ラストクリスマス*3 years after―大人たちへ*

 三月を迎えた笹浦市。

 まだまだ冷え込む駅周辺には、高きマンションやビルが並び、ほとんどがアスファルトで埋め尽くされている。外国人来訪者の数も年々増しいる中、改札口周辺では疑わしいばかりの募金活動が日常茶飯事行われている。それでも疑心を抱かずに投資してしまう若者の儚さといったら、何とも形容しがたい。


 しかしその一方で、少し離れた郊外では、既に生き生きとした自然たちが迎えてくれる。細くとも冬風に負けず立ち続ける稲から始まり、冷えた田んぼには大きなはすの葉。時おり鳴き声を上げるウグイスやヨシキリの方へと振り向けば、緑溢れるポプラやケヤキの樹木と御対面できる。

 桜が咲きかけた季節――新たなるスタートの始まりでもあった。


『よしっ! 次のコンビニで終了か……』


 日没前を迎えた頃、軽トラックのハイゼットを乗り込なしながら進む、三十路みそじを迎えた一人の男性。目的地であるコンビニに停車し、畳んだ後部座席から段ボール箱を取り出す。この一件で本日の業務は終了で、家族愛を大切にする彼は、今すぐにでも家庭に帰りたい様子だ。


『てか、ここにコンビニなんてあったんだな……』


 仕事の都合上、笹浦市内の地理に詳しくなった彼は運転席から身を出し、不思議ながらコンビニの看板を見上げる。改めて窺うと聞いたこともないコンビニ名で、大手コンビニチェーンとはかけ離れた異質さが垣間見える。


『まぁそんなことより、行こう!』


 仕事の義務として着用する緑制服の胸元を整え、段ボール箱を両手で大事に包みながら入り口を潜る。



「――こんちは~!! 新しく宅急便担当になりました、園越岳斗です!!」



 店内のベルと共に威勢よく叫んだ。今年の一月から郵便会社に無事就職し、まだ研修期間中ではあるが、早くも一人身で配達するステージまで登り詰めていた。それも岳斗の迅速且つ適切な業務行動が、社内で高く評価されているからであろう。もはや一年目の未経験者とは訳が違う。


『さて、これを検品してもらえば終了だ!!』


 本日ラストの届け先に出向いただけに、晴々しく、若々しく、そして明々めいめいたる笑顔を浮かべながら、レジの元へ段ボール箱を抱え歩む。ふと店内の様子を窺うと、御客の姿は皆目見当たらなかった。レジに気をつけの姿勢で立つ男性が一人、また品出しをため息混じりで行う女性が一人と、計二名のみで静寂さが印象的だ。


『やっば、なんか不思議なコンビニだな……』


 妙な奇怪さに首を傾げながら、レジ前に辿り着き、気難しそうな男性へ配達物を手渡す。


「ここにサインをお願いします!」

「……」


「あ、あの~サインを……」

「……」


「え~? ……あ、ありがとう、ございます……」

「……」


 何とかサインを頂いたが、一言も鳴らさなかった店員へ不審感がつのり始める。レジから離れる際、顔をジロジロと観察してしまったが、やたらひたいが見える髪型からは、どうにもヅラだとも思えてしまう。見た目はまだまだ若々しい店員だというのに。


『なんか変な人だなぁ~……』


 フルネームで記されたサインを覗いてみると、どうやら彼のは曇田くもりだはじめと言うらしい。一言も告げない接客と細い目が特徴的で、少しばかり怖さまで感じる若年男性だ。

 渋めの顔で去ろうとしたが、このコンビニ店は自身の配達担当エリアであり、相手先とは常に良い関係性を築きたい思いがある。少しでも自分を気に入ってもらえればと、妻から渡された少ない小遣いで、店内の商品を二点手に取る。


