第十七夜*Rudolph*

 線路下を流れる、やなぎ川の河原。

 徒歩数分先の笹浦駅から伸びた線路の下では、駆け騒ぐ電車音が耳内を襲うほどだ。ゆるやかな下流周辺にも高層住宅ビルが数件連なり、川をまたぐ二車線車道も設備され、水面みなもに反射されたまばゆい夜景からは密かな都会感を覚える。


 一方で穏やかに流れ黙る柳川には、時に魚が跳ね出したり、羽根休めを終えた白鳥が羽ばたいたりと、自然自身の姿がよく垣間見かいまみえる。雨が降った際には高確率で浸水する河原も緑生い茂り、アスファルトだらけの地上とはある意味異世界的関係に等しいだろう。


 深夜零時を回った現在では、人通りがほぼ皆無な静寂空間。周囲の灯りも数が減り、頭上を通り過ぎる車のライトぐらいしか光をもたらさない。


「留文……遅いな……」

「きっと芽依の分も配ってるんだよ。だから、許してあげて?」


 雲にも覆われて真っ暗な闇の下、まだプレゼント配りを終えていない岳斗とイブが立ち並び、グループメンバーの留文と芽依を待ち構えていた。待ち合わせ場所にたどり着いたことはトランシーバーで知らせたのだが、未だに二人からの応答がない。決して時間に余裕もないだけに、今か今かと遠方の道を覗いていた。


 急遽サンタ業を停止させた結果を選んだが、そこには父親でもある男として、同じ男である留文に、直接面と向かって放ちたい想いがあったからだ。



『――留文……なんで誘拐なんてしたんだよ? 家族を引き裂くなんて、重罪極まりないじゃんか……』



 知らねば仏のように見えていたであろう、笑顔が似合うお調子者の留文。しかし、一年前に芽依が見知らぬ男に誘拐されたことを知った今、彼を誘拐犯だとしか捉え切れていなかった。先ほどの訪問先で読み通した新聞記事には、目撃者の意見も記載され、曖昧だが男の特徴がこう述べられていた。


『まだまだ若くて、百八十センチ前後の身長で、茶髪の男……ダメだ! 留文の顔ばっか浮かんじまう……』


 全ての特徴が一致していたのだ。故に断定するまで促され、既に留文から気持ちが離れ俯いていた。


『それに、芽依も芽依だ……。自分が盲目のこと黙ってて……』


 もう一件気になる真実に苦味を感じていた。言うまでもなく、芽依が実のところ盲目の女子中学生だという現実だ。だからこそ今日こんにちまで、仲良くなれた彼女とは一度たりとも目を合わせてもらえなかった。初めて出会った際、握手を求めたときだって無視されたのだと思ったが、決して彼女の心が起こした拒絶行動ではなかったのだ。


『しかも、自分から誘拐犯についていくような真似まで、して……』


 サンタ教習所でよく窺えた、二人がカップルの如く手を繋ぎ合う景色を思い浮かべ、岳斗の表情は更に渋みが増していた。まるで互いを許し合うような等身大で、今となっては安心して見れたものではない。


 一方的に留文が引く場面が多々あったのは確かだ。が、時おり芽依からも彼のサンタすそを掴むシーンも目撃している。目が見えないとはいえ、自ら誘拐犯を先導者として選んだかのように。



『――芽依には、留文がどう見えてるんだろ……?』



 酷にも、視覚を持ち併せていない少女であることは既知だ。そのため残った四感、もしくは予想という第六感を働かせて生きる訳だが、果たして芽依は、留文が誘拐犯であることを理解できているのだろうか。しき洗脳も蔓延はびこる世の中である故に。



『――? あれ? ちょっと、待てよ……』



 今日までの芽依を考えると、ふと大きな疑問に直面した。彼女が盲目だと決めつけていたが、そこにはある矛盾まで思える疑惑に気づいたからだ。


「……い、イブ? ちょっと、一つだけ……てか、確認なんだけどさ……」

「なに?」


 いつもの無邪気なボケ回しが来ないだけに、自由の幼女も今は気分が悪そうだ。しかし、あの日芽依がおおやけにした言葉に不審すら抱いた岳斗は身体をひねり、眉がハの字のイブと瞳を合わせる。


