第二十一夜*カイシン*

 午前五時を回った笹浦市。

 懸念されていた雪が降り始めたところで、まだまだ夜と呼べるほど暗い冬景色を、純白で照らしていた。アスファルトや土に落ちてもすぐ溶けてしまうことから、積雪の心配はなく湿り気が増す。しかし今年は珍しいホワイトクリスマスが来訪したようで、イルミネーションも負けじと点灯していた。


「聖……まだ来ないかな?」

「もうそろそろ来るはずだよ。聖は時間に厳しい人だから……」


 人気ひとけがない暗黙の路地裏には岳斗とイブが、別行動の聖を待っていた。もうじき約束の十五分が経とうとしている。


『聖を改心させるんだ……。このまま聖を、ひとりにさせてはいけない……』


 開始際は再会場所に向かいたくなかったはずなのに、今では逆に聖を待つ側に逆転している。なぜなら、イブから伝えられた聖の真実を知り、彼を孤独の闇に放りたくなかったからである。

 復讐の邪念に駆られたことで、相手の家族を殺害した、連続強盗殺人犯。

 家族を愛する岳斗からしてみれば、聖は犠牲者としか思えなくなっていた。確かに殺害という罪は何よりも重い大罪で、一生涯渡って罰を受ける義務が必須に違いない。


『でも、唯一の親を、聖は殺されたんだ……。そんな悲しみを強要されて……復讐しない方が、かえっておかしいくらいだ……』


 純白な愛まで奪われ、泥まみれの憎しみに換えられてしまったのだ。心を備え感情を具現化する人間に、復讐するな! など言えたものではない。認める訳でなくとも、ただひたすらに聖の背景がやるせなかった。



『――俺が、聖を救わなきゃ!』



「あ! 聖が帰ってきたよ」


 イブの声が向けられた先に、岳斗も聖の姿を確認し頷く。似つかわないサンタ衣装で婦人用自転車を漕ぎ、徐々に距離を狭めてくる。大きな前籠まえかごには、まだ一箱入っている様子の白袋が同乗していたが、停車するとスタンドを立て、白袋と共に降りる。


「そっちも、無事終わったようだな?」

「あぁ……聖」

「あん? なんだその呼び方は? テメェ、ナメテんのか……?」


 瞳の尖りを更に強めた聖からは、不機嫌そうな舌打ちを鳴らされてしまった。殺人犯らしい恐ろしさ際立つ睨みが襲ってくるが、あえて頬を緩める。


「家族を愛する人間をバカにしたりなんか、俺はできない……。だって俺も、聖と同じだから……」


「家族を愛する……? ……小娘……お前まさか、言ったのか?」


 冷徹の表情に温度が灯されぬまま、尖り目はイブへと向かう。自身の過去話に触れてほしくなかった様子が垣間見えるが、すると下を向いた幼女の小さな頷きを受け、大きな白いため息を溢していた。細かった瞳もついに閉じてしまい、諦めたような俯き姿勢を始める。


「……どこが、お前と同じだよ……? 全然違うだろうが……」


 眼鏡の下でゆっくりと開眼していく聖と目が合うが、もはや震える緊張など訪れない。


「オレは、復讐をした……。単純にムカついたんだ、なんでオレの親だけ殺されて、犯人の身内どもは、みんな楽しそうに暮らしてるのかって……」

「聖……」

「少年法の関係で、学生だった犯人の名前もおおやけにならなかったしな……。代わりにソイツの親どもと顔合わせするのが多かったが……笑顔を見せられる度に、殺意がつのって仕方なかった……」