「すみませ~ん。レジお願いしま~す」


 ガムとチルド商品のスープを手で持ちながらレジに頼むと、やはりサイレント男性がスキャンを始める。


「……」

「あの、曇田さん……」


「……」

「今日から担当になりましたので、末長くよろしくお願いします」


「……」


『なに? 俺早くも嫌われてんの……?』


 そんな気さえ起こるほど、レジのスキャン音だけが響く。何か悪いことをした覚えはないのだが、吐息の音すら返されなかった。


「……」

「……あ、あのぉ~」


「……?」

「へ……」


 スキャンを終えた店員は首を僅かに傾け、スープチルド商品を指差しながら固まってしまう。無論、一言もしゃべらずに。


『まさか、温めるか温めないかってこと……?』


 レンジアップの是非も言葉で尋ねない彼には正直ウンザリで、肩をドンと落とす。よくもこんな接客態度で働けていると、疑り深い細目を向けたときだった。


――「はぁ~いつまでレジにへばりついんてのよ~? いいわいいわ、もう替わるから」


 苛立たしい女声と共に参上したのは、やはり先ほど品出しを行っていたもう一人だ。気だるさは表情や荒れたロングヘアから随所に窺えたが、まだ無言の店員よりかは助かる。


「あ、ありがとうございます……」

あっためます~?」


「え……じ、じゃあお願いします」

「……チッ」

「え……」


 女性の舌打ちが確かに聞こえてしまった。


「……箸派? それともスプーン派? ここはあえてのフォーク派?」

「……と、とん汁なので箸を」


「……袋いらないっすよねー?」

「え、えぇ。大丈夫、です」


「……合計で、ミーゴレンで~す」

「はいはい、三百五十円ね」


 態度も徐々に傲慢ごうまんになる女性店員には、岳斗の内側にも怒りの炎が点灯を始める。友だちでもない相手なだけに、財布から取り出した一万円札に皺が着く。


「チッ、ツェーぺラかよ、ダリィ……」


『や、ヤッロ~……』


 再度鳴らされた舌打ちで怒りの血が廻り、一万円札を叩き置いて睨んでしまう。上から目線な女性の名札に尖り目を放つと、そこには、“美紅みぐれいずみ”とカラフルに描かれていたが、接客態度赤点の彼女には気分を害されるばかりだった。


『コイツだけとは、今世紀中は仲良くなれなさそうだ……。てか、マジでなんだよ、このコンビニ……』


 全て無言でやり通そうとした寡黙男性に、本音ダダ漏れなやかまし女性。本当に研修済みなのかと疑える二人だが、このコンビニの責任者はきっと、テキトーで御粗末おそまつな愚か者に違いない。ろくな研修を受けさせてもらえなかったのだろう。


『ここの責任者って、誰っつぅんだろうな? ……』


 責任者名がおおやけにされている、食品管理責任者の標識へ目を向ける。そこには確かにフルネームで記載されていたが。



「――っ! う、嘘……ここの、責任者って……」



「あのさ~、早く受け取ってくんな~い?」

「え、あぁすみません……」


 責任者の正体に驚いたことで一人言を呟き、女性店員の御釣おつり渡しに遅れてしまった。嫌々そうに五千円札を先頭に六七八九千と数え受け取ったが、つい呆然と二人の店員を観察してしまう。


「……まさか、お前たちって……」


 なぜなら心当たりがあったからだ。曇田という男と、美紅と称する店員二人の正体を。

 確かに二人は、岳斗のことを忘れているかもしれない。面会したのは数えるほどで、会話もろくにしなかった者同士だ。


「曇田、一……美紅、泉……っ! やっぱお前らは……」


 しかし、岳斗はついに二人の正しき名を思い出す。それも全てはあのとき、何もかもを変えてもらえた、三年前に起きた出来事だと思った矢先だった。


「チッ、気安く呼ぶんじゃねぇよ……人間が」


 すると呼び方が気に召さなかったのか、女性店員が先に怒りの有頂天うちょうてんに達した様子で、睨みと共に、身に覚えのある喧しさを吐き散らす。


「なんだよ、お前って! 知り合いでもねぇクセに偉そうにしゃべんじゃねぇっつぅの! これだから、コンビニに来る客ってムカつくのよねぇ~! だいたい金持ちでアホ丸出しなヤツばっかだしさぁ~。世間知らずっていうヤツ~? マジでウザったらしい異物よ、もぉ~。しかも自分が世間知らずっていう自覚がないだけに、ホント面倒だわ~、はぁ~……。そもそもさ、な~にが御客様は神様よ!? たかが脳みそだけが発達した人間のクセに、天にも昇れる神様気取りとかマジウケなんですけど~! 一回お遍路へんろ出向いて、モノホンの神様に頭ん中洗い直してもらった方がいいんじゃない!?」


