第十三夜*イイモン見せてやんよ*

 笹浦市の住宅街。

 夜六時を迎えようとする頃、周囲の外灯が小さな住宅街を照らしていた。また、きれいに敷かれたアスファルト両方には、温和な灯りを放つ家々が立ち並び、外の冷えた空間をいろどっている。家族との団欒だんらんを楽しむ声も外に漏れ、無事に本日も終了を迎えられた平和な一時が流れていた。


 一部の背景に溶け込みながら、岳斗と望は一本の電柱裏で身を潜め、張り込みの如く覗き見体勢を整えていた。


「あの、望さん……」

「……」

「ねぇ聞いてる?」


「うるせぇよ、バレたらどうすんだよ?」

「いや、確かにバレたらマズイんだけどさ……」


 辺りには響かぬ程度で話し合う二人の全身は、トナカイ着ぐるみのままで、素顔だけをおおやけにした状態だ。しかも望の突発的な行動もあった今は、見知らぬ女子小学生の跡を追っている最中でもある。



『――これじゃあ正真正銘のロリコン変質者じゃねぇかよ……』



 成人の二人が、低学年とも観察される幼女を追っているのだ。片や実の父親でもあり、コンマ一秒でも早くこの状況から逃走したいばかりだった。イブがいないだけ、まだ良かったのかもしれないが。


 完全防寒の女子小学生を追ってからは、早くも一時間以上が経過している。やっと二階建ての自宅に着いたようで、改造済み自家用車の黒クラウンの横をそっと通り過ぎ、大きなランドセルと共に玄関へと向かっていた。


 家に灯りがついているため、どうやら両親は帰宅済みのようだ。しかし玄関扉目前で、女子小学生はランドセルの肩ベルトを握ったまま立ちすくみ、取っ手を無視したうつむきを続けていた。


「あの、どうしたんだろ?」

「……そうだよな。やっぱ、そうなるよな……」

「え……?」


 女子小学生が重そうな右手で玄関をそっと開けた後、望の瞳は未だに尖っていた。恐れた形相を型どっているが、いかに真剣な構えをしているかがわかる。


「……」

「なぁ望、何かわかるのか?」

「そっか、もう入るのか……」

「へ……?」


 すると女子小学生宅の二階一室が点灯され、薄カーテンが掛かったバルコニー付き大窓から、彼女のシルエットが目にも映る。ランドセルを下ろして分厚いジャンパーを脱ぐが、もはや覗き犯と化している現状が否めない。


「……」

「なぁ望ってばぁ? 何かわか……」

「……同じなんだよ、あの娘……。何から何まで、昔のウチと」

「はぁ? 望と同じ……?」


 幼女の二階部屋を見上げる望に言葉尻を被せられ、まばたきを繰り返した。


 なぜ、あの女子小学生と同じだと告げたのだろうか。同性である望だが、他に共通点が見出みいだせないのが本音だ。

 加えて、自身と酷似こくじしているという理由だけで、なぜ跡を追う行動にまで走ったのだろうか。反って不審者としてのリスクが高まって仕方ないというに。


「あんなオーバーな服装……。マスクも着けて、肌も一切出してないんだ……」

「そ、それは単純に、寒さ対策なんじゃ……?」


「確かにそれもあるよ。だって、こんな時間に帰るんだから……」

「じ、時間……」


 望の語り口調にも煽られ、岳斗は夜の周囲を見回し、とある時計台を視界に映す。夜七時をまたぐところで、冬の長夜は既に開始されている。


「まぁ、小学生にしては遅い時間だけど……」

「あぁ。遅い……遅すぎるよ」

「でも、だからって跡を着けるほどなの? 学校がめちゃくちゃ遠いことだってあるんじゃ……」


 着ぐるみでも防げない冷却風が襲い、走ってきた身体温度を奪っていく。白い蒸気を人一倍吐き出す岳斗が身震いを示すと、望の細眉が眉間に寄る。


「自分の足次第で、距離を増やすことだってできるんだよ……」


「は、はぁ……? な、なんでそんなことしなきゃ……」


 思わず首を傾げてしまう。わざわざ下校時間を長引かせる必要があるのだろうか。何においても近距離の方が、何にも代替できない時間を節約できるというのに。


「……」

「ねぇ望?」


「……ようは、帰りたくねぇんだよ……。あのも、昔のウチと同じで」

「帰りたく、ない?」


 正直、家庭といういこいの場を大切にしてきた岳斗には理解できなかった。


 もしや女子小学生には、誰もが迎える反抗期が訪れているのかと疑ってみたが、イブと同世代思わせる幼年齢を考えれば、まだまだ早すぎる時期だろう。


「……なんで、家に帰りたくないんだよ?」

「たぶん、岳斗にはわかんねぇだろうな。家族……いや、親に対する、この気持ち……」


 望は自身の胸にたなごころを添えて両目を閉じる。男には想像及ばない、複雑な乙女心を抑えている様子だが、やがて少しずつ開かれていくまぶたの内側は、灯りと温度が皆無な冬夜と類似していた。