 ここまで長くしゃべる聖も新鮮で印象的だった。潜んでいた感情がようやく洞穴から出てきたかのように、饒舌じょうぜつに回っている。


「一言で言えば、嫉妬しっとなんだろう……。許してくれとは言わない。殺人が重罪なんてこと、充分わかってる。ただ……オレは、親のお前と同じなんかじゃない……」


 強い睨みは、相変わらずの冷え込みに見舞われていた。同情を受けようとも、決して心の氷を溶かそうとしない様子が随所に表れている。

 一方のイブも眉をハの字にした心配顔を向け、ホワイトクリスマスには望ましくない雰囲気だ。


 しかし、岳斗も同じく、暖かい微笑みを止めなかった。互いの相反する表情の温度が、降り注ぐ白雪を挟みつつ通い、得意気に腰に手を添える。


「心構えは、同じだろ? 家族を愛する、家族を大切に思う、そういう気持ちは、さ」


 親であろうが子であろうが、家族愛を秘めた人間に変わりない。

 自信あった台詞せりふだが、聖には呆れたため息を吐かれ、合っていた瞳もそっぽに逃亡してしまう。


「家族を愛するなんて……んなの、誰もが知らず知らずやってることだろ……」

「そうでもないと思うぞ? ここんところの時代は、親より恩人を大切にする人間ばかりだから……望だって、そうだったじゃないか……」


 脱退した望の悲愴な家庭も存在する、儚き御時世。父親の岳斗は胸の苦しみを覚えながらも、現実として何とか受け止めている。だからこそ家庭を大切に思える、聖のような青年が珍しく感じ、しかも己自身の考えと一致していることが、何より嬉しかったのだ。


「愛にはさ、いろんな形がある……。ルドルフ……留文と芽依みたいに、彼氏彼女の愛とか、ブリッツェンやキューピットたちトナカイの、仲間愛とか」


 芽依を守護しようと、トナカイを諦め人間の道を歩む決意をした留文。また、度々世話になっているトナカイ連中を浮かべながら愛を語る。


「でも根本こんぽんになっているのは、やっぱり家族愛なんじゃないかなって思う。だって、命といっしょに、初めて愛が生まれる場所は、家庭だから……」


 学識は学校で身につけ、個性は外で磨き合う。そして愛は、生きる権利を与えてくれた家族の場で学ぶべき、人間における必須科目だ。


「なぁ聖……聖は、何を願って、プレゼント配りをしてるの?」


 そういえば、未だに聖の願い事を知らなかった。物品の範疇はんちゅうに収めなければいけない、サンタクロースからの贈り物だが、一体彼は何を求めているのだろうか。

 すると聖は視線を落とし、自身の冷えたサンタブーツを見つめ始める。


「……そうだな。……あと一人、殺し切れていないヤツがいるから、ソイツの殺害の足しに、何か凶器でも得られればいいと、思ってる」

「復讐……続けるのか……?」

「今のオレにとって、生きる意味はそれしかない。考えてもみろ? 牢獄に捕まって、出所して、そのあと待っている未来は何だ……? オレに帰る場所なんか、無いんだぞ……?」


 暗い面を下げたまま、静寂なトーンで白雪を見送る。

 もう彼には、親と呼べる存在は現世に存在しない。家庭という帰る場所すらないのだ。

 聖の内容は御尤ごもっともで、罪を償った後先など、真っ暗闇に覆われている。一寸先も、またその先も、永遠に闇が続くばかりに思える。

 たったひとりなのだから。


「復讐が生きる意味なんて……やめた方がいい……。続けるだけ憎しみが、減りそうで増していくだけだ」

「だったら、自首しろとでも……? 結局それか?」


「あぁ。ただ、その代わり……」

「ア゛ン? ……っ!」


 ふと怒り顔を上げた聖は、眼鏡の丸みとそっくりな見開きを示す。なぜなら彼に対し、岳斗が温暖な瞳を灯した微笑みを放ちながら、開けた右手のひらを差しのべていたからである。



「――俺もいっしょに、自首する……」



「お前……そんなことしたら、空き巣で集めた金が……」

「よく知ってるな。俺、聖には自分のこと、詳しく話したことないのに」

「――っ! ……そ、その小娘に、聞かされたから……」


 言葉が詰まった聖は、沈黙したイブを一目し、再びそっぽを向いてしまった。反抗精神は未だ残っているようで、互いの距離をなかなか縮めようとしてくれない。


「……お前は、オレが怖くねぇのか? その小娘も、お前の家族も、殺すって脅してんのに……」

「ついさっきまでは、聖の存在は恐怖でしかなかった。逃げ出したいってくらいビビってたし。……でも、聖が殺害した理由を知って、俺はわかったんだ……」


 依然として残る肘の痛みを覚えつつも、右腕を伸ばしながら聖へ贈る。


「何もしてない俺の家族を、聖はぜっったい襲わないって……」


 殺人動機は、復讐心から生まれてしまった。言い返せば、復讐心をあおらない赤の他人の命など、彼はきっと奪わない。むしろ家族愛を知っている者だから、絶対に奪えない。


「なんで、だよ……」


 すると聖の握り拳が微動を始め、初めて彼の感情を見受けた気がする。雪降る真冬の寒さからではなく、溶け出しそうな心の氷に怯えるように。


「なんでお前は、そんなに罪人を信じるんだよ!?」


 白煙の怒鳴りを見せたが、目は合わせてもらえなかった。不信感に身を任せる姿は、サンタ教習所に訪れた際の岳斗とよく似ており、どことなく過去の自分自身に声を掛けている錯覚を覚える。


