GiFT＊ガキのままの俺に届いた贈り物＊

一幕＊もろびとこぞりて＊

第一夜＊空き巣犯、一話でイキナリ捕まる＊

　十二月一日。

　クリスマスシーズンを迎えた日本列島の街並みは、様々な色を発するイルミネーションで、闇に包まれていた夜道をカラフルに照らしている。

　淡いクリスマス気分に浸る若いカップルは、互いの身を寄り添いながら歩む。

　今年はサンタさんから何を貰おうかと考える笑顔な少年少女たちは、両親の手を引っ張りオモチャを探すなど、冬の寒さを感じさせない暖かな光景が広がっていた。

　そしてこの町――茨城県笹浦市も同じだ。

　“We wish you a merry christmas”のオルゴールが周囲を包み込む中、駅周辺のほぼシャッター商店街を沿ったイルミネーションが代わりに活気づけているようで、季節限定の商品や割引セールを行っている。クリスマス当日に予約をする者もいれば、本日にでも購入して持ち帰りたいという者まで、早くも年末の買い物ラッシュさえ垣間見える。

　一年の中でも特に人々の笑顔が降り注ぐ、今宵（こよい）の途上市。しかし、光の彩（いろど）りなど届かぬ路地裏では、目が眩むほどの別世界が拡がっていたのだ。

――「待てェェーー岳斗（がくと）!!　止まれェェッ!!」

――「現在、園越（そのごえ）容疑者、笹浦市駅周辺を逃走中！　至急応援を求む！」

　狭く寂れた暗黒の路地裏で一人の容疑者が、身長差が開く二人の警察官に追われていた。轟かんばかりの大声が背を貫き心に突き刺さるが、辺りに散らばる空き缶を蹴って猛スピードを維持する。

「クッ……児島（こじま）挟み撃ちだ！　お前はあっちから回れ!!」

「はい、先輩!!」

　“羽田（はだ）信太郎（しんたろう）”の名札を左胸に付けた、短髪で背が低くガタイに富んだ先輩警察官が、“児島（こじま）秀英（しゅうえい）”の名札を掲げる、若々しく長身な爽やか後輩警察官に、路地裏の分かれ道に指を差しながら指示を送っていた。

　挟み撃ちをかけられてしまえば、いくら自慢の俊足（しゅんそく）でも捕まりかねないと、黒のダウンジャケット男の吐息が白さを増す。

「おい、岳斗!!　いい加減止まれよッ!!」

　何度も心に刺激をもたらす信太郎の罵声。すると直向（ひたむ）きにを駆けていく男性容疑者――園越（そのごえ）岳斗（がくと）は振り向き、余裕のない横顔を見せながら初声（しょせい）を鳴らす。

「いくら信太郎でも、ここで捕まっちゃ意味がねぇんだよ!!」

　体力にはまだまだ余裕あり気な岳斗だったが、それ以上にこの場をやり過ごすことへの焦燥が顔に浮かんでいた。どうにかしてこの狭い道から脱け出さなくてはいけない。

　周りの壁を観察しながら逃げていく岳斗は、周辺より低い壁に気づく。自分の身長よりは高いが、生まれもった足のバネを使えば行けそうだと、勢い保って壁上に手を掛ける。

「おい、岳斗!!　ま（●）た（●）逃げるのかよッ!?」

　壁をよじ登り背後を見下ろすと、信太郎とはまだ距離があることを確認し安堵（あんど）する。どうやら今回も逮捕から免（まぬが）れたと悟り、捨て台詞を置く。

「――だから言ってるだろ!!　こんなところで捕まる訳にはいかないんだって!!　俺には、一人の命が掛かってんだからッ!!｣

　次の瞬間壁の反対側へと身を落とし、信太郎の視界から完全に消えてしまう。いくら彼が警察官だと言えども、低身長が影響して登れないはずだ。

　息を殺しつつ、岳斗は壁に背を預けて呼吸と頭を整理する。

『――悪く思うなよ、信太郎。これも全ては、風真（ふうま）のためなんだ……』

　心で囁き、再び逃走に足をもたらそうとした、そのときだった。

「――なんでだよ岳斗!!　……なんでお前が、空き巣なんて……」

　壁を突き破るような友人の轟声に、荒れた息を飲まされた岳斗は気力を失ったかのように俯（うつむ）く。こうなる展開は犯罪に手を染めた時点でわかっていたが、改めて心が引き裂けそうに痛かった。覚悟という決心はできていたにも関わらず、どうやら内側までは浸透していなかったらしい。