 溜め込んできた愚痴トークが解禁され、とどまる気配が感じられない。が、予想の確信で懐かしい思いが込み上げ、岳斗は場に合わぬ微笑みを浮かべる。


「だよな!! お前ヴィクセンだ!! それに、ドンダー!!」


 美紅みぐれいずみではなく、ヴィクセン。


「は、はぁ? んな、なんでアタイの名前……っ! まさかアンタ、確か三年前の……」


 そして、曇田くもりだはじめではなく、ドンダー。


「!? ……」


 この二人は間違いなく、三年前にたいへん御世話になった、異世界での教習担当者だ。



――サンタ教習所で出会った、八頭のクリスマストナカイの内二頭だったのだ。



「ハハハ!! 懐かしいなぁ~! 他のトナカイたちもいるの?」

「え……ま、まぁ後ろの控え室に、みんないるよ……。今はアタイらのシフトだから、休憩中だけど……」

「マジでぇ!?」


 かえって岳斗が一方的に話す立ち位置に換わり、嫌気など嘘だったかのように喜びを前のめりで表していた。

 ヴィクセンは背後の控え室扉を開け、室内の皆を呼び始める。やはり見覚えのある顔たちが相加的に参上し、レジに計八人が並ぶ。


「みんな……。ホントに、トナカイのみんなだぁ!!」


 嬉しさを押さえきれなくなり、無邪気な笑顔のまま叫んだ。

 現在は店員である八人からは、どうも覚えてくれていたようで、一人一人から驚きの目を向けられ、岳斗の頬が相乗的に上がっていく。


「が、グァ~クト!? マジで、俺様が認めた、園越岳斗じゃねぇか!!」


 紛らわしい言い方はやめてもらいたかったが、まずは、リーダーらしく先陣を切って声を鳴らした男性。名札では、武律たけりつほむらと名乗っていた。


「――っ! ほ、本当に、三年前の、園越岳斗様なのですか!?」


 次は、副リーダーのように続いた、美声な男の。名札には、宮泌みやびうさぎと描かれていた。


「岳斗~!? えぇ~ドコドコ~!?」


 今度は、レジ台に隠れてしまうほど幼い、制服がブカブカな幼男児。名札には、米通よねみちわたると記されていた。


「おぉ~! これはこれは、久方ぶりでござるなぁ~!」


 接客業界にまげはどうかと思ったが、侍の如く堂々と立ち振舞い、腕組みを示す男性。名札には、唾通つばどおり社吾やしごと写し出されていた。


「岳斗だぁ!」

「岳斗だぁ!」

「「だぁ! だぁ! だぁ!!」」


 この期に及んで盗作は御免なのだが、最後には息をピッタリ揃えた、そっくり双子姉妹。名札にはそれぞれ、まゆみ咲愛えま符嵐ふあらし沙安さやと、双子なのに異なる苗字が刻まれていた。


「ブリッツェン!! キューピット!! コメットにダッシャーに、ダンサーとプランサー!! ホントに、みんな久しぶりだなぁ~!」


 顔も声も話し方も、全てが三年前と一致していた。異世界のクリスマストナカイたちと再会できたことには心が躍る。おのずと落涙しそうにまで至りそうになったが、まだまだ早かったようだ。


――「が、岳斗~!?」


 控え室からようやく責任者が登場した――かと思いきや、現れたのは岳斗が想像していた人物と違っていた。女性だと思っていたのに、若々しい男性が視界に入り込む。が、それもまた、岳斗の心を突き動かす人物であり、先に涙ぐんだ彼がいるとわかったことで、胸の鼓動が更なる高みへ向かう。



「――留文とめふみ~!! ひっさしぶり~!!」



 現れたのは紛れもなく、サンタ教習所で共に活動した青年――流道りゅうどう留文とめふみ。元々は彼もクリスマストナカイの一員であるためか、見た目は三年前と全く変化なしで、ついこの前会った錯覚さえ走る。


「岳斗……ウゥ、岳斗~!! マジで久しぶり~!! マジマジで会いたかったよ~!! マジマジマジ~!!」

「ちょ、留文!?」


 レジ台を飛び越えた留文に真っ正面から抱き締められ、感動の涙で制服を濡らされてしまった。挙げ句の果てには鼻水まで流されてしまったが、鼻が赤く火照っていたことでつい笑わされ、こころよく包み受け入れることにした。


「ハハハ! 留文、泣きすぎだろ?」

「だってだって~!! 岳斗と再会できて嬉しいんだも~ん!!」


「……へっ、ありがと。それにしても、よかったなぁ~留文!」

「ふぇ……?」


 留文がこのコンビニ内にいることを知ったことで、もう一つ幸せなポイントを見出だしていた。それは未だ登場していない、責任者の名前が物語っているからだ。



――「その声……もしかして、岳斗……?」



 ついに、コンビニ責任者が姿を顕にする。背後からかすかな女声をしかと受け取った岳斗は振り向き、やはり彼女だったのだとニッコリ笑う。



「――あぁ久しぶり。ちょっと大きくなったんじゃないか? 芽依めい!」



 背が少し伸び、髪の毛も以前より長くなって大人びた十八歳乙女――路端土みちばと芽依めい。盲目というハンデを背負っているにも関わらずしっかり目を合わせ、留文と似て瞳が潤んでいることがわかる。