「……へへっ! それはやっぱ、俺がいい歳したガキだから、かな?」

「ガキ……?」

「あぁ。人の言ったことは信じる。俺は小学校でそう教わったからさ……。そこで成長止まってんだろうなぁ~」


 自嘲気味な笑いを起こしながら、聖の横顔を眺める。歯を食い縛り、拳を固め、丸みを帯びた背筋が顕在だ。自己防衛を身体の隅々で示していたが。


――「聖ゥ!!」


 ふと目前に、イブの幼い後ろ姿が出現した。咆哮ほうこうを放つように前屈みの体勢で、目標である聖の胸へ喉を鳴らす。


「もう辛い現実を生きるのは、今日でやめようよ!! ……グズッ。聖のそんな顔……天国のお母さんとお父さん、全然望んでないモンッ!! ……ウゥッ」


 呼吸も整わないイブの叫びが、静かな雪景色に轟き渡った。岳斗に嘆願したときと同じように雨を落とし、表情を見なくともクシャクシャになっていることが、狭い肩と細すぎる脚の震えから察知できる。


「イブの言う通りだ、聖……辛い顔は、今日でやめよう。俺も、聖の笑顔見てみたいし」

「お前は……自首して大丈夫なのかよ……?」


「最後のプレゼントを配れば、俺の願いは叶うし……。今まで集めた金銭も返そうと思ってたから、ちょうどいいやと思って!」

「園越……」

「岳斗でいいよ……。二十四班の仲間同士で……これから自首すべき、同じ罪人なんだしさ」


 聖からようやく身体を向けられ、イブと共に彼を待つ。なかなか動き出してくれない孤独の青年だが、微笑みを残しながら復讐心に愛を添える。



「――復讐でボロボロになった心は、愛の絆創膏ばんそうこうで治せばいいんだ。それを、俺に貼らせてくれないか……?」



「岳、斗……」


 それは聖から初めて鳴らしてもらえた、信頼を表す呼び名だった。かたくなだった拳もやがて解かれ、瞳の鋭利もにぶさを増していく。



――トスッ……。



『――っ! 聖が、近づいてくれてる』



――トスッ……。



 サンタブーツとアスファルトによるセッションが、岳斗とイブの元へ近づいてくる。



――トスッ……。



 一歩、また一歩と。

 青年にしては狭すぎる歩幅だった。テンポも遅くまばらで、ぎこちなさが表情にも顕になっていた。




――トスッ……。




 それでも、また一歩、聖が寄ってくる。不透明な未来に怯えながらも、確かな一歩を踏み締めながら。





――トスッ……。





『もう少しだ、聖!』



 もうじき聖が、岳斗の伸ばす右手で掴めそうだった。

 イブも涙ながら待ちわびた様子で、今か今かと、瞳に希望の光を灯している。

 一匹狼の開心かいしんを、心待ちにしながら。
















――ズブアアァァァァアアア゛オオォォォォン!! 
















「――ッ!! な、なんだ!?」


 突如、耳内が引き裂けそうな轟音が、周囲観察をうながす。しかし辺りはまだ真っ暗な路地裏だけに、人気ひとけも全く感じられない雪模様が映るばかりだ。

 徐々に闇の静寂が蘇り、まるで何もなかったかのような現実に押し戻されていく。時間帯といい場にも不相応な破裂音は何だったのかと、岳斗が首を傾げた直後だった。


「聖ッ!? しっかりして聖!?」


「イブ? ……ッッ!! おい聖どうした!?」


 イブの嘆きに振り向いた刹那、同じように聖へ叫んでしまう。なぜなら目に、確かに映り込んでしまったからである。

 近づいていたはずの聖が、地に両膝を着けた姿を。

 腹部を押さえた聖が、底無しの苦痛を表現するしかめ面を。

 そして、白雪のせいでより鮮明に窺える、聖の手元を流れる赤い雨を。


「ウゥ……ウ゛ゥッ……」

「どうしよ……口からも血が出ちゃってる……」

「おい聖!!」


 イブが寄り添う聖へ、岳斗も空かさず駆け寄った。が、名前を連呼するだけで、これ以上の言葉を掛けられなかった。大丈夫な訳がない。しっかりしろなど、痛みに必死な彼には毛頭無理だ。ただ唯一わかってしまったことを、心で呟くことしかできなかった。