――「先輩!!　あれ、容疑者は？」

　すると、先ほど信太郎と二手に別れた後輩警察官が合流したようだ。長身な彼ならこの壁を通過するかもしれないと、我と現実を取り戻して再出発を試みる。

「署に報告しろ……現在園越岳斗は、笹浦市駅前大通りを逃走中だ！　早くッ!!」

「わ、わかりましたッ!!」

　去り際にも信太郎の荒々しい大声のみが壁を通り抜け、真冬の発汗を掻き立てる。しかし、それでも成し遂げなければいけないことがあるのだと、強く噛み締めながら腕を振り駆けていった。

　＊＊＊

「ハァハァ……ここまで来れば大丈夫だろ……ハァ……」

　人通りを全く現さない、暗黒のビル狭間。そこに凭（もた）れ座った男こそ、空き巣常習犯――園越岳斗だ。冷えた孤独空間で白い吐息を溢し、星が見えない曇夜空を見上げる。

　今年で二十七歳を迎えることなったが、それは今日の空と似て晴々しいものではなかった。

　空き巣を繰り返してきたこの数ヶ月間は、奪った金品よりも失ってしまった貴重品の方が多かった気がしてならない。

　高校卒業後にはすぐに結婚し、流産の経験も乗り越えた結果、子どもを誕生させてくれた妻がいる。しかし、そんな愛人からは忌み嫌われてしまうのは言わずもがな、自身の親からすら一声もない独り身の人生が始まってしまった。

　その挙げ句、高校時代同じ硬式野球部に所属していた、現警察官の羽田信太郎には先ほどの如く追われる始末だ。

　罪を犯せば、己が苦い想いをする前に、周囲の真心を抉（えぐ）る。

　親戚も家族からも信頼を失い、独りの夜を度々迎えるようになった。なるつもりなど毛頭無かった犯罪者という肩書きを得て、現在における自身の悲哀的孤立感よりも、これまでに数多（あまた）の信頼を裏切ってしまった罪悪感だけが親友と化していた。

「今日も、寒いなぁ……」

　黒のダウンジャケットフードを握り、短髪に刈りあげられた頭を覆い隠す。こんな寒い夜は一家で鍋でも囲み、団欒（だんらん）という温度に浸りたい。が、園越家にはきっと上がらせてもらえないだろう。ただでさえ空き巣の常習犯となった己には、父親としての資格だって失効したに違いない。まるで家族そのものを断捨離（だんしゃり）の対象としてしまったかのように。

　しかし園越岳斗という男には、犯罪に身を投じない限り、一つの小さな命を救えない舞台が準備されていたのだ。

　雪が降り出しそうな冷徹の夜中、ふと胸ポケットから一枚の小写真を取り出す。画面にはこの場の闇を照らしてくれるかのような、眩（まばゆ）い笑顔の二人が写っていた。一人の男の子は幼稚園児の無邪気さを顕（あらわ）にした大きなピースサイン。もう一方の大人びた女性は、少年の背後から両肩に手を乗せ、煌々（こうこう）たる姿が目の当たりにできる。

　しかしそれは反って、岳斗の顔色を更に悲愴へ彩（いろど）らせ、独り言を冷えた空気を温める。

「ゴメンな……風真（ふうま）、それに常海（とこみ）も……」

　目を合わせる写真の相手は、同じ家族である妻子――園越（そのごえ）風真（ふうま）と園越（そのごえ）常海（とこみ）だ。今年の晴れた五月に撮ったこの写真には、カメラ役の岳斗だけ写っていないが、このときの嬉しさを込めたシャッターの瞬間をはっきりと覚えている。

　何故ならあの風真が、こんなにも元気に笑っているのだから。

　勤務していた会社から帰宅すれば息子から抱き着かれたり、休みの日には近所の公園でキャッチボールを楽しんだり、常海も含めた三人でファミレスに寄ったことも思い入れ深い。そんな記憶こそが、輝かしいまでの思い出だ。

