第十六夜*二人の真実*
笹浦市国立協同病院。
十二月二十四日の夜を迎えた院内でも、数々のクリスマスの飾り付けが施されていた。
深緑色のツリーにはカラフルなイルミネーションをコーデし、各々の枝先にサンタクロースや雪だるまに赤長靴の小型人形が、丸いオーナメントと共に輝き揺れている。
また壁にも煌めくリースやパーティーモール、患者自らが貼ったクリスマス限定ウォールシールが浮き立ち、普段は黒一色の廊下が色鮮やかだった。
少しだけでも入院中の患者に、元気と笑顔の治療をしたい気持ちが随所に表れており、特に幼い子どもたちには大好評の企画内容だと見て取れる。
それに関しては、心臓病を
「ねぇ、ママ……?」
「ん? どうしたの風真?」
“園越風真様”の表札が記された一部屋には、母の常海が、鼻下に点滴配線を通した風真を静かに温かく見守っていた。ふと小さな目を合わされ、小椅子に座りながら穏やかに照らす微笑みで尋ねる。
「ぼくのところにも、サンタさん来て、くれるかな……?」
「当たり前よ。だって、今年の風真も良い子だったんだから。絶対に、来てくれるわ」
「そっか~。やったぁ~……」
寝返りを打った風真は窓外の景色へ顔向けし、狭い背を向けた。サンタクロースの訪問が待ち遠しくて眠れない、見た目相応の無邪気な様子が伝わってくる。
しかし、寝不足で隈付きな常海の瞳でもわかる、どうも無視できない不審点が見えてならなかった。
『やっぱり、最近の風真は、元気が減った気がする……』
クリスマスイブを迎えた現在では、確かに嬉しくワクワクとした高揚感が、親として見てわかる。笹浦市の景色が一望できる窓にも風真の笑顔が反射され、元気があるのは間違いない。
だが、一言一言が妙に弱まっていたことが否めない。ついこの間の彼なら、両手を高々と伸ばすほど歓喜するも、今日に関しては白い頬を僅かに上げただけだ。
『もしかして、風真の病気が、進行してるの……?』
あれほど思いたくなかったのに、ふと思ってしまった。無意識にも小椅子から立ち上がり、いつの間にか微笑みが悲愴色に塗り潰されていた。
「ふ、風真……」
「どうしたの、ママ……? 顔色、悪いみたいだけど……オバケでも、視ちゃったの……?」
振り向いてはくれたが起き上がらず寝返る風真には、今日まで見せてきた微笑を準備できなかった。いよいよ息子に本格的な
「ふ、風真!!」
「わっ……ママ……?」
「ねぇ風真!? どこが痛い? 具合悪い? ねぇ教えて!」
「ママ……落ち着いてって……」
「落ち着いてなんかいられる訳!! ……っ! ……」
ふと目を見開いた常海は解放し、ぎこちない
『なんで……? なんで今、風真のこと怒鳴っちゃったの……?』
震え
そばにいるときはずっと微笑んで接し、息子にはほんの少しだけでも明るく元気でいてほしい。
いつもそう考えながら看病してきた母親として、あるまじき行為に思えてならなかったのだ。悲愴を浮かべる表情が次第に強張りが増し、落とした瞳も冷ややかな潤いを走らせる。
『――何やってるんだろ、
振動する背を丸く型どり、ギュッと目を閉じてしまった。目の前の現実が絶望の夜景でしかないあまり、膝から崩れて
「大丈夫だよ、ママ。ぼくは勝手に、死んだりしないから……」
幻聴だとも捉え切れない四歳男児の台詞に、常海の潤む目が直ぐ様向かう。横たわったままだが、白い歯を多く放つ輝かしい笑顔を浮かべていた。
「風真……」
「だって、ぼくが死んじゃったら、サンタさんが来る意味、無くなっちゃうもん……」
弱々しさはもはや明らかなのに、一言一句は心を刺激していた。グサグサと刺さるばかりで、確かな痛覚がビリビリと走る。胸の苦しさが
そういえば、常海はまだ一度も聞くことができずにいた。風真は今年、サンタクロースに何をお願いしたのかを。
「ママ……どうして、泣いてるの……?」
「グズッ……ううん、気にしないで。ねぇ風真? 風真は、サンタさんに何をお願いしたの?」
涙目ながらも何とか
「ん~ん……。でも、これ、言っちゃうとな~……」
「何でもいいんだよ。教えてよ風真? 誰にも言わないって、約束するから……」
「ん~ん……」
小指を立て
「……実はね、サンタさんに、こうお願いしたんだ……。ママには、あんまり言いたくないんだけど、さ……」
風真には決して振り向かれなかったが、それでも常海は微笑みを放ちながら相槌を打って待ち望む。
「ぼくね……サンタさんなら、叶えてくれると……思うんだ……」
「うん……」
「もう一度……もう、一度で……いいから……」
「うんうん……」
「みんな、で……みんな……で……いっしょ……に……」
「うん……?」
やけに間を空ける風真に、思わず疑問符を浮かべた。
その数秒後だった。
――ピイィィィィィィィィィィィ!!
