第二十夜*小写真付きペンダント*

 午前五時前を指す頃。

 冬夜で真っ暗とはいえ、早番労働のために走る車の台数が増え、国道上をまぶしいライトで照らしている。歩道には厚着を完全武装した社会人、中には離れた学校へ通ようと駅へ歩む学生もちらほらと。始発電車も間もなく送られる、いよいよ世間に早朝が訪れ始めていた。


 だがその一方で、岳斗とイブ、そして聖の三人のみになった二十四班の雰囲気は、未だに陽の光など射し込んでいなかった。



『――輿野夜が、殺人犯だったなんて……』



 聖の指示通り、残りのプレゼント配りを続けている現在、再開から十件目を終え、一人訪問先から夜道に出たところだ。少年少女たちのあどけない寝顔を見ながらプレゼントを添えてきたが、連続強盗殺人犯の顔の方が脳裏を汚染し、表情がいつまでも曇りがちだった。


『どうにかして、輿野夜の元から離れたい、けど……』


 胸中で何度も嘆願したが、実現不透明な現実に俯いてしまう。

 一方のイブはというと、聖のそばにたずさわり待っているらしいが、それも殺人犯ならではの人質ひとじち作戦の巻き添えをくらっているからであろう。


『イブにだっていつ手が加わるか、わからない……。あんな幼いなのに……それに、風真や常海だって……』


 岳斗が聖の指示に背けば、まずはイブ、そして妻子の常海と風真まで襲われる危険性が否めない。自分の命が助かっても犠牲が発生してしまう未来など、大人として、男として、父親業をになう者として、微塵みじんも望めない世界である。


『やっぱり、最後まで静かに従うしかないか……』


 息の荒れ模様が一切観察されなくなった。決して緩慢かんまんに行っている訳でない。常時背後に銃口を向けられた錯覚が恐怖を生み、自己意識を強く縛る緊張が走るばかりだった。聖の元から離れたい気持ちなど有り余る程だが、イブを始め園越家の二人を守るためにも、刃向かってはいけない。


 次なる届け先へプレゼントを持ち運ぼうと、白袋がある待ち合わせ場所へ戻っていく。すると次第に、停車した婦人用自転車にまたがる聖と、荷台で立ったイブの姿が闇夜から窺えてくる。次なる指示をと駆け急ごうとしたが、何やら小さき物を見つめ合う二人の横姿に、思わず首を傾げる。


『聖の、ペンダント……?』


 首もとから吊るされた、聖の手のひら余る小さなペンダントだった。イブも寄り添う背後から覗いていることで、二人の焦点が一致していることがわかる。殺人犯の表情は言うまでもなく絶対零度が宿されているが、両手を肩に預けたイブの優しい微笑みが顕在だった。


「これ聖なの!? 雰囲気が今と全然違うね!」

「うるせぇ……」


「んで、こっちはお母さんでしょ? ハハッ! 聖と目元がそっくり!」

「……」


 遠くで確認している岳斗には、二人が見つめるペンダントには、恐らく聖とその母親の小写真が埋め込まれていると予想できる。しかし距離を詰めるとすぐに気づかれ、ペンダントがサンタ衣装に戻される。


「遅い……もう少し早く終わらせろ……」

「岳斗おつかれさま!」

「お、おぅ……」


 聖からは相変わらず光垣間見えない冷徹さを放たれたが、一方のイブから放たれた歓迎口調には、不思議ながら狼狽うろたえてしまった。すぐ目の前に凶悪な殺人犯がいるというのに、なぜ明朗めいろうを保っていられるのだろうか。


「その……次はどこへ、向かえば……?」


 岳斗が固唾を飲み込んでから問うと、代わりに荷台から飛び降りたイブより、プレゼントが入った白袋を渡される。手に持ってみると妙に軽さを感じたが、ハンドルを掴んだ聖に目を合わされる。


「お前はあとそれだけ届けろ。残りはオレがやる……」

「え……」


「返事もできねぇのか?」

「あ、はい……」


 咄嗟に返したが、聖の台詞が聞き間違いに思えるほど信じられなかった。緊張の糸は未だ張ったままだが、予想していなかった現状に目を見開き立ち竦む。


『輿野夜は、俺の分まで配ってたんだ……。それってあの輿野夜が、協力してるってことだよな……』


 サンタ教習所で出会ったときから今日まで、聖からは力を注いでもらった記憶がない。常に一匹狼の姿を見せられ、誰からも声をかけづらい振る舞いさえ受けてきた。同じグループメンバーであるにも関わらず、彼の願い事や犯罪動機、そして生い立ちすら認知していない。


