第二十二夜*復讐なんて、やるべきじゃない*

 三年前の笹浦市。

 広い大地に面した、田舎と称されても間違いではない一つの市。交通網の不便から自家用車で移動する大人が多く、交通事故数も全国ワーストランキングに飛び込むほどだ。笹浦駅近くの警察署に公開される、“本日の交通事故件数”にぜろの文字が記載されることなど、滅多に訪れない。


 しかし、建物やアスファルトで埋め尽くされた道を歩んでいけば、自然と共生した世界に出向くことができる。青空や山々を背景とした、田んぼやレンコン畑の緑姿。全国二位の面積を誇る広い湖へ流れ紡がれる、放射状にの河川たち。また県鳥けんちょうのヨシキリや麗しい白鳥の舞いがじかに目にすることもできる、穏やかな空間が確かに存在していた。


 ここ最近では外国人の来訪が増えつつあり、ポイ捨てや万引きと言った問題が懸念されているようで、役所の方でも過敏な入籍審査が行われている。

 その一方で純粋な日本人口は、超高齢化社会に伴い、減少を辿っていた。かく家族の増加は言わずもがな、少子化の影響で学校の統廃合も年々後を絶たない。


 そんな環境の元、核家族から更に人員を抜いた家庭が存在していた。


「じゃあ母さん……。大学、行ってくる」

「気を付けてね、聖。卒論は最後まで、ハキハキとだよ?」

「わかってる……。母さんも、戸締まりキチッとね」


 午前八時の冷えた朝。ワンルーム八畳の狭苦しいアパートの一部屋から、もうじき大学卒業を迎える青年が、内気ながら微笑んで外へ出る。着なれないスーツ姿と違和感だらけな革靴で、高校時代から使用してきた古いリュックを背負い、駅へと向かう。友だちという仲間はどうもいない様子だが、太陽の光できらめいた四角縁眼鏡が印象的である。


『オレは、輿野夜聖……。母子家庭の一人息子だ……』


 二十二歳を迎えた聖は一人、電車で一里離れた有名国公立大学に向かうところだった。いよいよ理学部における卒業論文発表会の日が訪れた訳だが、内気と人見知りが折り重なった緊張のせいで、普段から固い表情がより強張こわばっている。


『でも、大学生生活も今日で終わるようなもんだ……。母さんのためにも、ガンバらなきゃ……』


 乗車中に緊張をほぐそうと、発表会のためあらかじめ外していたペンダントを、スーツの胸ポケットから取り出す。見つめた先には一枚の小写真が潜み、聖自身と母で並んだ微笑ましい立ち姿が写っていた。


 聖が生まれて間もない頃、輿野夜家の夫は病で他界してしまい、生きた父親を見た覚えがなかったのだ。小さな仏壇に添えられた遺影しか思い出せず、共に過ごした記憶も見当たらないのが本音だ。


『オレは、母さんに生かしてもらえたんだから……』


 神からの残酷な選択により、母子家庭を迫られた。裕福から掛け離れた家庭ではいつも、母親が面倒を見てくれた。生活費から始め、婦人用自転車で幼稚園への送り迎え、小中高と通った際の多額な学費など、何から何まで女手一つを受けてきた。今日まで、嫌な顔も見せず、ずっと笑顔で。


 親孝行らしいことはといえば、学費が極めて高い私立学校に行かなかったこと。留年せず順当に進学したことくらいだろう。大学生になってからは塾講師で幾らか働いたが、ほとんどが通学交通費で消えてしまった。

 つまりは、まだ母親に孝行できていないのが現実だった。



『――母さんを、らくさせたい……。オレにある願いは、それだけだ……』



「ふぅ~……とりあえず、終わった……」


 卒業論文を無事に終え、道中に独り言を呟いた。国家公務員の内定先も決まっているため、あとは大学卒業の三月を待つだけだ。

 親孝行という念願が、やっと叶うところまで来た。

 仕事に家業と忙しい母親には、今後は少しでも自己の時間に浸ってもらいたい。マザーコンプレックスとは訳が違うが、ひたすらに母を思い続け、夜道を歩み帰宅していた。


『……あれ? まだ、帰ってきてないのか……?』


 自宅アパート前まで来たが、未だに電気が灯されていない自室に首を傾げた。いつもなら母親が帰宅している時間帯なのに、やたらと静観としている。第一に卒業論文の成功を告げようとしていたため、残念な白ため息を吐いてしまう。