「――そこには、勝てる訳ねぇ悪魔が飛び交ってるから……。誰だって、悪魔の居場所になんか、帰りたくねぇよ……」



 にとって親とは、悪魔と称される禍々まがまがしき存在だ。

 そう聞こえてならなかった岳斗は息を飲み、俯く望を凝視する。親不孝とも捉えかねない発言者の表情は何とも儚げで、口許と肩の揺れまで放たれていた。別の寒さが彼女を襲っているようだと窺える、そのときだった。


――キィ~ン……。


 乾いた金属音が耳に歩んできた。すぐに空気に溶けてしまうほど弱音だったが、再確認した二階窓からは、なぜか女子小学生のシルエットが消えていた。


「――ッ!! マズいッ……」

「の、望!?」


 するとハッと見開き顔を上げた望は突如、細脚をフル稼働させて長金髪を激しく揺らす。黒光りクラウンなど気にせず突き進み、忍び足も表現しないまま玄関前へ駆けていく。


「おい待てって!!  マジで捕まる気かよ!?」

「んなのどうだっていいよ!! あの娘が危ねぇんだから!!」


 望はついに玄関を開けて進入し、岳斗の視界から姿を消してしまう。再び起こった彼女の突発的な行動には、つい困惑眉を浮かべあぐねるが、チームの一人である望をほおっておくこと訳にはいかない。


『何やってんだよ!? こんなの、俺らにとって自殺行為じゃんかよ……』


 直ぐ様電柱裏から抜け出し、荒々しい白の吐息と共に進入を試みる。


 もちろん“おじゃまします”の一声も出さぬまま玄関に踏み入れると、まずはリビングへ伸びた廊下に、二階へ続く階段が視界に映り込む。また足元には高品質な茶色革靴や黒ブーツが乱雑し、恐らくこの家の両親の物だと推測できる。


 一方で高級品に埋もれるかのように一足、大人の手のひらサイズほどの質素な運動靴が顕在で、泥にも負けた地味な彩飾と損傷年季ねんきを浮かべていた。改めて観察するとかかと部分が平らに潰れており、女子小学生には相応しくないサイズに思える。


――「誰だテメェは!?」


「――っ! 望、まさか……」


 突如男性のず太い轟音に耳内を揺らされ、岳斗はおのずと階段に顔を向けた。不法進入とはいえ、きっと望が見つかってしまったに違いないと、何も考えぬまま土足で階段を駆けていく。