「教習所にいた人間は、みんな罪人なんだよな?」

「……うん、そうだよ。みんな、何かしらの犯罪を犯してる」

「やっぱ、そうなんだ……」


 初めて出会った際にもイブから告げられた内容だが、決して間違いではなかったようだ。罪を犯してしまった、ガキのままの大人たちが多く集まっているのだと。


 しかし岳斗にとっては、想像したことで生まれた疑問という風船がより膨らみ、破裂を迎えさせるほどの効果だった。



『――盲目の少女が、空き巣なんて可能なのか……?』



 同じ空き巣を犯した者として、どうしても疑問が拭えなかった。真剣な腕組みを始め、あの日留文と共に打ち明けた芽依の言葉を回想再生してみる。


“「ヒヒ。ちなみにボクは、万引き~! お腹空いちゃったからさ~つい」”

“「わたしは……岳斗と同じ、空き巣……」”


 何度リピートしても、どうやら聞き間違いではない。留文自身も誘拐犯であること隠した訳だか、その理由は何となくわかる気がした。仮にあの日、本人から誘拐犯だと知らされていたとしたら、その時点で見る目が変わっていたことだろう。


 しかし、それよりも大きな疑問点こそが、芽依の発言内容だった。妙な間さえ窺える奏で方だったが、視力を失った人間が空き巣など全く考えられない。侵入先だって毎度換わる犯罪行動のため、いくら経験を重ねたところで、多種多様な民家を狙うなど不可能に近い。



『――なんで、あんな嘘ついたんだよ? ホントは被害者なのに、どうして……』



 留文が誘拐犯であることを隠した芽依だとも捉えられ、彼女の心意気が一層深淵しんえんの深さを増す。なぜ、被害者が加害者を守ろうとするのだろうか。ただでさえ、唯一無二の尊い人生を狂わされているというのに。

 やはり裏には何か大きな束縛が、はたまた洗脳が働いているのだろうかと、想像がいよいよ限界を迎えていた、そのときだった。


――「オ~~~~イ!! が~くと~~!!」


「――っ! 留文、芽依……」


 辺りに響き渡った音源に、岳斗の細目はイブと共に向かう。正体である留文が芽依の手を引きながら、河原の奥に停められた二台の婦人用自転車より近づいていた。相変わらずよく見てきたカップルのような光景だが、もう笑って見ていられるほど心にゆとりがない。


「へへっ! どう? そっちは順調?」

「留文……あのさ?」

「どうしたの岳斗? それにイブちゃんも、何か元気ないよ?」


 イブの俯きにも気づいた留文が気さくながらたどり着くが、岳斗も目を合わせず視線を落としていた。いつもと変わらぬ明朗めいろうさが、黒光りしている錯覚さえ感じる。


「……その、どうしても、お前に言いたいことがあるんだ」

「なになに? ……もしかして、タイプの女性像とか!?」

「そうじゃなくて!!」


 冗談を交える留文には、まだ察しが着いていない様子だ。芽依も虚ろな瞳を数回のまばたきを放っているため、改めて固唾を飲み込み厳格な縦眉を当てる。


「なんで、芽依を誘拐なんてしたんだ? 一年前、芽依を拐ったの、お前なんだろ……?」


「――っ! ……」

「――っ! 岳斗……どうして……」


 二人の目が大きく見開いた。質問が予想だにしない発言だったという、確固たる証拠以外何物でもない。が、意外にも高音の初声を鳴らしたのは芽依の方で、一方の留文は珍しい静寂の表情を地に落としていた。


「どうして……る、留文のこと、わかったの……?」

「虫の知らせってやつだ。冬だけど、俺には聞こえた……」

「そん、な……」


 言葉限らず次第に震えさえ増していく被害少女を窺う限り、留文が誘拐犯であることは間違いなさそうだ。誰一人として上向きな気持ちなど抱けない冬闇のベールに包まれる中、視線を向けてくれない芽依の狭い肩を掴む。


「芽依。これは、俺の手だ。わかるな?」

「岳斗……なんで、そんなこと、聞くの……?」


「わりぃな。芽依が盲目だってことも知ったんだ。だから、その確認だ」

「そこ、まで……」


 芽依の正面に現れたことで、初めて目と目を交わすことに成功する。やはり虚ろ気味な瞳孔が顕在だが、心を見通すほど奥底まで睨む。


「芽依! 早く家に帰るんだ! いつまでも、誘拐犯の隣にいてはダメだ!」

「……」


「芽依!!」

「……」


 視線が更に落ち込んでしまった芽依に、思わず強く握ってしまう。思春期真っ只中で未来に輝ける少女を、何としてでも説得して助けたいあまりで。


「芽依……お前の両親、すごく心配してるぞ?」

「……嘘、だよ」

「嘘なんかじゃない! 新聞の写真で、ボロボロに泣いてた。お前の帰りを、誰よりも待ってんだぞ?」


 同じ屋根下で暮らす家族の欠落ほど、胸を微塵みじんにする破壊凶器はない。離婚に関して言えば、子の心が消去されてしまうほどショックな出来事で、家庭内にとどまらず外出時の人となりにも影響を及ぼす。