『……それから夏が始まって、かぁ……。このときからだっけな、世界がおかしくなったのは……』

　自嘲気味に笑って写真から目を逸らし、再び闇に染まった分厚い雲を見上げる。体感気温としては雪が舞うはずだが、どうも雨が溢れ落ちそうな暗雲だとしか見えてならなかった。

　岳斗が空き巣を始めたのは、この写真を撮ってから数ヶ月後のことだ。六月に入ろうとしたときに突如、勤務先は倒産状態に迫られ強制退職――いわゆるリストラを受けてしまう。

　その後はハローワークを通して新たな職場を探したものの、手に職が就（つ）かない日々が訪れる。気がつけば空は次第に秋空へ移り変わり、岳斗だけが取り残されるように無職生活が継続してしまった。

　しかし秋口の頃、岳斗にも変化の風が舞い込む。が、それは園越家ごと大きく変貌させてしまう、恐ろしいまでのアクシデントだった。

　四歳の息子――風真の緊急入院。

　誕生当時から心臓が弱かった風真は九月中旬、幼稚園内で突然にも倒れてしまった。直ぐ様救急車に運ばれ一命は取り留めたものの、国立病院の医師から受けた診断内容には息を殺された。

　病名は、拘束型（こうそくがた）心筋症（しんきんしょう）。

　ポンプを役を担う心臓の筋肉が固まってしまい、心不全で亡くなるケースが多い死病である。日本では五十万人に一人の確率で発症し、小さな子の場合では長くても二年以内に寿命が途切れてしまう可能性が高い。国も認める難病の一種である。

　風真が死には至らずに済んだが、現在も病院のベッドで生活を強いられている。意識すらままならない状態さえ訪れ、岳斗の心は仕事探しどころではなくなっていた。

　大切な息子の命を救いたい。

　風真の病をすぐに治療したいのは親としてもちろん嘆願した。が、医師からは心臓移植が必須だと、アメリカへの渡航（とこう）を勧められた。

　わかりやすく且つ簡単に告げられてしまった園越家だったが、手術費は疎（おろ）か、渡航費や入院費を全て足せば、最低でも一億円近くの大金を求められてしまうのが現実だ。一般家庭が支払える優遇さなど、皆目見当たらない。

　リストラされた父親は言うまでもなく無収入。

　妻の常海はパートとして働くようにはなったが、時給制の低収入だって高が知れている。

　いつ尽きるかわからない、風真の尊い鼓動。もしかしたら一年も持たないかもしれない。

　悪化すれば今月中、下手したら明日にも息を引き取ることだって否（いな）めない。

　“以内”という言葉の残酷さが改めて実感できる。

　もはや手段を選んでいる時間はなかった。命を救える金さえ手に入れば、どんなことだってやってみせる。

　度重なる苦悩に追いやられた岳斗がそう思った矢先に始めたこと――それが空き巣だった。決して住宅知識に富んでいる訳ではないが、硬式野球部経験した運動能力に自信がある分、侵入など簡単にこなせる気がしたからである。

　実際に豪邸の家を始め、普通の民家すらも試み、奪った金品を質屋で現金に換えてきた。警察や家族に発覚された後は、銀行に振り込んでしまえば取り上げられてしまうのがオチだと予想できたため、自分しか知らない林奥の地中や、自身の財布の中身に保管しながら繰り返した。

　空き巣生活を始めて早二ヶ月。集めた額（がく）は既に九千万近くに昇り、目標の一億まであと一歩と迫っている。これも大切な息子の輝ける未来のためだと自分に言い聞かせ、一度深呼吸をして立ち上がる。

「もう少しだからな、風真、常海……」

　問い掛けた画面の二人に白い息と共に小さな独り言を漏らし、岳斗は胸ポケットに写真を仕舞い、再び対象家屋を捜索しよう決意したときだった。

――「そのグォ～え～グァ～くと～……」

　名前を呼ばれた岳斗は身を凍らせ、さっきまで人一人いなかった奥の行き止りを覗く。一体どこからどうやって現れたのだろうか。

　焦燥で凝らした瞳に映ったのは、黒のスーツとサングラスを身につけフサフサな茶髪を目立たせる、強面（こわもて）FBI捜査官を漂わせる男だ。もしや警察関係の人間だとすれば、至極（しごく）まずい状況である。