『望、どこだ? ……っ! あの部屋か』


 左右に拡がる二階の廊下を観察した岳斗に見えたのは、左奥の一室扉が、入り口を隠さんばかりに開かれた景色だった。きっと望は、あの部屋にいるに違いない。


 短距離だろうと再び疾走で向かった。すぐに入り口前にたどり着くことができたが、室内の異様な光景に脚がこおる。


「――っ! 何だよ、これ……」


 まず見えたのは、父親であろう男性の大きな背中だった。振り向かれてたと同時に、

「て、テメェもかゴルァア!!」

 と激しい怒号をぶつけられたが、なぜかその男の手に金属バットが握れていた。


 また室内奥の方では、膝を床に着けた望の太股が、女子小学生の枕を果たしており、スヤスヤと言うよりも、グッタリと眠りに就いていると表現した方が近い。


「おい! しっかりしろ!! おいッ!!」


 抱えたマスク幼女を揺さぶりながら、望の悲鳴が何度も鳴らされた。しかし瞳の開眼はいっこうに訪れず、無気力の状態が継続してしまう。

 まるで立場が逆転していた室内だと否めなかった。通常ならば襲ってきた犯罪者から護ってやるために、親が子を抱き包むところだというのに。


「どうして、望があの娘を……ッ!!」


 幼女の白マスクに違和感を覚えた岳斗は目を見開き、目の前の父親を通り越して、望たちへ駆け向かう。


「まさかこの娘……ッ!! やっぱり……」

「おい! 生きてるなら返事ぐらいしろ!! 頼むから起きてくれ!!」


 望の悲鳴が立て続けに繰り返される中、岳斗は眠れる幼女が着用する、紅一点を浮かべたマスクを顎下まで下げる。

 やはり、切れた口許からは赤い涙が流れ、そして殴られたような頬が痛々しく腫れていた。


「ウッ! ……マジかよ……」

「おい! おいってばァ!!」


 望の呼び掛けもむなしいまでに幼女には響かず、一方で母親と思われる姿が入り口に現れていた。金属バットを未だ握る父親から、

「通報しろッ!! 不法進入だ!!」

 と罵声の如く浴びせられたが、どこかだるそうにため息を着いて歩き去っていく。


『そっか……。そういう事、だったのか……』


 幼女を凝視しながら、岳斗の頭がいよいよ働き始める。


 疑問ばかりだった望の発言。

 女子小学生の不相応な特徴に仕草。

 バットで構えた父親と、緊急事態思わせない母親の存在。


 これら全ての点が同一直線上に交わるには、たった一つの事象しか考え浮かばなかった。できればそうであって欲しくないが固唾を飲み込み、望と女子小学生の姿を目に焼きつけながら悟る。



『――この娘は家庭内暴力……虐待ぎゃくたいを受けてたんだ……』



 決して眠っている訳でなく、父親によって気絶を強要され、まさに屋根下の悪魔に襲われていたのだ。帰宅したくないあまり、小さな運動靴の踵を磨り減らしてまで、下校時間をわざと延長させていた。


 だからこそ、幼女の父親と母親は、救急車よりも先にパトカーを呼ぼうとしているのだ。彼らにとって娘の気絶など問題に値せず、不法進入者逮捕の方が優先順位として格が上のようだ。


 ただでさえ赤の他人に娘を抱かれているというのに、救いの一歩も示さない。


 そして、だからこそ望は、非道生活を強いられた女子小学生を追跡してきたのだ。長すぎる下校時間に加え、分厚い格好や大きなマスクから不審点を見出だし、咄嗟とっさにも自殺行為等しい進入まで行った。たった一つの尊い命を助けるために。



「クッ……なんで、こんな酷いことを……」


 拳を固めた岳斗は、家庭を大切に思う父親としての一人言を漏らし、踵を返して幼女の父親を厳しく睨む。バットがいかつい肩へと乗せられ威嚇いかくを真に受けてしまうが、瞳の盛る炎は反って増していく。


「なんでだよ? ……アンタはあの娘の、実の父親じゃねぇのかよ!?」

「んだゴルァア!? やんのかテメェ!?」

「子の命を護るのが父親だっつってんだよ!!」


 信じたくなかった。目の前で敵意剥き出しの男性に、自分と同じ父親の肩書きがあることを。父親ならば、たとえ世間体を滅ぼしてでも、息子娘の命を引き伸ばすことだと思っている。


――ウ゛ウゥゥゥゥン……。


 ふと外から赤い点滅と共に、パトカーのサイレンが室内へ舞い込んできた。が、今の岳斗には聴く余裕もなく、父親の姿をした悪魔に立ち向かい続ける。


「なんで、こんなことできんだよ!? 下手したら死んじまうじゃねぇか!!」

「フッ! 親の言う事もろくに聞けねぇガキには、愛のむちが必要だろうが!」

「愛が無いから鞭を何度も振れてるんだろ!! 人と動物をいっしょにするな!!」


 愛の鞭など、現代社会には存在しない。鞭とは、愛という電流にとって絶縁体物質だと、ようやく人間たちは気づいたのだから。


「へッ! だったら何だよ? 所詮、犯罪者のテメェなんかに、言われる筋合いねぇんだよ?」

「確かに俺は犯罪者だ……。でもそれ以前に、俺は父親であり人間だ! どう考えたって、アンタの考えは間違ってる!!」


 平行線を辿る、同じ父親の身分として生きる男たちの口論。ぶつかり反発し合うばかりで、交点など皆目見当たらない。固い拳を振動させた岳斗の強い睨み付けと、バットを構えた暴力父の上から目線な嘲笑ちょうしょうを覗けば容易にわかる。


――ダッダッダッダッ……。


 部屋外の廊下から、階段を急いで駆け上がる物音が響いてきた。複数人窺える重奏だが、やがて荒い足音と共に、青き警察官の姿が室内であらわになる。


「警察だァ!! 現行犯で逮捕、する……っ!」


 まずは岳斗より背が低い男性警察官が警察手帳を掲げ、その後に続いてもう一人、高身長な秀才的男性警官が出現した。が、戸惑う初声を鳴らして固まった警官と目が合った刹那、岳斗の瞳まで大きく見開いてしまう。