 単に、人間不信になってしまうからだ。それが後にも続き、自我を縛る冷たい鎖になることを、身勝手な大人は知らないし、知ろうとしない。


 その逆が、今回の娘息子の失踪なのだ。それは父親でありながら、今にも遠い異世界へ出向きそうな息子を抱く岳斗には、心の重症そのものだった。


「芽依!! 俺がつれてくから、お前の家の場所を教えてく……」

「……待ってる訳ないよ。わたしの、ことなんか……」

「え……?」


 不意にも言葉尻を被せた芽依を解放し、一歩後退して儚げな少女を観察し始める。まるで疎外を受けていると言わんばかりの悲哀台詞だったが、掲載されていた両親の泣き姿からは論理を満たさない気がする。

 なぜ批判的言葉を紡いだのか理解できず、首も傾げず眉間にしわを寄せた瞬間だった。


「チェ……。最後までバレないと思ったのに……」


「――っ! 留、文……?」


 背後から舌打ちと低音を鳴らした罪人青年に、岳斗は振り向いて後ろ姿を目に浮かべる。いつの間にか拳へと変換した両腕が変に微動を現し、天に吊り上げられたような猫背まで見て取れる。

 すると留文が大きなため息で肩を落とした刹那せつな、不適な笑い声が漏れ響く。


「あーあ……。こんなことになるなら、ここに来るんじゃなかったよ……」

「留文? お前、何言ってやがる?」


「フッ……。よく言うぜ、御人好しで、所詮は罪人のクセにさ」

「はぁ……?」


 邪悪で禍々まがまがしいオーラさえ感じ取れる、トーク展開とサンタ衣装の背中。


「フフッ、そうだよ……。お前の言う通りだ、園越岳斗……」


 普段は快活な声のトーンも底まで下がり切った様子で、ついに留文が全身を振り向かす。笑っている表情まで不審極まりなく、不気味な頬上げを目の当たりにされる。


「ボクこそ……路端土芽依を誘拐した、極悪非道の犯人さ……」


 今まで隠してきたからこそ、真犯人の一言一言がラスボスの如く胸中を襲ってくる。ブラックサンタと化した得意気の留文だが、ふとそばのイブに横目を送ってから、岳斗と芽依へ、僅かにも震える邪口じゃぐちを広げる。



「――モノホンのロリコンってヤツだよ!! かわいいから、自分のモノにしたかった……。欲しいから、その手を引っ張っただけだ! たったそれだけだよ!! フッハハハハァァ~!!」



「クッ……留文、お前……」


 これが真の姿だったのだと、岳斗は強い歯軋りを放ち臨んでいた。確かに、彼がここまで残酷な人物だとは思いもしなかった。いつも明るく接してくれ、積極的にグループ集めもしてくれ、チームのムードメーカーとして捉えていたほどだ。


『けど、それも全部、留文の演技だったってことかよ……』


 全ては、己のいびつな罪をひた隠しするために。一番近くの仲間から騙す、非道に残酷を重ねた手法を取っていたのだ。

 だからこそ、実際の犯罪経緯を“万引き”と誤魔化すことで、心の距離を無理強いにも近づけ、誰よりも容易に仲良しを求めてきたのだろう。一般的な罪人心理として、あるまじき行為そのものだ。


 もはや一般という範疇はんちゅうに収まりきらないほどの重罪者だと言える。罪人が罪人を騙したのだ。同じ境遇を背負っている者たちを、まるで自身の手のひらで転がすかのように私利私欲を求めたのだ。


 きっとサンタクロースに求める願い事だってとんでもない物に違いないと、邪心を向け放つ留文から、岳斗は心を固く閉ざそうと一歩下がった、そのときだった。


「ヘタな芝居は、やめてよ……ルドルフ……」


「――? 芽依? ……っ! お、おい芽依!?」


 背後でボソッと呟いた芽依に気を奪われたが、直ぐ様岳斗を通り過ぎて留文の元へと駆けてしまう。終いには自身を被害者に染めた誘拐犯へ抱き着き、もはや洗脳以外考えられない行動を起こしていた。


 しかし、岳斗にはどうも違和感を覚えてならない景色が拡がった。



『留文……なんで、あんな驚いた顔してるんだ……?』



 悪魔にまで窺えた留文は、表情を失って見開いていたからだ。事の運びが計算通りに進まなかった無念というよりかは、約束した内容と大いに異なり驚愕している様子に見える。


「め、芽依ちゃん……?」

「もういいの。わたしのことを、もう守ろうとしなくていいんだよ、ルドルフ……グズッ」


「ルド、ルフ……?」


 なぜか呼び名が変わって不思議だったが、鼻の啜り音を鳴らす芽依にふざけた様子など感じられない。むしろ後ろ姿からでも泣きじゃくっている感情が伝わり、抱き締めをいっこうに止めないまま顔を埋める。