『まぁ帰ってきてからでいいっか。……あれ……?』


 自宅に入ろうと鍵を差し込み回すと、妙な出来事に襲われる。


「鍵……かかってなかったのか……? 戸締まりキチッとって言ったのに……」


 呆れて言葉を鳴らしたが、もう一度反転させてもとに戻すと、予想通りロックを解除することができた。やはり母親が外出時に施錠し忘れたのだろうと、再びため息を溢して扉を開ける。


『……? 何か、変な臭い……』



 ツンと刺激された鼻をまむほどの有毒なアンモニアに混じり、鉄臭さまで押し寄せてくる。

 本日はゴミ捨ての指定日で、出し忘れたのだろうか。

 早速玄関の電気スイッチを押したが、ゴミ袋の姿が一切見えなかった。しかし部屋中の異臭は留まらず、奥部屋に視線を向けたときだった。


「……? ……ッ!? か、母さん!?」


 最初は寝ているだけかと思った。しかし布団も敷かれていない床に倒れた母は、何とも不可解極まりない。即座に寄れば、先ほどの異臭が強まり、気の動転を急がせる。


「母さん!? ねぇ母さんってば!! ……ッ!!」


 仰向けで倒れた母を抱え、何が起こったのか、そしてなぜ目を開けてくれないのかを悟ってしまう。


 なぜなら腹部に、台所に置いてあるべき包丁が刺さったままで、流れるはずが既に凝固した赤い血小板が、床にも侵食していたからである。



――無理矢理にも永眠させられたのだ。



「母、さん……そん、な……」


 救急車で病院に運んだものの、致死量の出血を流していた。医師の必死な手術劇もあったが、儚くも帰らぬ人となり果て、魂を感じない遺体と化してしまう。


かないでよ、母さん……母さんッ!!」


 何度叫んでも開眼は訪れず、聖の悲愴音だけが院内に轟くばかりだった。親孝行もろくにしていないのにと、惜別せきべつの涙を溢し、しばらく遺体から離れることができなかった。


『オレ、母さんに何もしてない……。何もできてない!!』


 もちろん警察にも連絡し、やがて輿野夜家の一室が検察官で埋まる。司法しほう解剖かいぼうも行われた結果、母親は強盗殺人者に襲われたそうで、殺人事件に巻き込まれることとなった。自宅の金品が盗まれたそうだが、何を奪われたかなど、当時の聖には命しか思い浮かばなかった。


 事件勃発ぼっぱつの時刻も明らかになり、検察官によれば午前九時頃だと推測される。聖が大学へ外出する少し前のことで、母親が一人になった瞬間を狙われたのだ。


 周囲の人々からの情報収集、及び犯人が遺していった僅かな証拠をもとに、警察当局は殺人犯を捜し始める。一方の聖は、未だ母の死を受け入れ切れず、孤独と哀しみの夜を過ごすことしかできなかった。


「は、犯人が見つかった……?」


 すると事件から四日後、警視庁から殺人強盗犯を特定した知らせを耳にする。身元も明らかとなり、めでたく逮捕されるまでは一週間経らずだったが。


「へ……犯人の名前は、教えられない……?」


 自宅まで知らせにきた警察官の前で唖然と立ち竦んだ。理解に困ったからである。なぜ犠牲者側に、加害者の名を伏せようとするのか。

 しかし、少年法と呼ばれるルールを考慮すれば、無理もなかった。犯人の年齢は聖よりも遥かに若く、まだ中学二年生の少年らしい。犯行動機すら、明らかにならないまま。


「わ、わかりました。お世話に、なりました……」


 納得のいかないまま、警察官の言うことを聞くことしかできなかった。母親の葬儀も自分一人で取り決め、反抗する活力も失っていただけに、聖は静かに事件を終えることにした。


 それから数日後。

 予定通り母親の葬儀が始まる。数々の親戚たちに線香を灯してもらい、悲哀の想いを共有してもらった。それも、生きていた母親の対応が良かったからに違いない。


――「あの……輿野夜聖さんですか……?」


「は、はい……。あなた、は……?」


 突如声を掛けた若い相手は、面識のない同年代に近しい男性だ。なぜ名前を知らされているのだろうか不思議だったが、男は申し訳なさそうに一礼を示す。



「――はじめまして、児島秀英と申します。ぼくの弟が……たいへんな御迷惑をおかけ致しました……」



「児島、秀英……。児島……」


 どうやら加害者側の家族らも参列していたようで、秀英が先陣を切って謝罪しにきたのだ。そこにはもちろん犯人の姿はなく、計六人の児島家から頭を下げられる。


『今さら、謝られても……どうでもいい……。だって母さんは、もう帰ってこないんだから……』


 意味も効力もない謝罪ならば、いっそのこと止めてほしかった。加えて謝るべき加害者本人からでもないため、そっぽを向いて聞き流してしまう。他の参列者から一言いただいていた方が反って増しだと、児島家から距離を取ることにした。