「岳斗の、声……。ホントに、岳斗なんだねッ……」


 笑いながら落とす涙を、か細い手首で何度も拭っていた。

 余程嬉しい様子は容易に見抜けたが、共に岳斗も、留文と芽依が再会していたことには我ながら感極まっていた。


 どうやら芽依はつい最近、この地で自営業を立ち上げたそうだ。それはチェーンにも属さない、完全独立型のコンビニエンスストアで、まだまだ品々には物足りなさが窺え、商売の軌道に乗っているとは言いがたい。

 従業員に関しては無論、求人広告や窓のポスターで公募しているらしい。が、儚くも応募者は皆無らしく、留文との二人三脚で営むスタートを迎えた。そこでいち早く気づき助けてくれたのが、人間態のクリスマストナカイたち八頭であり、人数が集まるまでは協力してくれるそうだ。


 思い返せば二人は、犯罪者と被害者という真逆の立場だったはずだ。しかし今は共に、近い距離のまま働いている。

 二人にも奇跡が起きていたようだが、それは意外な人物のおかげで成り得た現実だと、留文が語る。



「――芽依ちゃんのお祖父さんが、ボクを芽依ちゃんの恋人として認めてくれたんだ! これからずっと、芽依の目になってくれってさ!!」



 芽依の祖父――葛城かつらぎ厳師げんじの同意があったからだそうだ。警察官の中でも幹部クラスの彼が、直々じきじきに逮捕した留文を許可してくれたとは。

 確かに、厳師が留文を逮捕したことは事実であり、誘拐犯としての罪を決して許さなかった。が、二人に別離という罰までは与えず、愛し合う未来を許していたのだ。


 可愛い孫娘のために選ぶ相手とは、もちろん信用に値する人間だろう。信用の価値は親族ではなく、恋愛の当事者の気持ちで決まる。それを厳師自身が認知していたため、二人に再会の奇跡をくだしたに違いない。


『なんだかんだ言って、いいお祖父さんだったんじゃねぇか……。とりあえず、留文と芽依は、めでたしめでたしって訳だ』


 二人の幸せ溢れる現状を目の当たりにし、岳斗は留文と芽依に穏やかな視線を向けながら思った。

 正式な恋人として認めてもらい、ある意味視力を手に入れた、盲目経営責任者の芽依。

 また、トナカイたちにも協力してもらっていることも知り、孤独な世界など皆目見当たる気配がない留文。

 商売繁盛の道のりはまだまだ計り知れないが、二人とみんなが行うからには、きっと大丈夫だ。全部で十人という力で、協力しているのだから。


――ピンポーン……♪


――「チッ、あり得ねぇっつうの! なんで電球の種類間違えんだよ!?」


 入口の自動ドアが開くと同時に、怒れる女声が店内に鳴り渡る。岳斗以外の来客者の登場だが、どうやら一人で来店した訳でなく、続いて知人と思われる男性と女子が入店音を鳴らす。


「べ、別にLEDじゃなくても良いじゃねぇかよ!?」

「もぉ~。二人ともケンカしないでよ~」


 来客者三人の姿は死角だったが、妻の荒れ狂うような怒号、夫の振り回されがちな様子、そして娘が親の二人を落ち着かせる家族絵が浮かんでくる。やがて求めていた電球商品を発見したようで、三人の足音がレジ前に近づいてくる。


「えっ……?」

「「――ッ!! が、岳斗!?」」


 しかし、目が合った夫婦の二人は突如立ち止まり、揃った驚愕デュエットで演奏した。

 小学校高学年くらいの娘が不思議がっている姿も顕在だったが、岳斗もつい静止して二人を見つめ返していた。訳がわからなかったという心境だ。なぜこの二人がいっしょにいるのだろうかと、あまりにも気になってしまう。

