GiFT＊ガキのままの俺に届いた贈り物＊

第二夜＊容疑者なのに聖職者＊

　それはそれは愉快気で、小さな町に溶け込む幸せな家族だった。

「パパー!!　いっくよ～ッ!!」

「さぁこい風真!!」

　自宅近くの公園に訪れた家族三人――父親の園越岳斗に、四歳と幼い少年の園越風真、そして母親の園越常海らが、穏便な秋陽を浴びていた。

　常海がベンチから静かに見守る中、岳斗は風真とそれぞれグローブをはめてキャッチボールをしているところだ。幼稚園に入園したばかりの息子にはまだ身に合わない大きなグローブだが、小さな右肩を回して軟式野球ボールを放つ。

「エイッ!!」

「オォ!!　風真ナイスボールだァ!!」

　ストレートは球種通り真っ直ぐ突き進み、キャッチャーとしてしゃがみ構えていたの岳斗のグローブを鳴らした。高校時代に硬式野球部の投手を経験しているせいか、息子の素晴らしいボールには思わず胸まで高鳴る。

「風真、将来プロ野球選手になれるかもな！」

｢ホントに!?　やったぁー!!　ねぇママ見てた!?　パパがぼくのこと、プロやきゅーセンスあるってー!!」

「見てたわよ！　風真スゴいね～!!　ちなみに選手ね」

「エヘヘ～！」

　長い黒髪を揺らす常海から拍手と笑顔が向けられ、ピースサインで返した風真の無邪気な微笑みが増していく。

「パパ～!!　もういっきゅーいくよ～!!」

「よしっ！　じゃあさっきと同じ所だ！」

　山なりのボールを投げて優しく返すと再びストライクゾーンに構え、目の前の光景に頬を緩ます。

『やっぱ幸せだよ、家族といっしょにいるのは……』

　この一時はいつまでも忘れない、素敵な思い出になるだろう。世界中探し回っても見つからない宝石の如く輝き、何にも換えられないこの時間こそ悠久（ゆうきゅう）に続けば良い。

「俺、幸せだったなぁ……」

「あれ？　パパ、どうしたのー!?」

　風真に首を傾げさせた岳斗は突如、グローブを下げてキャッチングの放棄を示す。

「ねぇパパ～？」

「ゴメンな、風真……」

　継続を叫んで求める少年が瞳に鮮明ながら映るが、ついにはグローブまで外して目を逸らしてしまう。

　その温度無き行動も、岳斗にはある確信があったからだ。自分の視界範囲で妻の常海が笑い、息子の風真が元気に外で遊んでいることなど……。

『――だってこれ、夢だもんな……』

　なぜならこの時季には、風真は倒れて入院しているのだから。

　妻の常海を傍に置いて、患者ベッド上で寝た切りの生活を強いられているはずなのだから。

　三人が陽の下で笑う幸せな時間は、もう二度と目の前には拡がらないのだ。

　酷く刺々しい現実を嫌でも受け入れた岳斗は立ち竦み、夢の中でさえ瞳を閉じてシャットアウトを迎えた。

　＊＊＊

「……ん、んん」

　柔らかな白いベッドの上で目を覚ました岳斗は、横になったまま目を擦って眠気を追い出す。このように安らかな眠りを過ごしたのは、空き巣を始める以前の自宅生活以来だろう。