 式が終わり、参列者の退出を見送った。平日の忙しい中、わざわざ来訪してくれたことに感謝の意を評し、一人一人の後ろ姿を最後まで眺め続ける。


「輿野夜、さん……」

「あ、児島さん……」


 すると最後に退出してきたのは、言うまでもなく児島家の六人だった。兄弟姉妹に父母と勢揃いし、先頭にはやはり長男の秀英が向かい立つ。


「ホントに、申し訳ございませんでした……」

「もういいですって……」


「あの……これはぼくらからの、ホンの御詫びです……」

「え……これ、弔慰ちょうい金……」


 謝罪を述べながらも、秀英からは一包みの弔慰ちょうい金を受け取った。中身の額は不透明ながらも、握ったときの厚みからはずいぶんと多すぎる量に思える。

 大金は頂けないと返そうとしたが、こうべを垂らしたまま受け取ってもらえず、他の家族らも手を差しのばさなかった。


「……なんか、反って申し訳ございません……。葬儀の費用に充てさせていただきます……」


 結局手にした弔慰金を握りながら、礼儀として児島家の見送りもすることにした。夕陽が射したアスファルトの道を進み、六人の凹凸な肩並びが目に残る。


「児島家……。七人大家族、か……」


 距離を増していく児島家に、そんな印象まで受け取っていた。今頃少年院で生活する犯人を加えれば、確かに七人。母子家庭の人間からしてみれば、もはや学校一クラスを思い出すほど賑やかさを感じる。


『児島……家』


 徐々に遠退いていく児島にも、家族内での会話が起こっていた。何を話しているまでかは毛頭聞こえず、内容など予想するだけ無駄に等しい。が、その姿を目にした途端、鋭い尖りを帯びた瞳を放ち始める。


『なんで、だよ……?』


 距離の増加に比例し、大家族内の明るさが増していくよう窺えてならない。穏やかな夕陽すら児島家に味方している錯覚には苛立ちを覚え、せっかくの弔慰金袋を握力で潰してしまう。


『なんで、楽しそうなんだよ……?』


 顔色が変わってしまった聖はふと、児島家からの弔慰金袋を開けてみる。その瞬間、強き冬の突風が吹き付け、多額の御札が宙を舞ってしまう。冷たい風は酷にも留まるところを知らず襲い続け、次から次へと手元から離れていく。