「め、芽依ちゃん……そ、それは、言わないって約束じゃ……」

「だって、こうでもしなきゃ!! ……」


 すると、岳斗にとっては未経験である、芽依の涙ぐんだ叫びが放たれた。戸惑う震えが強まる留文も顕在な中、盲目少女の瞳な虚ろな曇りを晴らす。



「――救ってくれたあなたが、いつまでも感謝されないまま、終わっちゃう……」



「――ッ!! 芽依ちゃん……」


 芽依の涙が、留文の瞳にも移り渡っていた。落ち着いていた肩が上がり面を地に向かせ、くしゃくしゃな表情へと変貌していく。心を抉られたように、ついには互いを抱き締め合う姿にまで。


「芽依、留文……なにがどうなってんだ?」

「あのね、岳斗……」

「イブ……」


 目の前の状況に疑問符が浮かび続ける中、隣に現れたイブが静かに呼び止める。


「望と岳斗を助けに向かったとき、思い出してほしいんだけどさ……」


 抱き合い悲哀らしき涙を溢し合う二人へ向きながら、イブの晴れない言葉に岳斗の瞳が移る。

 思い返せばあのとき、望を救うことはできなかったものの、トランシーバーで伝達したイブたちにはピンチから助けてもらった。遠い夜空の奥から赤く火照った、一頭の茶色いトナカイに引かれながら。

 ただ、イブと芽依の姿は確かに覚えているのだが。


「あのとき、留文もいたんだよ? 望と岳斗のこと、絶対に見捨てないって……。誰よりも前を走って、一秒でも早くって……」


「ど、どこに、い、た……ッ!! まさか、留文って……」


「うん……」


 あのとき、留文の姿がどこにも見当たらなかった。しかし、それも無理はなかった。なぜなら、彼の本来あるべき姿を知らなかったからである。それは言うまでもなく、誘拐犯という悪しき姿ではない。たった今イブに伝えられたことを踏まえ、改めて流道留文の正体を認知する。トナカイであるブリッツェンが公にしたがらなかった、“アイツ”の正体と一致させて。



「――アタシたちをソリで連れてったのは、紛れもなく留文……。赤鼻のトナカイ、Rudolphルドルフだったんだよ」



「赤鼻の、トナカイ……ルドルフ」


 留文の真たる素顔を理解し、これ以上言葉が出なかった。確かに様々な点で成立する事実だったからだ。


 教習所内では担当者のトナカイが現れた途端に黙り込む姿があり、またこちらの現実世界に来てから、早すぎるプレゼント配りが随所に表している。話を思い返せば芽依の分まで配り終えたらしく、空でも飛べない限り、細く入り組んだ道が多い笹浦市では有り得ない現象だ。


 先ほどの悪魔姿も彼なりの演技だったのだろう。だからこそ今、芽依と共に泣き合っている訳だが、ますます悲愴な背景を感じてならなかった。


「へへ……。岳斗、ゴメンね……ずっと、黙っててさ」


 留文は涙を拭って表情を和ませ、胸内から金色に煌めく鈴を取り出す。それはブリッツェンたちも首元に備えていた物と全く同じ形状で、彼がトナカイの一頭だと言える証拠だった。窮地から救ってくれた、恩人だったのだ。


「留文……」

「違う……ボクは、ルドルフ。いつもみんなの、笑い者さ……」


 いつもの笑顔を放つ。目元の涙が依然として残ったままだが、どこか一安心できた様子で、肩の力も抜けていた。


 ルドルフは、まだまだ泣き止まず抱き着いたままの芽依に視線を落とし、頭上にたなごころを添えて俯く。


「確かにボクは、このを拐う結果を選んだ……。罪を背負うことを、決断したのは間違いない」

「なんで、そんなことを……」

「単純に、護りたかったんだ。たった一人の、大切な人間を……。たった一つの、尊い心を」


 大切な誰かを守護する故に、罪に手を染め上げた。

 それは岳斗も似た動機で、批判精神すら失せかけていた。


「……でも、でも誘拐まで、しなくたって……」

「違うの岳斗!」

「芽依……」


 芽依の顔がようやくルドルフから離れ、抱き締めたままだが岳斗とイブへと向かう。やはり盲目の影響で焦点が上の夜空にずれていたが、涙ぐむ様子からは真剣な思いを秘めていることがわかる。



