最終幕*The christmas song*
第二十三夜*歩むべき道*
午前五時を過ぎた頃の笹浦市。
まだまだ暗い世界だが、しんしんと白雪が舞っている。その景色はまるで、深き闇を小さな光の粒子たちが照らしているようだ。しかし、アスファルトや草木に隠れた土に落ちれば溶けてしまい、降り積もる予報は見受けられない。
音も経てず地へ向かっていく、ホワイトクリスマスを生んだ今宵の雪。静寂な空間は確かに広まっていたが、一方で騒がしいエリアも否めなかった。
「落ち着け! 児島!! いいかげん銃を放せ!!」
「先輩こそ!
異空間と化した場では、蒼き凸凹警察官の信太郎と秀英が激しい揉み合いを続けていた。
「いつものお前はどこに行ったんだよ!? 目ェ覚ませ児島ァァ!!」
護身用でなくてはいけない拳銃を、信太郎は背が低いながらも、何とか取り払おうと全力で励む。しかし、強靭な握力に変貌した高身長後輩の握り拳を開くことなどできず、終いには突き飛ばされ、湿ったアスファルトに叩きつけられてしまう。
「おい児島!!」
「なんで邪魔するんだよ!!」
「――っ!」
後輩から初めて轟かされたタメ口に、立ち上がることもできず息を飲んでしまう。いつも共に過ごしてきた、穏やかな彼の欠片も見当たらなかった。子ども好きで、おっちょこちょいで頼りないが、仕事には
「児島……」
「なんで
荒々しさが濃い白煙として排出される中、信太郎は腰を地に落としつつも、鋭い面構えを保ちながら眺め続ける。連続強盗殺人犯の聖に親族を殺害されたが故に生まれた復讐心が、今の後輩をおかしくしているに違いない。元から犯罪者を嫌悪していたことは知っていたが、まさか加害者の死を求める殺意までに至っていたとは。
「……まずは、銃をしまえ」
「人の話を聞いてたか!?
「……いいからしまえよ!!」
怒号で言葉尻を被せると共に立ち上がったが、依然として悪魔が銃を握ったままだ。有り余る力のせいで腕の振動が見受けられ、誤発砲の懸念さえ生まれる。
しかし、今日まで後輩としてかわいがってきた先輩は、決して逃げず
「それじゃお前まで罪人になっちまうだろうが!! お前自身大っ嫌いな、犯罪者と同じにだぞ!?」
「――ッ!! ……
魂が響いたためか、秀英の声は鎮まりへ向かっていた。どうやら我を取り戻した様子が、崩れていく表情から観察できる。
「あぁ。そんなことしたら、お前も同じ、殺人犯じゃねぇか」
「
すると秀英は拳銃に目を置き、自問自答の沈黙を始める。やがて瞳が怯えた眼差しへ移ろぎ、現実の立場に驚いた様子で震えていた。
「ぼ、
「そんなの、嫌だろ? 大切な家族を奪われた気持ちは、わからなくもねぇけどさ……」
潤みが増してきた秀英に、少し安心を覚えた。いつもの後輩像が目に映り、おどおどした彼らしい一面が甦ってくる。
「でもよ、お前のそんな姿はきっと、天国の家族たちは望んでねぇはずだ。復讐するだなんて、考えねぇほうがいい」
大家族の長兄だった秀英が抱く憎しみは、決して否定してはいけない。感情で生きる信太郎も、先輩として認めている後輩の思いだ。が、それを
信太郎はそう考えながら、俯いた秀英の説得に試みたのだが。
「フフ……」
「こ、児島……?」
笑い出したことには、不気味さを感じた。自嘲気味に聞こえた笑い声は弱々しく、すぐに溶け込むように停まってしまう。しかし、顔を上げると同時に潤目を向けた後輩の表情には、確かに笑みが残っていたことに気づく。
「どうした児島?」
「先輩……。お世話になりました……」
「あぁ?」
別れの言葉染みた台詞に、信太郎は眉間の
「殺人未遂だって、立派な犯罪……。つまり
「……」
「それも、
「児島……っ! お前何するつもりだ!?」
微笑みが笑顔に換わった瞬間、秀英の瞳からはついに涙が頬をたどり落下する。何とも
なぜなら秀英の片耳に、引き金を待った銃口が向いていたからである。
「――罰は死で償わなきゃ……。さよなら、先輩」
「――バカヤロォォォォォォオオオ゛!!」
――ズブッバアァァァァァァン!!