 それが今回、力を貸してくれるそうだ。


 彼の中で心変こころごわりが起こったのいうのだろうか。はたまた、兼ねてから抱く願い事を実現させるため、苦渋くじゅうの選択を決意した表れなのか。

 もちろん何も知らない岳斗には、予想すら型どれなかった。軽量化したプレゼント入り白袋を覗き込めば、残るは十個足らず。それも宛先が近所でまとめられ、三十分も掛からず終えることができるだろう。


「輿野夜……」


 ありがとうの感謝までは言えなかった。内心がまだ恐怖という鍵で施錠せじょうされたままで、強く押しても引いても開けられそうにない。

 しかし、存在があやふやだった鍵穴は、確かに目にすることができた。

 気づけば全身の震えが緊張から寒さによるものへと移ろぎ、息の白さが少しだけ薄まっていた。


「いつまで突っ立ってるつもりだ? 早くその小娘を連れて行け。お前の世話役だろ? ソイツがいっしょだと、オレは非常にやりづらい……」

「聖はロリコンじゃないからねぇ~」


「八つ裂くぞ?」

「せめてウルトラ水流にしてよ~。あ、でも今は冬だから、夏限定でね! アタシの水着姿、お楽しみに~!!」


 イブの愉快気味な態度には、岳斗と聖も呆れた白息で返答していた。見た目小学校低学年の幼女が何を言っているのだろうかと、怒鳴る気迫すら失せる。


「……じゃあ園越岳斗……。十五分後、またここに来い……いいな?」

「あ、あぁ……わかり、ました……」

「聖も気を付けてねぇ~!! まだ暗いから、自転車の点灯もしなきゃダメだよ~?」


 寡黙な冷たさを残した聖は、ついにペダルに足裏を載せて漕ぎ去っていく。殺人犯がサンタ衣装で、しかもママチャリを乗りこなすという奇想天外な後ろ姿だ。

 つい目を留め続けてしまったが、やがて聖が全く見えなくなり、曇天の下でイブと二人きりに換わった。十五分後また再会する予定だが、開始と比べて、あまり嫌な気が起こらなかったのが不思議だ。


「輿野夜……」

「聖は、やっぱりいい人だ……」

「イブは、輿野夜が怖くないのか……?」


 一番疑問だった景色を思い返しながら、岳斗は再び肩を吊り上げた。イブ中心で聖はそうではなかったが、二人の仲むつましい様子が窺えたのは確かだ。サンタ教習所にいたときも、幼女と青年のデコボコンビがよく並んでいたことも覚えている。


「え? なんで聖が怖いのよ? 聖はアタシたちに何もしてないじゃん!」


「いや、まぁそうだけどさ……イブだって知っただろ? 輿野夜は人殺しなんだ……。それも人の命を平気で、いくつも奪った悪魔だ。なのに、怖くないのかよ?」


「だって聖は! ……そっか……」


 するとイブは言葉の滞りに比例し、微笑みを消して俯いてしまう。聖の恐ろしさにやっと気づけたのかと思ったが、どうも違うらしい。


「岳斗は、まだ知らないもんね……。聖が、人を殺しちゃった理由……」

「んま……まぁ知らない、けど……」


 不慮な事故に巻き込まれ、誤って殺害してしまった。

 そんなニュアンスだと感じたが、指名手配紙にも記載されていた“連続”という二文字からは、どうも条件が満たない気がした。連続となれば一度だけでなく、二度三度と繰り返されている訳で、事故の見解も窺えなければ反省の色も見抜けない。


「聖が、自分の意思で殺しちゃったのは事実……。それは、間違いないの……」


 イブは背を向け、丸みを帯びた小さな背を見つめさせる。


「でも、母子家庭だった聖のことを考えると……いけないことだけど、わかっちゃう気がしてさ……」


 どうやらイブは、殺人を犯した聖に同情しているようだ。彼が母子家庭出身者という情報を漏らしてからは、短いサンタスカートを揺らすほど、狭い肩が上下に微動している。


「聖は、ね……」


 白い吐息と共に出された微かな声は、そばの岳斗でも何とか聞こえる小音量だった。連なる言葉まで片言になり、鼻を啜る仕草しぐさまで読み取れる。しかし一度深呼吸で整えてから、未だ知らない者へ真実を公表する。