「……てか、ここ、どこ？」

　上体をゆっくり起こして周囲を観察すると、電球一つだけ灯るが薄暗く、コンクリートと一枚扉で閉ざされた狭い空間だった。

――「おっ！　目覚めたみてぇだなぁ」

　聞き覚えのある声に視線を移すと、コンクリートの壁にもたれ立った、黒スーツの鈴付きグラサン男が映る。

「アンタ……ここは……？」

　もう一度辺りを見回したが改めて、今自分がどういった状況なのかを思い出すことができた。

　十二月一日の夜。親友であり警察官の羽田信太郎から逃げ切ったが、後にこの奇怪な男に気絶させられてしまったのだ。

　もちろんそれ以降の記憶は残っていなかったが、どうやらここに連れてこられたようだ。

「安心しろ。牢屋（ろうや）みてぇなとこだが、オメェはサツに捕まった訳じゃねぇ」

「……いや、こんな怪しいとこで安心できる訳……って、ハァ!?　何これ!?」

　突然ベッドで立ち上がった岳斗の唸（うな）り声が、灰色のコンクリートに反響して色づかせる。全身の服装がいつの間にか、モフモフと温かな素材の赤衣服に換わっていたからだ。元より纏っていた黒メインのジャケットやズボンの姿など、どこにも見当たらなかった。

「お～。何だかんだよく似合ってんじゃねぇか～」

「キモ……いやいや、そういうことじゃないでしょ!!　俺の着てた服は!?　てか何で換わってんの!?」

　すると厳（いか）ついスーツ男は得意気にニヤリと笑い出し、大きな胸板を張りながら親指を立ててみせる。

「この俺様、ブリッツェンが、着替えさせてやったんだよ。だからありがたく思えよ、園越岳斗！」

「……いやちょっと待てよ……ということはさ……」

　窓一つ見つからない無風の空間で、身の毛も弥立つ寒さに襲われた。固唾を飲み込んだ岳斗は手足から服内まで覗き見ていると、茶髪巨漢――ブリッツェンが思い出したように続ける。

「それにオメェ、空き巣ばっかやってたから風呂入ってなかっただろ？　汗臭かったから、全身も洗ってやったからな」

「ですよねぇ!?　やっぱそういうことだよねぇ～!?」

　思わず詰め寄って困惑の眉を垂らし、ブリッツェンの幅広い両肩を握りながら悟った。このグラサン男は、他者を平気で裸体にした変質者であると。

「怪しいとは思ってたけど、何勝手に晒（さら）してくれてんだよ!?」

「別に構わねぇだろうが～。所詮去勢された雄なんだからよ～」

「誰がニューハーフじゃ!?　そもそも性別じゃなくてプライバシーの問題だっつうの!!　オマエ訴えるぞ!?　セクハラで訴えるぞ!!」

「セクハラ？　……ほぉ～。天下分け目ってか？」

｢……はぁ？｣

｢バ～カ、それは関ヶ原だろって突っ込めよ。んなことも知らねぇで人間やってんのかよ？｣

｢……いやいや何勝手に試してんだよ!?　いつから俺が突っ込み役になったんだよ!?　まぁ関ヶ原なんて忘れてたけどさ！　つーか俺が言ったのはセクハラ！　セクシャルハラスメント！｣

　結局ブリッツェンからは眉間の皺を明確に放たれ、意味を理解できていない様子が伝わった。

「とりあえず、まずは落ち着けってぇ。オメェにやってもらう仕事があんだからよ～」

「マジでここで何やらせんだよ!?　お笑いでもやれって!?　コンビ組んでM1優勝目指そうとか言い始めんのか!?」

「ほぉ～。天下分け目ってか？」

｢だから関ヶ原じゃねぇっつーの!!　つーか二回目!!｣

｢へへ！　上出来だ！｣

｢だから試すな!!｣

　これはとんでもない場所に招かれてしまったようだ。人目も世間からも隔離されたような空間に加え、話も意味不明な変質者が目前に。

　一刻も早く脱出しなくてはと、岳斗は瞬時に離れ、出口と思われる一枚扉を抉（こ）じ開けようと手を伸ばす。

――ガチャッ……。

「は？　……ッ!!　もう一人……」

　しかし扉は自動ドアの如く開き、息を飲ませ怖じ気させる。外から開けられた扉元に、ブリッツェンとよく似た格好のFBI風の強面（こわもて）男が待ち構えていたからだ。黒のサングラスは顕在で、背丈は一致し髪型はスキンヘッド。逃亡する望みを断ち切らんばかりの見た目と雰囲気に襲われた。

