22

 その日は金曜日だった。夜には二回目の天体観測が行われるはずだった。

母は用事で出掛けていて、家に帰ると一人だった。夕飯は早めに食べておきたいのに伝えるのを忘れたな、と思っていると、呼び鈴が鳴った。

「叶方!」

 扉を開けると、そこには帆淡が立っていた。

「……帆淡!」

「叶方、私、月曜日から学校に行く!」

 帆淡は白いワンピースを着ていなかった。目を輝かせた帆淡がその身にまとっていたのは、紺色基調のセーラー服、僕らの中学校の制服だった。

「似合う?」

「うん、すごく」

「へへっ」

 にこにこと笑うその表情が、どこか大人びて見えるのは、服装のせいなのだろうか。それとも、たった数日で劇的に伸びたとも思える身長のせいなのだろうか。

「制服ね、さっき受け取りに行ってきたの。国道の向こう側のお店。そしたら帰りにたまたま勇飛くんに会ってびっくりした! 話してたら、せっかくだから叶方に見せに行きなよ、きっと喜ぶよ、って言われて、それで来たの!」

 セーラー服は帆淡の身体にぴったりだった。似合いすぎて奇妙なほど。胸元の赤いスカーフは美しい形に結ばれていた。よく見ていると、帆淡は左手に青色の花を持っていた。

「叶方、わたし、勉強する。成長する。叶方、ありがとう。わたしは叶方と一緒に、大人になる」

 信じられなかった。あの帆淡が、大人になると言い切った。成長する、と。

「担任の先生にも会いに行ったの。わたしが学校に行くって言ったら、涙を流してた。変だよね、私、あの人とまともに話したこともないんだよ?」

 帆淡は朗らかに笑っていた。どこからどう見たって、小柄な中学生だった。物理的にあり得ないことだったが、驚きに麻痺した僕の脳が、帆淡の姿をそう映していたということにしておいてもいい。

 とにかく帆淡は今日、中学生になったのだ。

「叶方、ありがとう!」

 ローファーを履いた帆淡は、両手を広げて僕に抱きついた。頭は確かに僕の肩を越えていた。

 開かれた帆淡の左手からはらりと落ちた青色の花は、狭い玄関のタイルの上に着地した。萎びて、たいそうみすぼらしく見えたものだった。あれは、そうだ、都忘れだ。

「叶方」

 帆淡は、中学生の男の子に呼びかけるように、その名前を呼んだ。僕は、笑っていいのか泣いていいのか、わからなかった。



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桃とバナナ 八月もも @mm89

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