 まばたきを繰り返す岳斗はおもむろに、二人の薬指に焦点を当ててみる。するとやはり、双方の付け根には小さな指輪が観察でき、目を大きく見開く。



「――のぞみ……。それに、信太郎しんたろう……は、ハァァァアア゛!?」



 視界に飛び込んできたのは間違いなく、三年前サンタ教習所で出会った沫天まつあまのぞみと、昔からの親友である羽田はだ信太郎しんたろうだ。しかも二人の間から、小学校高学年ほどの女子が垣間見かいまみえ、岳斗は久しぶりの言葉も抜かして驚嘆してしまう。


「んな、なんで!? お前ら結婚してたの!? しかももう子持ち!? えッ!? てかそのいつ生まれたの!?」


 懲役期間の間では何度か信太郎と面会していたが、結婚の報告は言わずもがな、彼女の存在さえ知らされた覚えがない。まして出産までしていたなど。

 疑問が次から次へと飛び出したことには、二人も苦笑いで頭を掻いていた。もちろん岳斗には笑う余裕すらなかったが、望が喜ばしげに一歩前に踏み出す。


「久しぶりだな、岳斗。元気みてぇで何よりだ!」

「望……。い、一体何がどうなって……」


「まぁ……全部が正しい訳じゃねぇけど、岳斗が言った通りだ」

「へ……?」


 望は微笑みを横にると、娘と共に歩む信太郎が隣へたどり着つ。


「わりぃな岳斗。別に隠してた訳じゃねぇんだけどさ……」

「し、信太郎……?」


 信太郎はそう呟くと望に目配せし、指輪がはめられた薬指を、二人同時に放つ。



「「――三ヶ月前のクリスマスに、結婚しました!」」



「へぇ~……え、エ゛エエエェェェェッへッへェェェェエエ゛!!」


 初耳だった岳斗の叫びが、店内中にこだました。


 後々話を聞いていくと、望が捕まってから三年後のクリスマスに、文字通りの結婚が決まったそうだ。それも彼女の出所直後に信太郎がプロポーズしたようで、つい三ヶ月前の十二月二十四日に婚姻届けを出したらしい。


「えッ!? 望なんで!? なんで信太郎なんかを相手に!?」

「いや、まぁ、その……さ……」

「“なんか”ってどういう意味だよ?」


 しかし、顔を赤くして恥じらう二人からは、これ以上の詳細は語られなかった。

 犯罪者と警察官との間に恋愛劇があったことは確かに伝わるが、また別の機会に尋ねてみようと思い、いさぎよく諦めることにした。

 何せ、最も矛盾する存在が、二人の間にいるのだから。


「でも、その娘はいつ生まれたの? 俺には五六年生にしか見えないんだけど……」


 望と信太郎が初めて出会ったのは、あの日の三年前であること。しかし、見た目が十歳を超えている長髪ストレートな少女がいることには、あまりにも不思議でならなかった。

 しかし、望が自信を現す胸の張りを見せ、岳思っていた矛盾がける。


「あのときのだよ。三年前、ウチと岳斗が侵入したときに見かけた! 来月で、愛でたく小学六年生なんだ!」


「――っ! 君は、あのときの……」


 こうして視線を交わすこと、はたまたちゃんとした素顔を目にすることも初めてだ。あのときは大きなマスクを着けて下校し、侵入先の家庭では意識さえ失っていたのだ。

 するとそのは幸せそうに頷き、以前はマスクで隠れていた口元が横に延びる。



「――はじめまして。羽田はだ優萌穂ゆめほと言います! よろしくお願い致します」



 羽田はだ優萌穂ゆめほは、三年前に望が逮捕された場で倒れていた、執拗な家庭内暴力とネグレクトを受けていただ。現在は羽田家の養子ようしに移り変わり、苗字まで信太郎と同じだった。

 もちろん義理の母である望も、羽田はだのぞみに生まれ変わっている。



『――望、すげぇな……。ちゃんと、この娘を護ったんだから』



 口の悪さが多少目立つ、羽田家の両夫婦。二人の来店時を思い返せば、電球の買い違いでケンカしてしまうほど、まだまだ幼い大人に思える。が、養子とはいえ実の娘だと捉えたい優萌穂がいることで、笑顔に戻れる一つの家庭が成り立っていた。もはやどちらが親なのかわからないほどだが。



『――てか、信太郎も信太郎で、すげぇよなぁ~。望と優萌穂ちゃんだけじゃなくて、裏で児島こじま秀英しゅうえいの面倒も見てんだから……』



 これは以前懲役中に聞いた、信太郎の裏方業務である。


 信太郎の後輩である警察官――児島こじま秀英しゅうえいも三年前に逮捕され、今もなお、罪を償うため懲役期間を過ごしている。結果的に殺人罪となった罰はそれなりに大きく、もうしばらくの間は出所できない。