『――じゃあさっきのは、銃声だったのか!? 一体だれが!?』



 突然の射撃に、困惑までも押し寄せてきてしまった。イブは何度も叫び続けるが、聖はいっこうに立てずうずくまり、腹からも口からも蒸気を帯びた鮮血を流すばかりだった。


――「フッへへ……。頭を狙ったつもりだけど、半殺しも悪いもんじゃないなぁ~……」


「――ッ!! 誰だ!?」


 不気味な笑い声が耳に訪れ、反射的に路地裏の曲がり角へ声を投げた。やはり一人の男性が銃口を向けたままゆっくりと現れ、履き慣れた革靴音を鳴らしながら歩み寄ってくる。


「よぉ~輿野夜聖……。やっと、見つけたよ……へッへッへ」

「ウゥ……」

「お前……確か……」


 聖がもだえ苦しむ中、射撃者の素顔に唖然としていた。


 蒼の警察官衣装を纏い、背が高い若年男性で、見覚えのない悪魔の笑みを放っているよう窺える。


「あれぇ? 園越岳斗もいっしょかぁ~……へへッ、だったら二人いっしょに、ほうむってあげるよ……。ホワイトクリスマスに死ねるなんて、ありがたく思いなぁ~罪人ども」


 残酷な笑顔と銃口を向け、拳銃のハンマーを引き始める。彼の正体は、苦し紛れの聖が声を漏らして明かす。



「――児島こじま秀英しゅうえい……」



「フへッ、そ~だよ輿野夜聖……。君が唯一殺害し忘れた、児島家の長男さ……」



――ズブァァァァァァアアン!!



「ウブゥッ、グファッ……」

「聖ゥ!!」


 イブが嘆き叫ぶのも無理はなく、秀英による二発目が、聖の右腹部を貫いた。


「あぶねぇあぶねぇ~。心臓に行かなくて良かったぁ~」

「もうやめてくれ!!」


 精神暴走気味の警察官をしずまらせなければと、岳斗は秀英の拳銃を鷲掴わしづかみ、取り払おうと命がけで攻める。が、拳銃を持つ手に引かれた瞬間、胸の溝に膝蹴りをくらってしまい、力が抜けてアスファルトに叩きつけられる。


「ウゥ……やめろ!」

「威勢のいい罪人ほど、ホント腹が立つ。なんでこの国は、こんなヤツらに再起のチャンスを与えるのか、全く理解できない……。全て死罪にすれば、もっと平和な世の中になると思うんだけどねぇ~」


 雪景色に溶け込んだ禍々まがまがしき笑顔が、より恐怖の念を強める。再びハンマーを動かし、初めて岳斗に銃口が向いてしまう。引き金の人差し指まで動き出し、万事休すの時を迎えてしまう。


「だから、お前も死ね……」


 ――ズブァァンビヂュッ……。


「――っ!? き、聖!! お前なんで……」


 自身の目を疑った前には、三発目の銃声を鳴らした秀英を隠すように、聖の血濡れた背中が飛んできた。呼吸も荒く、意識は朦朧もうろうとしているはずなのに、身をていかばってくれたのだ。


「ウブゥ……悪、いが……このガキを、ケガさせる訳に、いかねぇんだ、よ……」

「ハハっ! 罪人が罪人を庇うとか、マジでウケるんだけど!」


「……フッ……あと、三発、だろ……?」

「はぁ?」


 既に身がズタボロなのがわかる。足元にも流血が垂れ注ぐばかりで、声の音すらまともに聞こえてこない。だが、聖は秀英へ不敵な笑いを返して心をむ。



「――とっとと、撃てよ……? お前が失った、家族六人、分を……」



「グッ! ウゥゥゥアアァァァァァアア゛!!」


――バアァァンバアァァン!!