「なぁ？　オメェ、園越岳斗だよなぁ？　そうだろぉ？」

「んだ、だったら何だよ!?」

　脅しの重低音を鳴らした厳（いか）つい男からは、恐ろしいまでの邪悪なオーラが放たれていた。

　ただ、ひたすら空き巣のみを繰り返した自分にFBIを遣（つか）うのはやりすぎではないか。加えてなぜあの巨漢は名前を、しかも日本語でペラペラと述べているのだろうかと、徐々に恐怖と疑問の思いが芽生え始めるが。

――シャリン……。

　突如鳴り響いた鈴音で、岳斗は我に返ったように落ち着く。君臨する大男をよく見てみると、太い首には金色の鈴が着けらている。それも神秘的なガラス性の光品だ。

『え……？　変質者……？』

　反って奇怪に感じ、不審者を疑う細目を向けた。鈴を着けたFBIなんて聞いたこともない。もしやクリスマス期間限定に訪れる、異色の米式コスプレイヤーなのだろうか。

「……あの、どちら様ですか？　俺、コスプレとか興味無いんですけど……」

「ヘへっ！　やっぱ、オメェが園越岳斗だな？　やっと見つけたぜぇ」

「――っ！　な、何するつもりだよ!?」

　悪魔の微笑みが歩き出したことで、岳斗の正面が反れる。

「オメェを捕獲しに来たんだよ。さぁ来てもらうぜ」

「――ッ!!　誰が捕まるかよッ!!　ふざけんな!!」

　捕獲ということはつまり逮捕だ。やはり警察関係者だったのかと、瞬時に背を向け逃走しようとするが。

「って、ウォッ!!　なんで!?」

　狭間の入口には既に男が立ち塞がり、驚愕（きょうがく）のあまり腰を抜かしてしまう。瞬間移動という非現実的な出来事が、更なる恐怖を煽（あお）っていた。

｢ヘへっ！　これだから人間はチョロい｣

｢はぁ？　お前何言ってんだよ!?｣

　尻と手のひらで後退（あとずさ）りをするが、ただの悪足掻（わるあが）きに過ぎない。

　ついにはグラサン男が目前まで来てしまい、太い片手で胸ぐらを掴まれ、岳斗の全身が軽々と浮いてしまう。

「は、放せ！　放せよ!!」

「まぁそう慌てんなってぇ。ワリィようにはしねぇからよ～」

「俺は捕まる訳にはいかねぇんだよッ!!　いいから早く放せ!!」

「へっ。俺様らのボスの命令は、絶対だからなぁ。そういう訳にもいかねぇんだよ」

　全身をばたつかせて何とか脱出しようともがくが、余裕な笑みの強靭（きょうじん）な片腕はびくともしない。もうダメなのかと、代わりに絶体絶命の窮地に立たされた。

『こんなところで終わりかよ!?　今までの苦労は何だったんだよ……？』

　諦めの言葉すら思い浮かびながらも、必死に暴れる。しかし、厳つい男は動じず効果皆無のまま。

「へっ。聞いてたけど、生きのいいアンちゃんだなぁ～。反って助かるぜぇ」

　男の空いていた片手がスーツの胸ポケットに入り、白いハンカチと共に再浮上。

「オメェなら、少し気絶してもらっても大丈夫そうだな」

｢は、ハァ!?　ふざけんな!!｣

　驚き叫んだのも束の間、男からはすぐにハンカチで口と鼻に被せられてしまう。

「ファファヘッ!!　ファファヘッファラー……ファファ……へ……」

　抵抗するも一寸先は闇な岳斗の気が、否応（いやおう）なく遠退（とおの）き始める。睡眠薬でも混入されたかのように、抗（あらが）う神経にも麻痺が縛り、ついに視界が朧気（おぼろけ）に変化していく。

　こんな終焉など、全く望んでいない。今日までの胸苦しい生活を続けた努力の結晶が、たった一人の変質者によって霙（みぞれ）にされてしまう。

――何よりも、大切な息子の命が……。

「フウ、ファ……」

　ついに目を閉じて沈黙し、前方に倒れるようにして男に担がられる。

「……さてと。んじゃあボスのところに、来てもらうぜぇ。オメェには、やってもらわなきゃいけねぇ仕事があっからなぁ」

　男の言い聞かせる発言は、気絶してしまった岳斗にはもちろん届くことなく、闇より黒い異質な空間へ消えていった。