 その中で、秀英は服役中ながらも通信講座を受けている。内容は一風変わった心理学講座で、空いた時間を欠かさず勉学に励んでいるという。


 しかしその熱意も、心理学を薦めた信太郎のおかげに違いない。講座申込みから費用まで、秀英の代わりに支払い、出所後には大学院まで勉強しろ! とも告げたそうだ。

 犯罪者に成り果てた秀英を、信太郎は裏で懸命にサポートしているのだ。一人の先輩として、家族を失い復讐におぼれた後輩を、孤独から護るために。



『――っ! そういえば、あいつは今、どうしてるのかな……?』



 秀英を思い返していた岳斗は一人だけ退店し、広い空を見上げる。もうじき日没を迎える天は夜の青と陽のだいだいにじみ、一日の終わりを告げようとしている。三日月も見参し、遠い夜の先に目を凝らせば、小さくも輝く星たちが窺えるほどだ。

 すると瞳には、双子座の一部である二つの星――ポルックスとカストルがずいぶんと光っているように見えた。とても遠く離れているにも関わらず、ハキハキと存在を示すように。


『いや、大丈夫だろ!! だってあいつの世界には、俺の自慢の娘がいるんだから!』


 まだ夕陽を浴びれる橙の下で、遠方の蒼夜空に微笑んだ。



 *

 *

 *



 ここは、現実世界から大きく離れた、穏やかな世界。

 淡い虹色の空の下には緑の芝を土台に、色とりどりの花たちが個性を光らせるように咲き誇っている。健気けなげ紋白もんしろちょうまで数匹飛び踊り、人間界ではありえない平和な空気が拡がっていた。

 穏便たる天の世界で、もうじき小学六年生を迎える少女が一人、小さな池の前でしゃがみ込んでいた。紅色のスカートを折り畳み、いちごの飾りが着いたヘアゴムでツインテールを型どっている。

 赤いランドセルの肩ベルトを双方握り締めながら、少女はやたらと喜ばしげに中を覗いていた。その小池には、人間が人間として生きている現実世界の映像が流されているようで、自分の見たい相手を映し出してくれる。


 プライバシー完全無視した小池で、少女は微笑みを絶やさず見つめていた。三年前ようやく名をくれた名付け親と、目を合わせながら。



――小さな胸元に、園越そのごえ宙舞いぶと書かれた名札を着けながら。



「ニヒヒ~っ! アタシには全部丸聞こえだよ~ん!」


 無邪気な笑みと共に呟いた少女は、園越そのごえ宙舞いぶ。本日は天国小学校五年生の最終学期を終え、いつものように下校中の寄り道真っ最中だ。



――「おい! また道草か? ホントに飽きないやつだ……」



 ランドセルを乗せた背には、鋭い氷柱つららのように突き刺さる男声が当てられた。が、これもいつものくだりで慣れているため、声主に振り向いた宙舞は笑顔で叫ぶ。



「――きよる~!! 待ってたよ~!」



 宙舞に寄っていく男性は、輿野夜こしのよきよるだ。真面目さを示す黒縁眼鏡からは、呆れた冷たい目が窺える。


「待ってたよじゃねぇよ……。いっつも心配かけやがって……」

「ねぇ聖聞いて聞いて! みんながね、ついに再会したんだよ~!!」

「まずはオレの話を聞け……」


 苛立ち気味の聖だが、嬉しさ募るばかりの宙舞はとどまらず、先ほど見ていた二十四班全員たちの、再会ドラマを語り始めた。

 興奮のあまり文脈はハチャメチャだったが、物わかりに優れた聖には何とか伝わったようだ。


「そっか……。みんな、ハッピーエンドって訳だな」


 寡黙ながらも聖は小さく微笑み、小池から見える現実世界へ声を漏らしていた。無論、天からの声など現世に届く訳がないが、水面に反射された笑顔は確かに二つとも顕在である。


「何だかんだで、聖も見にきたんでしょ?」

「ちげぇよ……さ、宙舞。もう帰るぞ?」


「えぇ~え! まだみんなのこと見てたいのに~!」

「だからって、を待たせるな……」


 ため息を吐いた聖が立ち上がると、歩んできた道のりに顔を向けていた。

 ジャンピング起立した宙舞も、聖と同じ焦点に目を揃える。すると少し離れた場所には、計八人の老若男女が、温かく見守りながら立ち待っている姿が映る。


「あれま~……。みんな来てたんだ~」

「ったく、もうじき最高学年だっつうのに……しっかりしろよ」


 いつも寄り道する宙舞は毎日のように、聖と八人の老若男女を待たせている。独り身の自分の生活を受け入れてもらい、まるで親のように面倒見てくれる彼らだが、さすがに全員が来ていたことには驚いた。残念ながらも、帰宅しようと歩み出す。