「――わたしが勝手に、ついて行ったからなの……。ルドルフは、誘拐犯なんかじゃないの! わたしは洗脳とかもされてないし、言わされてる訳でもない! わたしのせいで、わたしの本心で、罪を背負った哀人あいじんなの……」



「芽依……」

「だから……だからルドルフのことだけは、嫌いにならないで……」


 再び大粒の雨を降らせた芽依の弱声が、曇る夜空にまで影響を与えているようだった。彼女にとって、ルドルフという存在は心の拠り所なのだろう。視力が皆無でも、相手の本心は見えていたらしい。


「罪人にならない限り、人はボスから願いを叶えてもらえない。それもあったから、ボクは罪無き芽依ちゃんを連れてきたんだ……。彼女の願いを、叶えるためにも……」

「願い……?」


 ならば、芽依が願いルドルフが叶えようとたくらむ未来とは何なのだろうか。

 二人の願い事を未だ聞いていなかった岳斗は改めて問おうと、一歩踏み出して冷えた空気を取り入れようとした。



――「いたぞッ!! こっちだァァ!!」



「――ッ!! まさか、警察!?」


 質問タイムも許さんばかりに、柳川の道奥から蒼き警察官が怒号を響かせた。それも一人二人のレベルではなく、複数集団で迫られ、パトカーのサイレンまで近づいてくる。


「マジかよ……なんで、このタイミングで……」

「岳斗……どうしよう……」


 心配目に染まったイブに袖を掴まれた岳斗も、嫌な困惑の色が帯びていた。

 一人一人の警察官を窺ってみた限り、今回は親友の信太郎は確認されない。すぐにも逃亡したい気持ちは無論持ち併せているが、間もなく河原の一本道を閉ざされ、乗ってきた婦人用自転車にすら届かない壁を張られてしまう。


「ルドルフ……わたしたち、どうなっちゃうの……?」

「大丈夫だよ、芽依ちゃん。芽依ちゃんにはもう、何も悪いことさせないから……」


 絶体絶命の状況下でも笑顔で接するルドルフには驚いたが、すぐに真面目な表情が周囲の警察官へと渡っていた。どの方角を向いても開けた道など皆目見当たらず、強いて言うならば、川に飛び込んで反対岸に泳ぎ移るくらいだ。


――「動くなッ!! 大人しく、投降しろ……」


 聞き覚えのない一声だったが、全身凍えるようなはなはだしい重低音で、思わず動きを停止させしまった。恐る恐る視線を向けた先には、一人異なるスーツ姿の白髪老人が上官の如く警察官の間から現れ、冬風さえ打ち消す威風と共に参上する。


「そうか……。園越岳斗も、いっしょなのか……ちょうどいい。双方並びに、現行犯逮捕だ……」


 空き巣常習犯として指名手配されている岳斗だが、どうも本来の逮捕相手は自分ではないと言われている気がした。ならば自動的にルドルフが真の標的なのだろう。二人の瞳も交差し、老若ろうにゃく男性による睨み合いが開始する。


「へへっ。あんたが、葛城かつらぎ厳師げんじさんっすね。はじめまして、ルドルフって言います」

「貴様であることは、目撃情報からもうわかってる……」

「だったら、どうします?」


 警察官の中でも上官らしき老人――葛城かつらぎ厳師げんじには、さすがのルドルフも冷や汗が浮かんでいる。やはり本命は誘拐犯の逮捕であることは明確にわかるが、それは厳師だからこそ優先順位が先だったのだ。



「うちの孫を返してもらう。無礼極まりない、貴様の人生と共にな……」



 芽依は厳師にとって、たった一人の孫娘だったからだ。その怒りは厳格なしわをも埋め尽くす眉間の渓谷けいこくの化し、雰囲気だけでくじかれてしまいそうなオーラが罪人を襲う。


「おじいちゃん……ルドルフ……」

「ゴメンね、芽依ちゃん……」

「え……?」


 燃え盛る蒼き獄炎に囲まれた二人を見守る中、ふとルドルフは手の内の鈴を見つめながら芽依の小首を傾げさせる。

 岳斗としては、彼が鈴でトナカイに変化し脱走を試みると過ったが、静かに眺めるだけで鳴らそうともしなかった。

 なぜルドルフは、突然芽依に謝ったのだろうか。無論彼らの背景を知らない岳斗は蚊帳かやの外で、想像する余裕もない。


 しかしルドルフには、芽依に誓ったはずの想いが胸に深く刻まれていたのだ。クリスマストナカイとして約束した願い事と、盲目な彼女を護ろうとした覚悟を。

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