『フフ……やっぱり、書いてある……』


 しかし、今の聖にとって大切な物は、多額な金銭ではなかった。現在進行形で握っている弔慰金袋こそ該当し、目を落とした先の文字を不気味な目に焼き付けている。



『――これが、ヤツらの住所か……。フフ……笑顔なんて、二度とできねぇようにしてやる……』



 こうして、孤独な青年による復習劇が、二年後に開幕することになる。



 まずは一人目。

 記載されていた住所に向かうと、聖は無理矢理にも家宅侵入し、児島家の夫と出会すことに成功した。近所で購入した包丁を片手に、光る刃渡りを向けて脅しているところだ。


「テメェの殺人息子は、どこにいる……? もう少年院からは出てんだろ……?」

「そ、それは……口が裂けても、言えない!」


「そっか……んじゃ、裂いてやるよ……」

「――ッ!! やめろォォォォ!! ……」


 包丁が刺さると、威勢の良かった児島の父は、息もしない脱け殻と化していた。

 今回で初めて、人を殺してしまった。決して慣れている訳ではないが、困惑した表情など一切見せず、たった一つの復讐心の力で動かされていた。


『最初が父親で良かった……。おかげで、児島家の何人かの住所もわかったしな……』


 実家から離れて過ごす兄弟姉妹の住所情報まで入手し、次なる元へ向かう。


 二人目は、派遣労働先で独り暮らし中の次男。


「オレの母親を殺したのは、テメェか……?」

「ち、違う!!」


「ほぅ……。んじゃあ、殺したのは末っ子か。場所を教えろ……」

「言えないに決まってるだろ!? 言ったら……今と同じことするんだろ!?」


「そっか……。んじゃ、次男のテメェには、責任取ってもらう……」


 一人目の父親同様、名を挙げるまでに至らず、次男を殺害。


 三人目は、結婚で児島家を離れた姉。

 たとえ相手が女性であろうと、復讐心が収まることなどなかった。


「あなた……あのときの……」

「そうだ……。あのとき、オレの母親の命を奪ったヤツは、どこにいる……?」


「し、知らない……」

「そうか……。残念だな……」

「違う!! ホントに知らないの!!」


 結婚相手のいない一人の時間帯を狙ったが、やはり聞き出せぬまま殺害し、最後に残った住所の先へ向かう。


 四人目は、専門学校で独り暮らしをする妹。


「やめてェェ!! 言うから!! 言うからやめて!!」

「じゃあ、どこだ……?」


「今はお母さんと暮らしてる!! お母さんの実家で! 二人で!!」

「ほう助かった助かった……」


「ち、ちょっと……早く包丁しまってよ!! もう充分でしょ!?」

「悪いな……。このあと電話されても困るからな……。感謝は、するよ……」


「――ッッ!! イヤアァァァァア゛!! ……」


 残虐ざんぎゃく非道ひどうながらも命を奪い、妹が直々に伝えてくれた目的地へ早速出向いた。


 そして五人目は、待ちに待った殺人者の三男。またそこには母親の存在もあり、六人目を含むこととなる。


「やっと見つけた……。テメェがオレの母親を……」

「――ッ!!」

「お願い!! やめてください!!」


 何とか高校生になった殺人少年を、包んで護ろうとした母の姿が印象的だった。が、有頂天に達した聖は何の躊躇ためらいも抱かず、二人へ静かにゆっくりと近づいていく。一人目の父から使用してきた包丁で、二人をまとめて抹殺し、こうして計六人の命を奪う一年間を送った。



『――ハァハァ……フフ、やっと、仕返しできた……』



 十二月一日の暗闇道中。

 自身の復讐を成し遂げたことに、不敵な笑みで喜びを覚えていた。まだ秀英を殺し切れていないが、目的の殺人者を襲えたことで幕を降ろすつもりだ。警察に捕まるのも時間の問題で、恐らくは終身刑だろう。


『でも、もう充分だ……。充分……っ?』


 ふと閉店中のガラス扉に振り向き、反射された自身の姿に目を奪われた。三年前と比べると一回り痩せた気がするが、何よりも一番変わってしまった点に気づいてしまい、冷徹の表情が改めて崩れ始める。



『――犯罪者の顔……。そっか……オレも、同じ殺人者なんだ……』



 温度無き目には、刃物のような尖りが顕在で、大学生当時の内気な素顔の欠片一つ見当たらなかった。もはや別人に窺えてしまうくらいに、聖は聖に驚き、力が抜けた両膝を地に落とす。


『何やってんだろ……オレ。何やってんだよ、オレは……』


 ずっと掲げてきた、首もとのペンダントを取り出す。そこには、ガラスに反射された姿と大きく掛け離れた自分自身と、隣で優しくたたずむ母との小写真が貼られていた。

 平和を意味するような二人の微笑みが、妙に胸を締め付ける。発光物でもない写真からは、なぜかまばゆさまで生まれ、現在を生きる聖の呼吸を荒れさせた。



『――こんなオレを……母さんは絶対望んでなんかない……』



 今さら気づいたのだ。母親は、復讐してほしいと思っていないと。内定していた国家公務員として働き、いつか誰かと結婚し、またいつか子どもを生み、一般人として生きてほしいと。


「グゥッ……ゴメン……ゴメン、母さん……。オレ、殺人犯になっちゃった……」


 独り言をアスファルトに溢した。胸の締め付けから起こった呼吸の荒れで、久方ぶりの落涙らくるいに煽られた。今や遺影と化してしまった小写真付きペンダントを、強くギュッと握り締めながら。