「し、信太郎……」

「岳斗……お前、また……」


 親友として、最も望まれない再会環境だった。瞳に映ってしまったのは、昔からの親友である信太郎だ。また背後に秀英が構えているが、サンタ教習所に連れていかれる前に追ってきた二人で、昨日の事のように顔を覚えている。


「……」

「……」

「おいゴルァア!! 突っ立ってねぇで、とっとと逮捕しろよ!!」


 親友同士の沈黙を無理矢理引き裂くように、虐待男の怒号が部屋中に蔓延する。しかし両者一切行動を起こさず、ただしかめる顔合わせを継続していた。


 言葉を完全に見失い、思考まで固まってしまった。警官の信太郎と秀英にも見つめられながら、小さな脳まで萎縮いしゅくする感覚に陥る。


 次第に諦めの気持ちが増していき、岳斗の拳は少しずつ開かれていく。こんな再会、誰も望んではいない。ここで逮捕され、女子小学生も救えないまま、世間からすれば見事なまでのバッドエンドなのかとよぎった、そんなときだった。


「こちら望。芽依、留文、それからイブも……頼む」


「――っ! 望……」


 意識を取り戻したかのように背後を窺うと、望がトランシーバーを肩で支えながら、女子小学生の頭を床へそっと置いた。

 すると立ち上がって歩み出し、なぜか岳斗の手のひらにトランシーバーを授与する。渡された理由など理解ができなかったが、ふと合わされた健気な微笑みに目を奪われる。


「望……」

「あぁいうバカ親には、言葉で伝えようとしてもムダなんだよ。イブたちが迎えに来るまで、ここはウチに任せな……」


 時間稼ぎでもするつもりだろうか。親指を立ててみせた望は最後に岳斗の肩をポンと叩くと、警察官だけでなく虐待男の前へと立ち塞がる。


「なんだよ女? その面……やんのか?」


 体格差は歴然と離れ、明らかに華奢きゃしゃな望に勝てる見込みはない。が、揺れた金髪から彼女が吹き笑いをしていることがわかり、更に男へと詰め寄る。


「やらねぇよ。その代わりテメェに、イイモン見せてやんよ……」


『望、何を見せる……っ!』


 岳斗が驚くのも無理はなかった。望が突如、着ぐるみを脱ぎ始めていたからである。首後ろのチャックを下ろし、元々着ていたスカート型サンタ衣装が男性陣の前でおおやけになる。


 しかし、コスプレ衣装までどんどん脱ぎ捨て、今まで見せなかった肌の露出を強める。


『うそだ……。あれ、全部……』


 衝撃のあまり釘付けになって呼吸が止まる。なぜなら、下着のみになった望の全身に、数々の鈍色が刻まれていたからだ。


 最初は、刺青いれずみだと思ってしまった。赤青の配色で生まれた様々な紫が、あまりにも鮮明ながら背中全体に広がっていたのだから。

 しかし本当の正体は全く異なっていた。

 

 所々縦に切れた、カサブタができても取り除けない跡。

 クレーターのように広がる紫。

 黒子ほくろにしては大きすぎる黒点こくてんが数々刻まれており、背中のみに留まらず腕に脚へと、そして腹部にまで続いている。


 望の全身は、痛々しい傷で埋め尽くされていたのだ。


「やっぱそうか。初めて見たって顔だな、クソ親……」


 岳斗を始め、信太郎ら警察官の二人、虐待男までも驚きを示す中、望だけが笑いを放っていた。身体全身が未知なるウイルスに腐蝕ふしょくされているかのようで、誰もが声を鳴らせず氷付けになっている。


『そっか……やっとわかった。どうして望が、女子小学生の虐待に気づけたのか……。どうして、あの娘と同じだって言ったのか……。どうして……“沫天”の苗字を嫌うほど、家族を嫌悪してたのかが……』


 数え切れないほどの傷痕から、大量のメッセージを汲み取った。それは、誰もがわかるが願いたくない、残酷の最上級を経験した彼女の物語だった。



『――望も、虐待を受けてたんだ……。それも、あんな数を……』



「へっ! 良いこと教えてやんよ、クソ親。親から受けた体罰の傷はな、い゛っしょォォォォ経っても治んねぇ、見苦しいキズになるんだよ。それをテメェは今まで、あの娘にやってたんだぜ……?」


 全注目を集めてしまう、隠されてきたキズだらけの真実。未経験である多くの人には理解してもらえないかもしれない。しかし酷にも、それが沫天望自身が歩んできた、来訪者の血雨ではぐくんだ茨ばかりの人生だったのだ。

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