先し果たそうとしたのだろうか。

 もしやイブも、サンタクロースが住まう異世界の人間だったのというのだろうか。


“「あ、ほら!! みんな見て見て!! アタシたちの笹浦市だよ~!!」”


 いや、あの日ソリ上で放った台詞を思い出す限り、やはりイブも岳斗たちと同じ、笹浦市出身者であることがわかる。

 となれば、あの幼女は一体どこの家庭に生まれた娘だというのか。知り合いでもなければ、近所で見かけた娘でもない、イブの正体とは。


「結局イブって、誰んだったんだろうな……」


 見当着かずの自嘲気味に吹きながら、一人言を写真に与えたときだった。


「御主……やはり気づいとらんかったのか……」


「え……? 気づいてないって……」


 サンタクロースの応対に、疑問符を頭上に浮かべた。


「そのの正体じゃよ。てっきり、出会ったときに気づいていたの思ぉとったのに……」

「で、出会った、とき? え……?」


 見た目だけで気づくことができるというのだろうか。

 サンタクロースの言葉をヒントに、瞳を閉じて腕組みし、初めてイブと会った日を改めて思い返してみる。


“「アタシの名前はイブ!! ずっと探してたんだよ~岳斗!」”


 そういえば、イブには既に名前を知られていた。やはりどこかで会ったことがある人物なのか。


「イブ……」

「そのは確かにイブと名乗っていたが、決して親から付けられた名ではない……」


 写真のイブから目が離せない中、サンタクロースの言葉をしっかり耳に入れ、再び幼女サンタの台詞を脳内再生する。


“「うわぁ~笑顔ヘタッピュア~。それでも元営業マンのつもり~?」”


 解雇される前の職業まで知られていた。しかし、イブという幼女と以前に会った記憶など、やはり思い当たらなかった。


「イブ……」

「そのと出会えたことは、御主にとって奇跡じゃったんよ?」

「き、奇跡……?」


 どうも赤き老爺はイブの正体がわかっているらしく、長い白髭が縦に振られる。


「そのは一応、今年で八歳じゃ……。ほれ、八年前のことを、思い出してみぃ」


「八年、前……」


 なかなかおおやけにしてくれないサンタクロースが顕在だが、再度写真のイブを見つめながら考える。


『イブ……』


 八年前といえば、まだ岳斗と常海が結婚したての十九歳のときだ。大学への進学は辞退し、社会人一年目を迎えた年でもある。


『イブ……』


 営業マンとして様々な家庭に招いたが、そこに似た娘はいなかった気がする。まだ不慣れな社会とはいえ、忘れている訳ではないはずだが。


『イブ……』


 あの日の自分は、ただひたすらに仕事に全うし、家事をこなす常海のため、いつしか誕生する我が子のため、未来に訪れる素敵な家族絵を実現させるために、業績を上げることばかりに身を粉にしていた。

 確かその年では、常海が初めて妊娠した一年でもあると、そう思った瞬間である。



「――っ! まさか、イブって……いや、んな訳……」



 心の呟きは声へと具現化され、驚き音が冷たい空気を暖める。瞳は大きく見開き、イブへ一直線に向かい続ける。思い付いた予想のせいで手元に震えが発生し、握る写真に皺が浮かんでくるほど力みまで生まれていた。


「ホホホ……。やっと、気づいたようじゃの~。ほれ、そのサンタ帽の中味も覗いてみぃ。それは、あのがずっと頭に乗せておった物じゃ。中に、確固たる証拠もある」


 するとサンタクロースに、プレゼント箱に入っていたサンタ帽を取り出され、中身が見えるよう裏返しにさせる。


「聖職者の帽子には、どんな相手でも、互いを視つめ合える効力があってのぉ~」


「だから、あのイブのことが視えたって、ことか……?」


「そうじゃ。視える訳がない彼女のことも……。ほ~れ、ここに可愛らしく、名前が書いてあるじゃろ?」


 視えないはずの物を、視えるようにしてしまうのがサンタ帽だと、聖職者は告げた。だからこそ最後のプレゼントを配った際、同じくサンタ帽を着けていた岳斗だけには視え、常海と風真には視えなかったのだ。もっと言えば、信太郎を始めとする警察官にも気づかれていなかった過去さえ思える。


「そんな、バカな話が……」


 正直まだ半信半疑の状態が続いていた。現実味をはなはだしく感じられない予想だけに。

しかし、イブのサンタ帽の内側に記された文字を窺った刹那、驚きの予想が驚愕の真実へと変貌し、大きく息を飲まされる。



――サンタ帽の内側には黒マジックで、“そのごえ*いぶ”と、太字で大々的に刻まれていたからである。



“「よかったね、みんな……」”



イブが消える間際に放った一言をふと脳裏によぎったことで、ついに正体に確信を抱く。




『――やっぱり! イブは八年前、流産したあの子だったのか!!』




「……さ、サンタさん!!」


 ついに写真を手放した岳斗は即座に、サンタクロースの両肩を掴む。目頭が熱さに比例し、握力も次第に増していく。


「頼む!! もう一度! もう一度イブに会わせてくれ!!」


 世話役として、そばに付き添ってくれた幼女サンタ――イブ。


“「アタシの名前はイブ! 情けない大人だけどサンタをやる岳斗にとって、とぉ~っても頼れる世話役だよ!! エヘヘ!」”