――「ねぇ? お母さんと、お話ししたい?」



「――っ! だ、誰だ……?」


 まるで天使のような声が聞こえた。男子か女子か判断しかねる、まだまだ幼いこだまだった。

 涙ながらの聖は、思わず声主に振り向く。すると朧気おぼろげながら目に飛び込んできたのは、スカート型サンタ衣装をまとった、小学校低学年ほどの幼女だった。


「はじめましてだね、聖!」

「なんで、オレの名前を……?」


 無邪気な笑顔を灯す光の幼女が歩んでくる。しかし彼女が言ったように、面識ある人間ではない、正真正銘の初対面者だ。

 そんな幼女の名前は、ずいぶんとシャレた二文字だった。



「――アタシは、イブ! ねぇ聖? 聖にはこれから、サンタやってもらうから!!」



 膝まづいたボロボロの青年が、煌めかしいばかりに微笑む幼女を見上げる。


「さ、サンタ……?」

「そっ! ホントなら、トナカイのみんなが連れていくんだけど、サンタのおじいちゃんから特別に許可もらって、アタシが迎えに来たんだ~!」

「……」


 幼女が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。どこか愉快気味で、わずらわしいくらいの笑顔を見せられる。もはやバカにされているのかと疑念が生まれそうだったが、つむがれる言葉に心が向く。


「ねぇ聖? サンタをやってくれれば、お母さんにお話しさせてあげるよ!」


 聞き間違いではなかったのだ。イブが一番最初に流した、天使の一声と。


「母さん、と……? そんなの無理だ! 死人だぞ?」

「わかってる。ずっと見てたから……」


「見てた……?」

「うん! サンタのおじいちゃんといっしょにさ!」


 ファンタジーが組み込まれると、理系の聖はどうも嫌な顔をしてしまう癖がある。現実の話に路線を戻そうと、とりあえず声を出してみる。


「蘇生するって、ことか……?」

「ううん! サンタのおじいちゃんがくれるのは、あくまで物に限るの。命は、ちょっと無理かな……」


「じゃあ、無理じゃんかよ……」

「そんなことないって! これが証拠だぁ!」


 やはり幼女のカラカイだと落胆したが、するとイブが一枚の手紙を差し出す。おもむろに受け取って眺めてみると、文面には細かな文字が刻まれていた。タイトルには聖自身の名前、最後の一行には母の名前が確かに記されている。

 またイタズラなのかと疑いながら目を通して見たが、独特の丸い文字たちを見る限り、否定できなかった。



「――間違いない……。これ、母さんの文字だ……」



「そりゃあそうだよ! だってこれ、聖のお母さん直々に書いたんだもん!」


 手紙は、嘘をつかない。メールやアプリと違い、送り主の正体と気持ちが刻まれた、想いの詩なのだ。

 内容的にも遺書とは異なり、ついさっきの復讐劇を叱る言葉まで載っている。


 そんな人間に育てた覚えはない。

 これからは人のために生きなさい。

 天国でも安心させてね、と。


 ずっとどこかで見ていたと言わんばかりの内容が連なっている。


「なんで、お前が……?」

「もぉ~! お前じゃなくて、イ~ブ~! アタシも聖のこと、キヨルンルン♪ って呼んじゃうよ?」


「……」

「イヒヒ~! まぁそんなことより、聖にはサンタをやってほしいの……」


 なぜ幼女は殺人犯の自分に、希望を与えるべきサンタクロースの役を嘆願し続けるのか。

 理解に困ったが、話すトーンの変化、穏やかな微笑を浮かべるイブからは、どうも真面目な様子が伝わる。



「――手伝ってほしいんだ。ガキんちょな大人だけど、大切な家族のために罪を犯した、一人のお父さんのために、さ……」



「一人の、お父さん……?」

「うん……。同じように家族を大切にしてた聖に、協力してほしいの……。そしたらまた、聖のお母さんとお話しさせてあげる」


 正直言えば半信半疑だ。サンタクロースの存在など言うまでもなく、“一人のお父さん”の正体すら公にされていないのだから。



『――でも、もうオレに生きる意味は、他にない……。願いだって……。ホントにソイツが、家族を大切にしてるヤツなら……』



「……わかった、イブ……。お前に全て、ゆだねる……」


 立ち上がり、今度は小さなイブを見下ろす。完全に信じられた訳ではない。ただ、誰かが愛する家族のために、朽ちるべきこの魂が役立つならば、犠牲に惜しむ気はなかった。


「ヒャッホ~!! さすが物わかりのいい聖だぁ!! あ、でも、またお前って言ったでしょ?」

「うるせぇ……。どっかに行くなら、とっとと連れてけ……」


「もぉ~! ツンツンしちゃってぇ~! デレは!? デレはどこいったのデレは?」

「元からねぇよ……くだらん」


 その後、聖はイブの勧誘を受け入れ、トナカイたちの力を借りることで、異世界のサンタ教習所に向かった。内気で人見知りな性格は残ったままで、殺人犯としての顔もいっこうに取り払えない日が続く。周囲にいる人間が皆罪人でもあるため、不信感から冷徹さが継続するばかりだったが。