「風真? ……ふ、風真!?」
突如轟いた心電図の金切り声だと気づき、風真の身を強く揺らす。が、グッタリと眠りに就いてしまい、動くべき胸の呼吸動作さえ止まりかけている。ふと心電図に目を向ければ、ついさっきまで観測されてた波形が直線を
「風真!! 風真起きて!!」
――「お母さん下がってください!!」
院内の男性医師を始め、室内には多くの白衣医療関係者が訪れる。付き人は無情にも看護師に腕を握られ、息子との距離を拡大させられてしまう。
「風真!! ふゥゥまァァァァ!!」
まずは風真の頬を叩いて、
「風真くん聞こえる!?」
と、金属音にも負けない叫びを繰り返す医師。だが、びくともせず、全身が脱力したままだ。
「風真!! 風真ってばァァ!!」
ただでさえ心臓病を患っているため、AED――自動体外式除細動器のような器具は用意されず、気道確保させた口許に酸素マスク、心臓ではなく肺だけを圧迫させるマッサージが行われた。が、波形が揺れるだけで、心拍数は上がらない。
「――風真!! 風真風真! ふゥゥゥゥまァァァァァァァァア゛!!」
緊急事態に見舞われてしまった。常海から何度も強く叫ばれるも、数分前まで当たり前だった応答が一切なくなった。結局サンタクロースへの密かな願い事も、信じる親に伝えきれぬまま。
***
笹浦市の細い路地裏。
時刻は夜の
今ごろ枕元に訪れるクリスマスプレゼントを心待ちにしながら、嫌々に瞳を閉じて就寝に臨んでいることだろう。夜更かしを罪として義務づけられる子の誰もが、最も苦しみを味わう時間帯に違いない。
街中の
「イヤッホォォオ!! 岳斗の自転車、ジェットコースターみたい!! ナッミッは~~ジェットコ~スタ~♪」
「だから騒ぐなっつうのイブ! 見つかったらどうすんだよ!?」
小さな尻を自転車籠にはめ乗るイブが愉快に口ずさむ一方で、声を半殺しにしながらも叫ぶ岳斗は突き進んでいた。
現況としては難事に値せず、開始から約二時間しか経っていないが、既に数十軒の不法訪問先へプレゼントを届けられている。これも事前に調べた宛先の場所と適切経路の設定、何よりも、
ただ、幼女サンタが騒いだせいで、番犬に吠えられ何度も窮地に立たされてはいるが。
『でも、このペースなら無事に全部届けられそうだ……。待ってろよ、風真! 俺、全部届けて、絶対風真の命、救ってみせるから!』
全ての贈り物を配達できた
やっている内容に関しては、やはり今でも面目が上がりそうにない。プレゼントを届けるとはいえ、不法侵入という
しかし、岳斗は
既に就寝した子どもたちの枕元に置いて去る訳だが、どうも少年少女たちの無邪気な寝顔に毎回見とれてしまう。
『風真も家で眠れたら、きっとこんな感じなんだろうなぁ……』
現在入院中の息子にも、いつか家に帰還する日が訪れるはずだ。もちろん早いに超したことはなく、今すぐにでも退院してほしいあまりだった。
次なる届け先にたどり着いた岳斗とイブたちは、横並びした家々の前にある一本道中で自転車から降りる。今回は隣近所にも届ける得意先のため、白袋ごと掲げて周囲の状況を確認してみる。すると、全ての建物からは玄関の灯り以外発見されず、どの家庭も静寂なベールに包まれている。
「あの家とこの家と……全部で五軒。一気に減って助かる」
「ゴーゴー! レッツゴ~! ガ~クト♪」
「近所迷惑だから止めなさい……」
満開スマイルばかりのイブは自転車の見張り役に回し、岳斗は早速端の一軒へ足を運ぶ。
“清水家”と表札が掲げられているが、玄関は今どき珍しい横スライド式扉で、何とも古風な二階建て家造りだった。おかげでピッキングも容易に成功し、サンタブーツを脱いで上がる。
『……あったあった、あそこが部屋だ』
階段を上がり目を凝らすと、無事に届け先である子の部屋を発見した。ゆっくりと開け、念のため室内の様子を窺ってみる。やはり室内は静夜一色に染まった静観空間で、未来の乙女も窓際のベッドでスヤスヤと眠りに就いていた。
『送り先は、
袋から取り出したプレゼントの宛先を、今一度確認した。元硬式野球部の彼にとって、グローブが贈り物とは素直に嬉しかったが、一方で“四歳”という数字に思わず微笑みかけた。それは彼女が、息子と同年齢だからだ。
同級生であるこの
風真にも願いたい期待と共に、小さな枕元に赤リボンプレゼントを添える。
『――グローブも大切だけど、いつまでも元気で、未来で輝けよ? メリークリスマス』