「アンタは……？」

「……」

「あ、あの～……」

「……」

「え～……」

｢……｣

　男の喉はびくともせず、最後にはそっぽを向かれてしまう。緊張しているためかわからないが、どうして彼が姿を現したのか理解不能で仕方ない。いつしか震えも止（や）んで疑念に完全移行し、持ち合わせていた恐怖などバカらしくなっていた。

「おっ！　ドンダーじゃねぇかぁ！　どうしたんだよ？」

「ど、ドンダー……？」

「あぁ。オレの相棒だ。ちっと人見知りなんだけど、なぁドンダー！」

｢……｣

　背後から放ったブリッツェンによると、どうやら突如出現した寡黙男の名はドンダーと呼べるらしい。やはり日本人ではないようだが、さらに奇怪人が増えたことにため息が落ちる。

「召集……もうすぐ、始まる……」

「おぉ了解了解！　もうそんな時間だったんだなぁ。さて、オメェも外に出ろ岳斗」

｢ちょ、ちょっと！｣

　低い初音だったドンダーの片言をきっかけに、ブリッツェンに煽られながら赤身を運ぶ。この変質者たちの思惑や素性が全くわからないだけに、悪寒ばかり訪れる。

　先に出た二人のFBI擬（もど）きの大きな背が壁となり、岳斗には外の様子が退出するまで窺（うかが）えなかった。が、改めて身を投じると、そこは容疑者の目すら疑わせる光景が拡がっていたのだ。

「――っ！　な、なんだよ、ここ……広過ぎる」

個室とは比べ物にならないほど巨大な空間が包み、また天井が暗くて見えないほど高く、まるで野球ドームのような広場だった。

　しかし、最も驚愕したのは、また別物の存在だった。

――同じく紅の衣装を纏った、数えきれないほど人間が彷徨（うろつ）く姿まで点々と彩っていたのだ。

　男女問わず観察でき、ざっと見ただけでも数百人を思わせる頭数だ。寒さのあまり両手に白の吐息を吹きかける儚げな女性に、つり上がった瞳で待たされ苛立ち気味な男性と、誰も会話を交えない絶対零度空間だった。

『――な、なんで……この人たちも、俺みたいに拐（さら）わされた身なのか……？』

「調度いいや～。もうそろそろボスのお出ましだから、そんときに内容聞いてくれよ。それとこれ、ほいよ」

｢な、何だよこれ？　袋？｣

｢バ～カ、帽子だよ。恥ずかしがらねぇで必ず被れよ｣

　先端に白玉が着いた赤の三角帽を渡されると、ブリッツェンがドンダーと共に距離を取っていく。

「あ、おい！　どこ行くんだよ!?」

「ボスが御呼びなんだって、さっきドンダーも言ってただろ？　まぁボスもオレらも、この季節は大忙しなんだからなぁ～。また会えたら会おうぜ、ア～バヨ～」

「おいってば!!　……あー行っちった……」

　帽子を握りながら一人立ち竦む姿に移ろい、これから何を知らされるのか検討が着かなかった。仕事をやってもらうと告げられたが、果たしてどんな業務を任されるのだろうか。責めてのもの、法に触れない範囲でお願いしたい。

『マジでこの先どうなるっつぅんだよ……？』

　気づけばブリッツェンたちの広い後ろ姿も闇に溶け、いよいよ本格的な孤独の時間が流れ始める。空き巣で生きてきたことで独りは慣れたつもりだったが、誘拐された今回ばかりはどうも落ち着かず、辺りをキョロキョロと旋回してしまう。