「アイツか……」

「うん……。園越岳斗。心臓病の息子のために、空き巣でお金盗んだ、かわいそうなお父さんなんだ……」


 イブは早速岳斗の元へ向かい、楽しそうに会話している。しかし一方の聖はなかなか向かうことができず、一人立ち竦んでしまった。


 何とかグループには入れてもらえた聖だが、自分が殺人犯であることを知られ、雰囲気を壊したくないあまり、酷いことを告げてしまった。別に信頼などされなくても良かったからだ。信じられる人間に値しないことぐらい、自身が一番感じている。


 しかしその裏で、岳斗を始めとするメンバー四人たちが無事プレゼント配りを終え、ハッピーエンドを迎えてほしいと願っていたのも事実だ。それに対する鼓舞こぶとして、鍛えてきた冷徹さで煽ってきたが、それはグループに一人嫌われ者がいた方が、反って団結力が高まると考えたからである。


 メンバー各々の将来のためにも。

 勧誘してきたイブの願いのためにも。

 そして、天国の母親を、少しでも喜ばせるためにも、と。


 *

 *

 *



「――もう、いい、んだ。……イブ……岳斗……」



「聖……」

「もう、充分、だ……」


 そして現在、呼吸すらままならない聖は、背負う岳斗と、そばで涙ぐむイブに向けて呟いた。僅かに残った力で右腕を動かし、母親と自身の小写真が埋まったペンダントを握る。


「殺害した数の、銃弾を、受けとめるつもりだったけど……。一応、これで、いいだろ……」

「聖……だから俺を庇ったりなんか……」

「フ……。それに、お前がケガしたら、プレゼント配りが、間に合わねぇ、だろ……?」


 命を奪う銃弾を、奪った数だけ、身体に取り込もうとした。六発目は放たれなかったことは悔やまれるが、表情は晴れ晴れしかった。残るプレゼント配りのため岳斗を守護できたことも、我ながら嬉しく感じ、母に告げられた、“これからは人のために生きなさい”を為し遂げられた気がする。


「……でも、オレは、地獄逝き、だろうなぁ……」

「そんなことないよ聖!!」

「イ、ブ……」


 吐息の白さが徐々に薄くなっていく中、潤目のイブが涙を堪えながら叫ぶ。



「――聖は、絶対に天国に逝ける! いや逝かせる!! サンタのおじいちゃんにもお願いして、アタシも責任もって……聖をお母さんと! お父さんにも!! 再会させるから!!」



「フフ……こんな、ときまで、おとぎ話か……。呆れた、幼女だ……」


 イブが叫んでくれたことは、聖には反って助かるものだった。意識が遠退きつつあり、耳内に訪れる音が脳に伝わりにくくなっている。最後の最後まで、歩むべき道を換えようとしてくれる天使には、このまま頭が地に落ちそうだ。


 サンタ教習所に訪れてからは、イブからよく母親からの手紙を渡してもらった。毎度どこから運んでくるのか不思議だったが、本当にそばにいるのを感じてしまうくらい、文通気分を味わえた。