粉雪が舞う闇の中で、何かを貫いた銃声が拡散した。拳銃がアスファルトに落ちた清音と同時に、赤い雨までアスファルトに飛び散り、白雪のせいで鮮明に窺える。
「ど、どうして……」
平和な日本らしからぬ地の上で、一人の警察官は驚き固まっていた。なぜそんな真似をしたのかと、気が動転した様子で、まともに言葉も出せないといったところだ。
「ウグッフ……」
また一人、警察官が声を漏らした。銃声が貫いたはずの、血が飛び散ったその場所で。
「――弾が外れた、みてぇで良かった……ハァ、児島」
「――せ、先輩……。どうして、どうして銃口に手なんか!?」
秀英に叫び寄られた信太郎は両膝を落とし、右手のひらに発症した絶大なる痛覚に、必死に堪えていた。放たれる銃弾を後輩から逸らそうと、無理矢理にも銃口を握ってしまったためだ。
高校時代、硬式野球部の活動時でもあまりしなかった、打球に勢いよく飛び付くかのように。
その結果、貫いた右手のひらは真っ赤に染まり、左手や腹で押さえ込み、痛みを少しでも沈静化させようと丸まっている。
「先輩!!」
「イッヒヒ~いってぇ……。撃たれるって、こんなにいてぇのかよ~……」
覚悟など決める間もなく突っ込んでしまった訳で、ただひたすらに歯を食い縛っている。想像もしてなかった痛みには涙が浮かんでくるが、後輩の命を失わずに済んだことに安堵を覚え、つい笑ってしまった。
「なんで、
「へっ……言ったろ? 誰かのために、全身全霊を掛けるって」
「ウ゛ゥ……だからって、こんなこと……」
「なぁ、児島……?」
合わせてきた瞳からは、次々に涙が溢れている。口許も震え
「お前さっき、生きる権利がねぇとか、ウゥ……言ってたよな……?」
「グズッ……」
返事すらできないほど、後輩の呼吸が荒くなっていた。しかし信太郎は、冬の寒さを負かすような微笑みを灯し、動かせる左手を秀英の肩に乗せる。
「それなら、
「生きる、義務……?」
「復讐した、お前にしかできねぇ、先輩直々の贈り物だ……」
それは復讐の経験者であるからこそと、信太郎は秀英に生きる義務を課そうとしている。
心を抱く人間にとって、憎しみは誰もが抱いてしまうガン細胞。環境次第で憎悪へ進行し、そして復讐の道を歩みかねない。最終的に待っているのは、生きる意味すら見失う死の観念で、秀英のように自ら生命を
「――復讐の醜さ、辛さ、悲しさ、残酷さを、経験者のお前が色んな人に教えろ……。復讐心を、持たせないために。今のお前みてぇに、させないために、な」
もはや心理学の世界とも言える役割だが、信太郎は是非、目の前の秀英に託したかったのだ。生きる意味を失った後輩へ、先輩からに贈られる、生きる義務を。
「先輩……。ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい! ごめんなさい!!」
更なる涙を降らせた秀英が、恩人と称すべき信太郎に抱きつく。胸を預けるように密接させ、先輩の肩に顎を乗せて泣き叫び続けた。
「へへっ……。きもちわりぃなぁ~。男に抱きつかれても、嬉しくねぇっつうの」
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「へっ、甘ったれてんじゃねぇよ……。このアホ後輩が……」
「ごめん、なさい゛……先輩ィッ……」
「んま、まずは罰をしっかり、受けるところからだな……児島」
「ウ゛ゥ……はい゛ッ!!」
貫通した右手はすでに動作の信号が伝わらず、手首に支えられたまま宙ぶらりんの状態だ。傷口に雪が当たって生じる
しかし、信太郎は残る暖かな左手のひらを、秀英の頭へ静かに添える。身長は高いが、まだまだ未熟な後輩を護るかのように、左腕で包み抱えながら。
『――大丈夫だ、児島。この先、誰もがお前を嫌おうと、先輩の
恥ずかしいあまりの台詞を心で呟き、泣き止まない秀英の頭に
***
「……」
「岳斗……」
「……」
「岳斗ってば……。ほら、動こうよ……?」
「……」
「……」
午前五時半を指した雪空の下。
「聖……ウゥ……」
「岳斗……」
すると、無表情だった岳斗は心の声を漏らし、そばのイブを振り向かす。しかし望まれた明るい表情ではなく、多大なる悲哀の
――先程、救急車で運ばれた聖を思いながら。
『聖、ゴメン……。これぐらいしか、できなくて……』
言葉も出せないほど抑えていた涙が再び甦り、地上を更に湿らせていく。
運んでいた聖が五発の銃弾を受けて息を失って以降、やっと公衆電話を見つけた岳斗とイブは、この場に救急車を緊急通報したのだ。連絡してから間もなく連れていかれ、二人は表に出ることなく見送ったのだ。
しかし、結果は既に決まっているため、
「グズッ……」
「岳斗……。あと一つ、プレゼントを配れば終わりだよ……?」
「どうでもいいよ……。プレゼント配りとか……もう、やってらんない……」