 彼女と過ごした日々は、確かに騒がしい時間が多かった気がする。


“「うわっ! ロリコンだ!!」”


 時には、いい加減なことで叫んだり。


“「じゃあ何よ!? アタシは走れってか!? 拷問ごうもんだぁ~!!」”


 時には、小もないことでわめいたり。


“「キャハハ~!! こういうの、ずっと前からやりたかったんだよね~!!」”


 時には、ゲラゲラ無邪気に笑われたりと。



 しかしイブには、心が折れそうなときに何度も助けてもらった。


“「――人はみんな、生きてさえいれば自然数だ!! でも死んじゃったら、虚数きょすうになっちゃう……。だから、そこで初めてマイナスが出てくるんだと思うよ?」”


 初めて、二十四班が結成したときも。


“「それに岳斗だって、叶えたいものがあるんでしょ? だったらくじけちゃダメだよ! 諦めたら、そこで試合終了らしいよ?」”


 望が、いなくなってしまったときも。


“「だって、ルドルフ……ううん、留文は、生きてるから。芽依だってそう……。二人とも、望と同じ、死んじゃいないんだからさ……ニヒヒ」”


 留文と芽依が、脱退せざるを得なくなったときも。


“「聖の想いまで、殺さないで……」”


 聖が、亡くなってしまったときも。



“「大丈夫だよ、岳斗。風真はまだ、しっかり生きてる……」”



 最後に風真へプレゼントを届けるまで、どんなときもそんな恩恵だらけのイブにはまだ、ありがとうを言えていない。


「頼む!! サンタさん!! 一度だけでいいんだ!!」

「……すまぬが、それは無理難題じゃ」


「へ……んな、何でだよ!? アンタ天国にだって行けるんだろ!? だったらまたイブを連れてきてくれよ!!」

「確かに今回は、天国で善い子だった彼女を連れてきた訳じゃが……」

「頼むってばァ!!」


 岳斗の瞳には潤みが増し、煌めき揺れる瞳で嘆願していた。これでもかと言わんばかりに叫び続けるが、サンタクロースには否定され、初めて彼の瞳を目前にさらされる。



「――園越イブの願い事は、ガキのままの御主を、立派な大人にさせることじゃった。現実をしっかり捉えさせ、世間のルールを守り生きていく、高潔こうけつな父親にじゃよ。つまり、死者と再会という現実離れした行いは、あの娘の願いにそむくことになるじゃろうが」



「……クッ……ウゥ……グズッ……ウゥッ……」


 ついに泣き面を伏せてしまう。サンタクロースを掴んでいた両腕は無気力に下がり、両脚さえ機能を失ったように崩れ落ちる。



『イブ……イブ! イブゥ!!』



 会いたい。


 ただその一言だけだった。


 しかし、もう会えない。


 いや、会ってはいけないのだ。


 死者であるイブと再会することは、現実という範疇はんちゅうでは規則違反であり、彼女の願いをないがしろにする愚行になってしまう。夢の反対はうつつであり、子どもの反対は大人なのだ。たとえ辛かろうとも、大人は現実を受け入れる強さを求められる。



『――それでも、俺はイブに会いたい!!』



 天国からの願い――すなわちイブの心を知った今でも、岳斗はコンクリート床に涙を落としながら再会を願ってしまう。実の娘だとわかって放つ、感謝の一言も与えらなかった。自分が天に向かうまで会えないなど、想像もしたくないが。


「善きかな? 園越岳斗……」


 すると静寂な声を漏らしたサンタクロースに、四つん這いの岳斗は涙目を上げる。初めて老爺が大きく見えた瞬間でもあり、肩に手を乗せられる。


「御主は既に、現実世界で生きねばならぬ、大人であり父親なんじゃ。共に生きる家族のためにも、天国の愛娘まなむすめのためにも、応えてやるんじゃよ?」


「サンタ……さん」


 正直なところ、あまり納得はしたくない。夢や空想から隔離される存在が大人というならば、あまり望みたくない役柄だった。



――しかし、大人でなければ、大切な一家を護る父親になんか、なれやしない。



 罪を犯して知った、親の肩書きを抱く大人の教訓だ。

 いつまでも、夢のようなれ言を語ってはいけない。

 いつまでも、現実という確かな世界に立ち向かわなければいけない。


「ウゥ……ウフゥッ……」


 夢を諦めろとも聞こえる、残酷染みた台詞だ。自己を破棄することにも繋がり兼ねない。


「グズッ……クゥッ……」


 しかし、その言葉には本来大人のあるべき姿が込められている。なぜなら大人とは、輝く夢を求める子どもたちへ、煌めく夢のバトンを与える、気高き存在なのだから。先走った者がいつまでもゴールに辿り着けず、光る夢のバトンを握っていれば、次なる世代に渡すことなどできない。