『――お前には、本当に世話になったな、イブ……ありがと』



 イブがいたから、二十四班に入ることができた。

 イブが独りの自分によく話しかけてくれたから、仲間たちの事情を詳しく知ることができた。

 そして、イブが自分をサンタとして選んでくれたことが、生きる意味を見つけられた気がして、とても嬉しかった。それも、家族を愛した人間と認められたが故に。


「……なぁ、岳斗……」

「……ウグゥッ……」


 返されたのは涙の堪えから生まれた言霊ことだまだった。全身に当てている彼の背中も震動が止まらず、開いた傷口を刺激するほどだ。

 しかし、もはや痛覚すら僅かになっていた聖は微笑み、空いた左腕で岳斗の肩を包む。


「あったけぇなぁ……。これが、父親の、背中ってやつ、なんだな……。はじめて、触れたよ……」

「……」


「なぁ、岳斗……」

「……もう喋んなよ!! ングッ……」


 言葉尻を怒鳴り声で被せてきたが、それも彼なりの優しさだった。話していれば余計に血が回り、穴だらけの身体から排出してしまう。死への早さが増すだけだろう。

 それでも、聖は吐息言葉を紡ぐ。


「あと、一つだ……。あと一つで、お前の願いが、叶う……。オレの努力、捕まった仲間の、分も、無駄にしねぇでくれよ……?」

「ウッ、ウゥ……」


「諦、めんな……ラスパッ……だっけか……?」

「クゥフッ……うん!」


 温かな背に浸りながら、聖は右手でペンダントを、左腕で岳斗を掴み、雪景色の中ゆっくりと、瞳を閉じる。


「……そうだ、岳斗……最後に、オレからお前への、願い事がある……」

「……」


 触れている岳斗も見ず、イブの姿も捉えず、あえて隠してきた願い事を告げる。



「――児島、秀英を……嫌いにならないで、くれ……」



「――ッ!! 聖……お前、なんでアイツのことまで……」


 見なくとも大いに驚いていることが全身に感じ取れ、わかりやすい彼がおかしく、聖はふと頬を上げる。


 秀英を憎しみのドン底に陥れたのは、紛れもなく自分の愚行のせいだ。

 撃たれて当然のことをしたのだ。

 今生きてることさえ、不思議に思えるほどの重罪を犯したのだ。

 ならば生きている限り、声が出せる限りは、彼の未来にも責任を通さねば。



「――復讐、するとな、人格が、知らず知らず、変わっちまうんだ、よ……。それも、醜い方に、さ……。だから、オレを撃ったのは、児島秀英のフリをした、どっか悪魔、なんだ……。経験者の、オレが断言、する……」



「聖……。お前やっぱ、ホントはメチャクチャ優しいやつだったんじゃねぇかよォッ……」

「フ……どうだか、な……」


 呟くと、何やら深い睡魔が襲い始める。全体にも大きな麻痺を覚え、岳斗を包んでいた左腕に力が入らなく、右手で握るペンダントすら離れそうだった。


 いよいよ、時を迎えるようだ。

 逆に過去の記憶たちが次々に甦り、これまでの人生を振り返させられる。


『辛い人生だったな……最後の最後まで……』


 生まれた場所は、貧しい母子家庭。将来の安定を求めたため、クラブにも部活動にも入らず、勉学と家事を行った。親友と呼べる存在も現れず、外出すれば常に孤独と待ち合わせする日々だった。


『迷惑もかけたし……。ホント最低な人間だ……。復讐なんて、やるべきじゃない……』


 母の死をきっかけに、復讐の道を選んでしまったことが残念だ。加えてサンタ教習所で共にした仲間たちにも、殺人犯として覚えてしまった暴言や冷たい態度を取ってきた。できれば全ての関係者に謝りたいくらいで、自分自身が嫌いになりそうだ。


『でも、オレは幸せ者だった……』


 始めにイブと、次に岳斗、そして留文と芽依に望と出会えた。孤独な青年にとってはかけがえのない存在であり、初めて人の隣に立つ機会を与えてくれた、恩人でもある。


 最後には秀英から復讐を返されてしまったが、これで彼の心が救われれば吉である。


『いや、幸せ者だ。最初から最後まで……。だって……』


 目を開ける気力まで無くなった。左腕もずり落ち、ペンダントを握っていた右手までストンと落下する。


「聖ゥゥゥゥゥゥウウ゛!!」

「ウア゛アアァァァァァァァァアア゛!!」


 高低差が開けた二つの巨大ビブラートが、ホワイトクリスマスに轟く。しかし、青年の目蓋の裏には、信頼した二人の顔が確かに焼き付いていた。魂が遠い彼方へ旅立とうした瞬間、最後に心を置いていく。



『――こんなオレを信じてくれたイブ。こんなオレを生かそうとしてくれた岳斗たちと、出会えたんだ……。そんな二人に見送られるなんて、本望だよ……。ありがとな……んで、さよなら……』




――――――――――――――――――――

 十二月二十五日。

 午前五時十四分。

 連続強盗殺人犯――輿野夜こしのよきよる

 年齢 二十五歳。


 警察官且つ被害者の親族――児島こじま秀英しゅうえいによる射撃を五発くらい、逮捕には至らぬまま、大量出血死。

 最後まで誰にも公にしなかった、“亡くなった母親と父親との再会”という願いを叶えようと、二十四班から死別。




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