「なぁ、宙舞……」


 しかし、背後の聖から囁きが聞こえ、宙舞は立ち止まって返事する。


「どうしたの聖? ……もしかして~! ついにアタシにホレちまったかぁ~? キャアァァ~!! ついに聖もロリコンになったぞ~!! ウケる~!!」


「ツインテールひきちぎるぞ!! じゃなくて! ……はぁ~……」


 ウンザリと肩を落とした聖が大きなため息を吐いたが、宙舞と同時に歩き始めると想いを明かす。


「宙舞が児島家を説得してくれたおかげで、オレは天国に来れた。母さんと父さんにも再会できた。だから、ありがとな」


 八人の老若男女――輿野夜家の父母と、無差別に命を奪った児島家の六人に目を向けながら、聖はそう告げたが。


「違うよ、聖。聖が天国に来れたのは、聖が最後に言った言葉のおかげだよ?」

「オレの、言葉……?」

「うむ!」


 確かに六人もの命を奪った聖は、当初の予定では地獄逝きが確定的だった。しかし被害者である児島家の賛成も得て、こうして宙舞と同じ天国で暮らせている。

 ただ、宙舞が児島家を説得した訳ではない。むしろこの奇跡は、聖自身の力で起こしたものである。

 その理由は、聖が現世で放った一言が、亡くなった児島家から憎しみを晴らしたからだと、宙舞は知っている。



「――児島秀英を嫌いにならないでくれ……。あの一言があったから、聖は許してもらえたんだよ?」



「――っ! ……」

「ニヒヒ~!! あ、そうだ忘れてた!!」

「お、おい宙舞!!」


 聖に怒鳴られてしまった宙舞は逆走し、再び小池の前に立ち尽くす。


「すぅ~……オ゛オォォ~~~~イ!!」


 小池から見える世界へ、轟かんばかりの音を挙げる。なぜなら、生きている大切な皆に言い忘れていたことがあったからだ。




「望~~!!」


 結婚し、“チョ~フツーの家庭”に近づいた、母なる望へ。




「留文~~!!」


 人間としても、トナカイとしても、孤独な世界が消えた留文へ。




「芽依~~!!」


 直接的ではないにしろ、恋人という目を得た芽依へ。




 そして、



「パパアァァ~~~~!!」



 実の父親である岳斗へ。




「――アタシたち~!! ハ~ッピ~エ~ンドだよォォ~~~~!!」



 *

 *

 *



『――聖も、宙舞も、これからもずっと、幸せにな』



 岳斗は逞しげに笑みを浮かべながら、仲間たちに挨拶を交わしてから乗車する。


『俺たち大人はいつまでも、ガキのままでいてはいけない。だって大人には、先に生きた者としての責任があるから。少年の心を持つのと、ガキのままでいることは、似て非なるものなんだ』


 温めてもらったとん汁を丸飲みする勢いで掻き込み、エンジンを鳴らしてライトを点灯させる。


『ただそう考えると、確かに大人っていう立場はたいへんだと思う。親にもなっちゃえば、より多忙になるし、自由な時間が減っていく一方だ……』


 一度バックをして方向を整え、いざ発進しようとしたが、ふと視線を感じたコンビニ入り口へ目を遣る。


『でも、それを俺たちの親はやってきたんだ。先祖代々、絶えず生まれてきた命のバトンは、成長した俺たちに回ってきたんだ』


 入り口付近では、本日再会できた仲間たち――流道留文と路端土芽依に羽田(沫天)望、親友である羽田信太郎に養子の羽田優萌穂、そしてまさかのトナカイ八頭まで手を振っていた。


『怖いとは思う。恋愛の始め方とか、将来の相手がホントにこの人でいいのかとか、スゴく悩むと思う……』


 無論、岳斗も嬉しさが込み上げ手を振り返し、窓を開けて、またね!! と叫んでから道路に出向く。まずは勤務場所へと発車する。


『そんなときは、ありのままの自分を見せればいい。否定されることもあるけど、そこで認めてくれた相手こそ、君にとって運命の人になるから。見栄を張らない方が、かえって自分のためだ』