プレゼント入り白袋を握るイブを曇らせるばかりの岳斗は、やはり顔を上げる力が残っておらず、ついには脚を崩して尻を落としてしまう。次から次へと仲間が減っていったことで、もはや目的意識までも失いかけていた。
『望から始まって、留文に芽依……最後には、聖までいなくなっちまった……。一人だけ願いを叶えるとか、ズルすぎるだろ……』
「ねぇ岳斗……」
「もう、聖とは会えないんだ……」
「え……?」
「望や留文に芽依と違って……もう二度と会えないんだ……」
「……」
眉間の皺を続ける幼女の前で
しかし、今日まで何とか乗り越えられてきたのは、今もそばにいるイブの言葉があったからだ。
“「望は、死んじゃいないんだからさ……。絶対にまた、同じ空の下で会えるって。……ニヒヒ~」”
“「だって、ルドルフ……ううん、留文は、生きてるから。芽依だってそう……。二人とも、望と同じ、死んじゃいないんだからさ……ニヒヒ」”
生きていれば、再会の奇跡は起こるかもしれない。絶対と決まった訳ではないが、信じる価値が大いにある、希望の光だった。
『――でも、聖はもう、生きていない……』
今までの三人と決定的に異なる脱退理由のせいで、岳斗は
仲間の死という経験は、生まれて初めての出来事に思える。故に悲しみの雨が降り続くばかりで、
「ねぇ岳斗……? 泣いてばかりいたら、聖に申し訳ないでしょ……?」
顔は上げられなかったが、潤みきった瞳を開く。まず見えたのは、幼女の小さなサンタブーツだった。少し衝撃を与えてしまえば、すぐに折れそうなほど細い両脚まで窺える。しかし、ふと膝が地面へと向かいサンタスカートが揺れ始めると、やがてイブの微笑みが目の前に現れる。
「イブ……」
「岳斗……。どうして聖は、プレゼントを一つだけ残したと思う? 配ってればそこで、願いが叶ったっていうのにさ……」
「え……?」
静かな笑みを浮かべながら白袋を向けてきたイブに、岳斗は思わず聞き返していた。
なぜ聖は、プレゼントを一つだけ余らせたのだろうか。
確かにイブの言った通りで、プレゼント配りを終えれば、サンタクロースとの公約により、欲している贈り物を頂けたというのに。
「……時間が、なかったから?」
「ううん。これはプレゼント配りを始めたとき、聖の袋に入ってた物だよ。聖はわざと、この一箱を隠し持って、最後まで配らず残してたんだよ」
「な、なんでそんなことを……?」
徐々に顔が上がってきた岳斗には、白袋を幼い手で添え持った白袋を見つめるイブが映る。
「アタシが、お願いしたんだ……。聖に、一生のお願いってね……」
小声で囁いたイブは細い両腕で、プレゼント入り白袋を抱き締める。大切な宝物の如く全身で包み、白雪の景色に
「このプレゼントは、どうしても岳斗に配ってほしいの……。そんなアタシのワガママに、聖は付き合ってくれたんだよ……」
「――っ! 聖が、イブのため……いや、俺が、配るために……」
なぜイブがそのプレゼントを、自分に配らせようとするのかまではわからなかった。しかしそれ以上に、一箱だけ残されたプレゼントには、聖の優しい想いを明らかにした存在証明が窺え、改めて亡くなった彼の尊さを実感するばかりだった。
「だからね、岳斗……」
イブだって、聖の死は悲しいはずだ。サンタ教習所ではよく二人の会話姿が見受けられただけに、仲の良さは二十四班内で最も親密な関係に思える。にも関わらず今は、心折れた岳斗を復活させようと、微笑みすら浮かべて立ち直らせようとしているのだ。
もはや大人顔負けの世話役幼女サンタを、呆然な黙視で目を送る。すると、イブの開いた瞳と合わさり、心の手術を
「――聖の想いまで、殺さないで……」
「――っ!」
「ほら、立って……。もうすぐタイムリミットの六時なんだからさ」
片腕で白袋を抱えるようになったイブから、岳斗は上向いた小さき手のひらを差し伸べられる。落ちる雪が手のひらですぐ溶け込む様子からは、幼女サンタの穏やかな暖かさが観察できる。
「イブ……」
「岳斗の歩むべき道は、世話役のアタシが、ちゃんと案内するからさ」
「……ウゥ……グズッ……ゴメンな、イブ……。ありがとォッ……」
「イヒヒ……」
静寂な雪世界で微笑んだイブの手のひらを、岳斗は右手をそっと乗せる。すぐにギュッと握られたことで温度が伝わり、無意識にも共に立ち上がることができていた。
「こっちだよ。ついてきて!」
「……あぁ」
元気を取り戻したイブが宛先も確認せず走り出すと、岳斗は涙をサンタ袖で拭ってから追いかけた。悲哀を完全に取り払えた訳ではないが、目の前の使命に
今宵、最後のクリスマスプレゼントを配るために。
元より嘆願している、息子の命を救うために。
また、聖の想いを無駄にしないために。
――何よりも、二十四班みんなで型どった、努力の結晶を溶かさないために。
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