「――お母さん、殺されちゃったの……。それがきっかけで、相手の身内を襲ったんだ……」



「――っ! じゃあ、輿野夜は……」


 後ろ姿のイブから頷かれ、言葉尻を容認される。

 聖が殺人犯であることは変わりなく、全ての恐怖が拭いきれた訳ではない。

 しかし、幼女に同情されるほどの犯罪動機を知った途端、見方が大きく変化する。



『――親を、奪われたんだ……。母子家庭で、唯一の親の存在を……。それで、復讐したってことか……』



 自己と感情を併せ持つ人間誰しもが抱く、愛無き邪悪に満ちた行為――復讐。

 やるべきでないと強くののしられる、日常生活ですら禁止されている心情表現の一種だが、人間が誕生して以来、一日足りとも失せた日はないだろう。歴史文書に載せられた、数えきれないほどの戦争を窺えば、残念ながら容易にわかる。


「……? 雪……」

「聖は、岳斗と同じなんだよ……」

「俺と、同じ……?」


 ユラユラと天から舞い降りた白雪が、静かに衣装の内側へ染み込む。ついに降り出してしまったが、積雪までは見込めそうにない、僅かな白光の粒子だった。


「聖も、家族が大好きだった……。小っちゃいとき、お父さんが病気で亡くなっちゃったらしいけど……お母さんとずっといっしょに、笑顔で暮らしてたんだよ……」

「あの、輿野夜が……」

「貧しかったよ? でも、いつも楽しそうだった……。そんな家族を奪われたら……嫌に決まってるでしょォ? ……グズッ」


 言葉尻が裏返ると、イブの足元には雪ではなく、暖かい雨が一粒落ちる。しかし次から次へと冷たいアスファルトに降り注ぎ、ついに岳斗へ、バッと泣き顔で抱き着く。



「――だからお願い岳斗!! 家族を愛した聖を……岳斗と同じくらい家族を大切にし過ぎた聖を、怖いとか言わないであげて!!」



 肩には雪の冷却が、腹には雨の温暖が走り、岳斗の心にまで寒暖差が生じる。

 家族を奪われたが故に、愛が憎しみに変わって復讐してしまったのだろう。もちろん禁止すべき結果で、罪だと判断されることに何ら疑問が沸かない。が、初めて聞かされた岳斗も、聖への同情心が芽生え始める。


『そりゃあ復讐だってしたくなるだろ……。大切な家族を、失ったんじゃなくて、奪われたんだから……』


 岳斗も愛する家族のために生きている、一児の父親だ。どんな理由があろうとも、大切な母子の命を、誰かの手によって疎外される未来など、考えたこともなければ考えたくもない。

 “もしも自分が聖の立場になったら……”

 同復讐心が生まれそうで、そちらの方こそ恐怖が掻き立つ。



『――輿野夜は、ホントに一匹狼になっちまったんだ……。家での生活も、抱く心も……全部が独り歩きしてたんだ……』



 聖が覗き見ていたペンダントの小写真も、今では遺影と呼べてしまうことが酷に思える。それを時おり見つめる彼には、確固たる家族愛があるようだ。

 輿野夜聖は決して、邪心に満ちていた訳でなかったのだ。


「イブ……教えてくれて、ありがとな」

「グズッ……岳斗……」


 イブのサンタ帽に手のひらを置いたことで、岳斗は涙ながらの面を上げさせる。腹部の衣装に鼻水まで付着させられてしまったが、今は他に気にするべきことがあると黙り、膝を曲げて目線を合わせる。


「まずはプレゼント配りだ……。輿野夜……いや、聖とは、その後ゆっくり話してみるよ」

「岳斗……聖を、ホントに嫌いにならないでね……?」


「わかってるって。んじゃ、行くぞ?」

「……うん」


 サンタ袖で拭い何とか涙を止めたイブを確認し、残るプレゼント配りを行うことにした。


『十分で、終わらせてやる……絶対に』


 清き眉を立てて再開へ動き出し、イブと共に届け先に駆け急いだ。これらのプレゼントを配り終えれば、全ての任務が達成することだろう。が、家族を愛する男には、また一つ新たな使命が生まれたようだ。



『――何とかして、聖の心を改心させてやろう!!』



 まずは一件目、次に二件目と、自慢のサイレントテクニックを活かしながら、侵入し配っていく。聖へ贈る言葉を、常に考えながら。


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