「ウ゛ウゥゥ……グズッ……」


 夢を叶えようと努力する小さき勇者たちを、知見を広げた賢者には導く義務がある。

 大人であるが故に。

 父親であるなら余計に。


「グズッ……。サンタ、さん……」

「うむ……?」


 いつまでも、愚者ぐしゃであってはいけない。



「――わかった。……俺、受け入れるよ」



 拭った瞳には、まだまだ揺らめくしたたりが明らかだった。しかし、覚悟を決めて眉を立て、イブの心に応えようとたくましげに起立する。


「立派な父親になること……。それがイブの願いなら、うちの娘の希望なら、俺は受け入れる!」

「ホホホ。それならば、天国の園越イブも、大層喜んでおるじゃろぉ」


 優しく包むように微笑んだサンタクロースにも祝福され、少しだけ嬉しかった。ガキのままだった自分が、大人として認めてもらえた気がしたからだ。加えてイブの笑顔も連想させてもらえたため、親として応えられた気持ちが芽生えたからである。


「……? さ、サンタさん!? どうしたの!? 身体透けてくぞ!?」


 まだ半透明の状態だが、老爺の背後で隠れてたはずの鉄格子が鮮明に見えてくる。


「ホホホ。それは御主が、確かな大人になった証拠じゃよぉ」


 サンタクロースの声はまだ聞こえる。が、やはり姿はどんどん薄れていき、足元を窺えば、影までコンクリートの色に溶け込みかけていた。


「アンタとも、お別れなんだな……」

「そうじゃな……めでたいお別れじゃよ」


 大人になれたのだから。立派な父親になるための、一段下まで登り詰めることができたのだ。


「サンタさん……てか、なんだよ。箱の中身は奇跡って。願い事は、物品に限るんじゃなかったのかよ?」


「ホォ~……相変わらず、この世界の人間は趣深いことを言うのぉ~」


 なぜか失笑されてしまったが、それもサンタクロースが異世界の聖職者であることを考えれば、無理もなかった。



「――ワシにとって、奇跡は物品なんじゃがなぁ~」



「……へっ。ズルいなぁ~、その理屈は」

「一応ファンタジーじゃからな」

「そういうのは言わんでいい!」


 もうじきサンタクロースの姿が見えなくなりそうだ。明確な紅の衣装もセロハンの如く透け、ついに空気にまで溶け込む時が訪れたようだ。


「もうワシが見えるようには、なるなよ? 園越岳斗」

「あぁサンタさん……。奇跡を、ありがと」


 最後に感謝の意として、微笑みで答えた。一方でサンタクロースも、大人になり得た賢者へと喜び返す。

 それはとても簡単で、ありふれた言葉で、使い古された一言を放って、静けさにしていく。



「――Merry christmas,to you……」



 流暢な英語を耳に残し、ついに視界からサンタクロースの姿が消えた。忘れ物として贈り届けてくれた写真二枚と、イブが使用していたサンタ帽を残し、無音の空気の中へ。


「……イブ。聞こえるなら、聞いてくれ……」


 一人言を呟き、壁に凭れたまま座り込む。いつもは退屈な表情ばかり浮かべていたが、今日は晴々しい微笑みで天井を見上げることができた。


「ありがとな、イブ。お前は俺の、自慢の娘だ」


 天井に呟いたところで、返される音は反響だけだ。しかし、この声が天国に届く可能性があるならばと、感謝を語り続ける。


「イブのおかげで、俺は大人になれた。イブがいたから、俺は大切なことを学べた。何度も言うけど、ありがと」


 最初の奇跡はあの日――イブと出会ったときに起きていたのだ。今の視点から彼女を思うと、元気で無邪気で、少し喧しいが、人懐っこい娘に成長してくれて、親としてこころよい。どうか、離れた天国にいても、得意のキラキラスマイルで、誰かに元気に分け与えてほしい。


「イブ……。園越、イブ、か……。フフ、いい名前……。ただ……ごめんなッ、イブッ……」


 ところが、最後に天に向けて謝ってしまう。やがて呼吸が荒くなり、停止させたはずの涙腺るいせんが再び緩み、上を向いているにも関わらず涙が落ちる。



「――今日だけ……今日だけはずっと、泣かせてくれ……」



 実の娘と気づけなかった後悔もある。園越家は全部で三人だと思い込んでいた、自身の愚かさだって。

 情けなかった。

 実の親として。

 名を与える間もなく死んでしまった娘にまで、気遣いを受けていたのだ。



「――明日からは……グズッ、明日からはずっと、笑うからさ……」



 イブとの生活は、一生忘れない。

 約二十日と短い期間だけに、一日一日が宝石のように思える。

 それは言うまでもなく、イブに確かな愛があったからだろう。

 だからこそ、愛娘と呼びたい。

 そして認めてもらいたい。

 園越イブという、不確かながら愛が秘められた存在を。


 その日の留置場では、一人の泣き声が一日中続いたそうだ。監察官にも心配され、挙げ句の果てには他の犯罪者にも気にかけられた。が、大人になって愛の尊さを知った岳斗は、日付が切り替わるまで泣き叫んだという。



――明日からずっと笑って過ごすと、大人としての誓いを立てて。

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