 車を走らせてから間もなく職場にたどり着き、指定された駐車場に停車させ、事務所に戻る。誰もいない様子とこの時間帯からは、どうやら本日も一番乗りで退社のようだ。


『付き合って、結婚して、子どもが生まれて、そして世界に一つだけの家族ができる。赤子の産声うぶごえを聞いて父親になる瞬間といったら、想像を遥かに超えるほど嬉しいもんだよ。きっと母親になる瞬間も同じで、メチャクチャ痛いはずなのに笑えるんだ』


 社内時計を見ながら退社時間を記入し、制服のまま走って自家用軽自動車に乗り込み、間もなく発進する。いち早く家庭の暖かい団欒だんらんに浸りたいからだ。


『どの家族にも、愛が必ず宿っている。でも、時間が経つに連れて消えていく場合もある。残念だけど、それが現実……』


 大通りに出てからは順当に進み、ついに赤信号でじっとブレーキを踏みながら待っていた。


『だからこそ、愛すべき家族を護るっていくことは、スゴく価値がある実写ドラマなんじゃないかな? 簡単じゃないから。一朝一夕で成せるようなことじゃないんだから』


 信号が青に換わり、アクセルをゆっくり踏み込んでいく。もうじき大通りから小道へと変更するため、安全運転を心がけながら。


『そして親は、子どもに夢を与えなきゃいけない。正しい道を歩ませなきゃいけない。幸せな未来に案内しなければいけない』


 細い道に入ってから数十秒後、ついに自宅の黒い屋根が見えてきた。通り際に知り合いが窺えれば一礼して進むと、すぐに“園越家”と横文字で記された表札前までたどり着く。


『未来に進もうとする小さな勇者を、先に歩んだ大人たちが、導かなきゃいけないんだ。未来で輝けるために。夢を叶えられるように。親だけでなく、大人全てが……』


 車一台分と狭い駐車エリアだが、一発バックを見事に成功させ、レバーを上げてパーキング状態にする。


『だからこそ大人は、どんな職業柄であれ、賢者でなければいけない』


 エンジンを切ってシートベルトを解き、降車して施錠する。



『――罪を平気で犯すような、周囲に迷惑をかけるような、愚者ガキのままでいてはいけないんだ』



「父親の俺は、園越家のために……生きなきゃな」


 微笑んで立ち止まった瞳には、園越家の表札が映っていた。全て横文字連なった文字には、下から常海とこみ、その上が風真ふうまと、まず二人の名が刻まれている。

 だが、三人家庭であるはずの園越家の表札には、残り二人の名が記載されていた。それの内一人はもちろん岳斗本人の名だ。表札の一番上に描かれているが、残る一人の名は。



「――お前だって、園越家の一人なんだからな、宙舞いぶ



 常海も風真も認めてくれた、今は亡き存在で、恩人とも称するべき大切な愛娘まなむすめ――宙舞いぶの二文字が浮き彫りだった。


――ガチャ……。


 満を持して、岳斗は玄関を開けて家族の空間に飛び込む。


「おかえりなさい、あなた。お勤め御苦労様」


 まずは妻の園越そのごえ常海とこみの登場だ。エプロン姿で迎えた妻には、いつも笑顔で迎えてもらっている。普段は名前で呼んでくれるのだが、このときだけはどうしても“あなた”と言いたいらしい。


「あ、パパだぁ~! おかえり~!」


 次は息子の園越そのごえ風真ふうまだ。三年前の心臓移植手術は無事に成功し、現在は七歳にまで成長した。何不自由なく屋根の下で暮らせている。仕事が休みの日には、近所の公園に出向いてキャッチボールしているくらいで、近々にも地域野球少年団に入ることになった。


常海と風真がわざわざ玄関まで出迎えてくれたことには、心の奥底より感謝していた。こちらから二人にも気持ちを込めて返さねばと、そう思ったときだった。





――『おっかえり~!! パパァァ~!!』





「――っ! ……プッ、フハハハ!」


 思わず笑ってしまった。なぜなら幻聴が、聞こえてしまったのだから。いる訳がない娘の声が。

 やはり、妻と息子には不思議そうに見つめられてしまった。突然一人で笑い出したのだから、致し方ないだろう。

 それでも、夫はいつものように、毎日この言葉を告げて、笑顔で団欒だんらんに溶け込むのだ。




「――ただいま!! みんな!!」




 天にも届くように、大きな声で、ハキハキと。

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