声を掛けず、心で語りかけた。あどけない寝顔を一望してから静かに立ち去り、部屋からひっそりと離れていった。次の届け先に向かおうとすぐに階段を降り、玄関でブーツに足を入れようと目を落としたときだった。
『――? 新聞……』
侵入時には暗くて気づかなかったが、目慣れしてきた岳斗に見えたのは、玄関の一部に広げられた新聞紙だった。そばには赤白の灯油タンクが置かれているため、恐らく溢してしまった灯油を吸収するために
『――っ! これ、笹浦市の記事……』
『……今から一年前。笹浦市で、誘拐事件があったんだ……』
記事には当時の事件内容、また被害者の姿と意見が写真と共に語られている。どうも去年の十二月二十五日より、一人の少女が姿を消してしまったらしい。連絡もいっこうに取れず、父母と思われる写真上の二人も俯きながら涙を堪え、我が子の安否を懸念し続けている様子が伝わる。第三者が家族の絆を引き
『えっ? 拐われた
記事の途中に書かれた内容にふと驚き、眉間に
『なんで……誘拐なんてできたんだ? ……ん? ……ッ!!』
さらに文章を読み進めた次の瞬間、目を見開き息を飲んだ。それは、あり得ない誘拐方法を知ったからではなかった。無論被害者や調査役の警察側も想像が及ばず、迷宮レベルの手法だとさえ述べられている。
『な、なんで……アイツ……いや、だからいつも、いっしょにいたってことなのかよ……?』
長い文章の一部に目を置くようになった。その一文には、誘拐された女子中学生の名前が記載されている。しかし共に、今日までのサンタ教習所生活が脳裏に浮かび始める。
犯罪者たちで集った二十四班での共同作業がたくさんあった。時には不思議な光景にも見舞われた。会話に行動に、何の変哲も感じられなかった、全ての言動が。
そんな様々な面々が、数学的帰納法の如くドミノ倒し形式で成り立つ証明があった。それこそ今、岳斗が目を通した誘拐事件と消えた少女の記事に直結する。垂れ落ちた冷や汗が新聞紙で音を経ててしまったため、家主にバレぬよう外のイブの元へ戻る。
「……」
「どうしたの岳斗? 顔色悪いよ?」
「イブ……お前は、知ってたか?」
「ワッツ?」
苦き視線が、首を傾げる幼女サンタへ向かう。確かにこれだけでは伝わらないだろうと、一呼吸置いて内容を説明しようとした、そのときだった。
――(プスッ……。こちら留文! こっちはプレゼント配り終わったよ~!)
トランシーバーから留文の声が鳴らされたことに、岳斗の瞳は鋭さを
「こちら、岳斗。留文……今、どこにいる?」
周りには響かない程度の重低音で尋ねた。しかしそれは、周囲から存在を知られないために鳴らした弱声ではなかった。ただ雲がかった心によって生まれた、疑念に満ちた静寂音だ。
――(プスッ……。こちら留文! 今は線路がある
「こちら岳斗。ちょっと、直接話したいことがあるんだ。今から向かう」
――(プスッ……。こちら留文! 了解っす! ただ、芽依ちゃんもいるけど、大丈夫かな?)
どうやら留文は既に自身の配達を終えたことで、芽依の分も協力しているようだ。故に二人きりでの会話は無理だと受け取れたが、表情を変えぬままトランシーバーに頷く。
「――あぁ。
“こちら……”の枕詞も忘れて、会話を終えた。自転車籠にはまるイブも察したのか、困惑気味の不審目を向けられてしまったが気にせず、残る近所の四軒へプレゼントを配っていく。これまでと同じように子どもたちの枕元へ添えていったが、円滑に置き終え、早速留文の元へ向かおうとペダルを漕ぎ始める。
「……」
「ねぇ岳斗? 留文と芽依は、ね……」
「わかってる。だから今すぐ言いたいことがあるんだ。こんなの、やめろって……」
気温の冷え込みに連れて、イブと話す岳斗の吐息が白さを増していく。夜空を覗けば、星を覆い隠す分厚い雲が窺えるため、本日はホワイトクリスマスを迎えそうなほど冷気に満ちていた。
身体も酷な寒さに襲われ縮こまる真冬の深夜だが、岳斗はさらにケイデンスを上げて突き進んでいく。なぜなら知ってしまったからである。
あの愉快気で元気盛りのチャラ男の、真たる正体を。
罪人であるための、隠されてきた闇の真実を。
『――まさかあの留文が、誘拐犯だったなんて……』
そう断定したが、先ほどの新聞紙に留文の名前は記載されていなかった。が、これまで過ごした彼らとの生活に結び付く、確固たる証拠一文が記されていた。
“盲学校に通っていた女子中学生、路端土芽依さん (14) が見知らぬ男に誘拐されてから、もうじき一年が経つ。”
と。
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