「ウ゛ゥッ、ウグフゥッ……」

「聖!! もういいから退いてくれェ!!」


 ひたすらに、離れてほしかった。それでも、四五発目を直撃した聖は、丸まっていく背を見せ続けた。一発目で崩れていたにも関わらず、あくまで立ち向かう体勢を保ちながら。


「フフ……次は六発目。君の言う通り、最後の銃弾さ。これは、ぼくの母親の分……」

「……」

「聖!! 俺のことなんてどうでもいいからァ!!」


 最後の銃弾を、秀英はハンマーを鳴らし、沈黙した聖に黒き銃口を向ける。発砲の凄まじい震動で手元が痙攣けいれんしている様子だが、決して降ろそうとせずに引き金へ触れる。


「終わりだ、輿野夜聖!!」

「聖!! 退けって!!」

「聖ゥゥゥゥ!!」


 秀英、岳斗、そしてイブまでもが叫んだ中心で、声も出せなくなった聖は立ち続けてしまう。誰も停められる者がいない雪闇の中

 ついに最後の銃弾が弾かれようとした。
















――……。

















『あれ……?』


 ふと瞳を開いてみると、まずは聖のあかき後ろ姿、そして蒼の警察官が、なぜか二人に増えていた。一人は言うまでもなく秀英だが、もう一人新たに現れた者と、何やら揉み合いしている。短髪な突出者の身長は秀英より遥かに低いが、肩の広さから力ある男性だとわかり、拳銃を取り去ろうと奮闘していた。

 そんな彼の正体は、二十四班の中で唯一、岳斗だけが知っていた。



「――し、信太郎しんたろう!!」



「岳斗!! ソイツも連れてとっとと逃げろ!!」


 高校時代からの親友である信太郎だった。勇猛ゆうもう果敢かかんに立ち向かい、犯罪者の命を守護してくれている。

 秀英にとって先輩でもある信太郎だが、警察官が警察官を取り押さえようとする争いに、岳斗は思わず目を擦る。終いには罪人の逃亡まで許可する意思を貫いたが。


「何してんだよ!? 死にたくねぇなら今すぐ逃げろよ!!」

「あ、あぁ!! イブ行くぞ!!」


 信太郎には強く煽られ、岳斗は瞬時に立ち上がり、聖をおんぶしながら逃走を試みる。背中には生暖かい液体と妙な軽さを感じながら、発砲者から距離を増していく。


「救急車! まずは救急車呼ばなきゃ!! 聖が死んじゃうよ!!」

「んなのわかってる!! 公衆電話……何ならコンビニでもいい!!」


 プレゼント入り白袋を持ち出しながら焦り悲しむイブと、岳斗も四方八方と首を曲げながら駆けていく。電話さえ繋がれば、場所はどこだって構わない。ただ聖の一命を取りとめることを目標に、真っ暗な五時の世界を観察する。


「チッ……どこだ? なんでどこにも見当たんねぇんだよ!!」


 しかし公衆電話はおろか、コンビニや二十四時間営業のスーパーすら発見されない。咄嗟に道路へ飛び出し、かれることも恐れずヒッチハイクしようと試すが、空いた反対車線に避けられてしまうばかりで、クラクションのみ返され続けた。


「どこだよ!! 一体どこなんだよォォ!!」

「誰かァァ!! 助けてくださァァァァい!!」


 やがて苛立つ岳斗と咆哮、困惑なイブの嘆願もただ雪闇に溶けるだけで、大通りに出ても歩行者すら見当たらない状況が続いてしまう。もはや直接病院へ向かった方が早いと考え、目標を変えて再び全力疾走しようとしたときだった。



「――もう、いい、んだ。……イブ……岳斗……」



 運んでから初めて鳴らされた、聖からの小さな囁きだった。生きることへの諦めとも捉えられる弱々しい吐息言葉に振り向くと、そこには彼から初めて見せられた、安らかな微笑みが垣間見える。


「聖……」

「もう、充分、だ……」


 一度見てみたいと願った聖の笑顔を、たった今、それもすぐそばで、静かに灯している。が、こんな状況下で見たいとは無論思っておらず、反って息苦しさを覚える。生きてほしいとただ願うばかりで、返す表情も作れず、まともな言葉すら思い浮かばなかった。


 しかし、度重なる復讐の刃を向けてきた聖には、当然の出来事だったのだ。それは、過去に殺人を繰り返してきた彼自身がよく理解し、本人が以前から予想していた、血まみれるべき悲哀の未来でもある。

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