　同色衣装を纏った――女性はスカートに白タイツ――出会ったこともない赤の他人たちに、広々と薄暗く師走（しわす）の寒さが漂う空間。

　どこを見ても不安が募るばかりで、白のため息を吐き出しながら赤帽子を被ったときだった。

――パシャッ……パシャパシャパシャ！

　突発的な連続音が響いたところで、岳斗の遥か頭上に存在する数多（あまた）の蛍光灯が輝き出す。LEDほどの真っ白さは感じられないが、窓もない暗い空間を照らすには十分な光量だ。

――「は～い!! 　注（ちゅう）モ～ク!!」

　今度は遠い前方の方から放たれた、図太い男の轟音が周囲へ谺（こだま）する。

　思わず声主の方角へ顔を上げて覗くと、ずいぶん離れた高台の上には、黒のサングラス兼スーツ姿の男女――計八人が立ち並んだ景色が目に入る。凹凸な身長差も窺えるが、その内二人はセクハラ犯のブリッツェンと人見知り犯のドンダーだ。こうして眺めると実（まこと）しやかなボディーガードマンにしか映らない。

　多くの真紅者らも顔向けする中、ブリッツェンが列から一方前に出て、大きく息を吸い込んで太い胴体を膨張させる。

「これより～!!　ボスからの説明が入る～!!　しっかり聞かねぇヤツは通報すっぞ～ゴルァア!!」

　脅し掛ける以外何物でもない、強制的な参加要請だった。ヤクザの開会宣言にしか聞こえず、事実罪人である岳斗ですら呆れて猫背になる。

『まぁ、ボスって呼ばれてるヤツも気になるし……。もしかしたら、ここを脱出するヒントもあるかもだしな……一応聞いとこ』

　まだ警察に捕まっていないのならば、一刻も早くこの場を脱け出さなくては。風真の手術費用のため、一分一秒も無駄にしてはいられない。

　またボスとは一体どんな人間なのだろうかと見ていると、スーツ姿の八人らが左右に別れ、四対四の向かい合わせた体勢に動き間を開ける。

　そこにひっそりと出現したのは、岳斗と同じ衣装を装備し着席した、長い白髪白髭を伸ばす一人の老人だった。

『ん……？　あの人……エッ!!　うそ、もしかして……』

　老人の姿を見た刹那、現在着こなしている衣装の正体が何となく脳裏に浮かぶ。毛布のようなフカフカの手触りに、赤をメインとしながらも、注視すれば袖口が真っ白な雪色。

『――え!?　じ、じゃあボスって!!』

「皆の者……よくぞ集まってくれたのぉ？」

　嫌な真たる未来を気づいてしまった一方で、皺の数だけ嗄（しわが）れた老人の弱声が鼓膜を揺らした。今にも倒れてしまうのではないかと案じさせる儚き姿だが、白く伸び降ろした眉を上げ、ついに白髭に包まれた老いの口から真実が公（おおやけ）にされる。

「――ワシはこの通り、サンタクロースじゃ。今年のクリスマスは御主らに、プレゼント配りを頼み申し上げるぅ」

　これはこれは、とんでもない場所へ招かれてしまった。わかっていたつもりだが、今更ながら気づいてしまった。よくよく考えて観察すれば、衣装はクリスマスに相応しいサンタクロース衣装だとわかる。しかし、それすら今気づいた岳斗は一番の驚愕で声も鳴らせず、自身の胸中で思わず叫ぼうとした、そのときだった。

――「容疑者の岳斗には、サンタやってもらうからね!!」

「は……？」

　ふと背後で鳴らされ振り向くと、小学生低学年ほどの無邪気さを秘めた少女が、スカート型のサンタ衣装で仁王立ちしていた。

　疑問だらけな景色が心身全てを覆い包む。しかし、今一番叫びたかった想いを、今度はしっかりと喉まで持っていく。

「――サンタクロースに、この俺がなる!?」

　不審者のブリッツェンとドンダー、道理の効かない申し出をしたサンタクロース、そして目の前に突如現れた幼女サンタを目の当たりにした空き巣常習犯。目覚めてから唯一わかっていることは、今拡がる世界は確かに現実だということだけだった。