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 ある夜、部活動の一環で天体観測があった。十五人ぐらいの部員と顧問の先生が、学校に集まる。集合は二十時だったので、学校が終わって一度家に帰り、夜ご飯を食べてからもう一度学校へ向かった。全員が時間通りに集まって、顧問の先生についていく。夜に学校に来るというのは小学校の夏祭りの時ぐらいなもので、中学では初めてのことだ。静まり返った校舎は不気味で小さい頃に見たホラー映画をうっすら思い出させた。色んな意味でどきどきしてしまう。

 僕らは列になって階段を上って行った。先頭にいた顧問の先生が懐から小さな鍵を取り出して、屋上に続く扉を開ける。それはとても特別な瞬間で、かちゃり、と音が鳴ったその時、僕らは無意識に息をひそめていたと思う。初めて出てみた屋上では、空気が少しだけ冷たいように感じた。そして僕らは自然と、誰に言われるでもなく本能的な行動として、空を見上げていた。すぐには星は見えてこなくて、空は真っ暗だ。白っぽくて少し太った形の月が東の空に茫漠と浮かんでいる。少し目を凝らせばやっと、ぽつりぽつりと氷砂糖みたいな瞬きが見えてきた。いつもと変わらない空。考えてみれば当たり前のことだ。ここは学校の屋上だというだけで、緯度とか経度とか明るさだとかそういうものは、自分の家と大差ない場所なのだ。

 僕たち一年生は、先輩たちが機材を用意するのをじっと眺めていた。五十センチメートルぐらいで重量感のある筒が出てきて、目の前で天体望遠鏡が組み立てられていく。倍率はどのぐらいなんですか、と誰かが先生に聞いた。返事はよくわからなかったが、どうやら望遠鏡の場合、倍率よりも口径が重要らしい。今日は土星を観測する、ということだった。

 部長を中心に先輩たちが集まって、望遠鏡を覗き込む。今日はとりあえず、先輩たちがセッティングを全てやってくれるらしい。僕は他の一年生とお喋りをして待っていた。今日の部活で見た星座板を思い出しながら東の空を眺めてみるけれど、そこにあるはずの夏の大三角形は、いまいちはっきりと見つからなかった。こと座のベガ、いわゆる織姫星らしきものは見つかったが、彦星のアルタイルはどうしても見つからない。高度が低すぎてここからでは見えないのかもしれない、と、僕たちは僕たちなりの結論を出す。

 セッティングが完了したということで、一年生は順々に望遠鏡を覗かせてもらうことになった。列に並んで順番を待つ。先に見た友達は、「うおー」とか「わあー」とか、変な姿勢になりながら感激の声をあげていた。周りを囲んだ先輩たちは嬉しそうにくすくす笑っている。

 僕の番がまわってきて、どきどきしながら腰を折り、片目をつぶって、覗き込む。

 レンズを通した向こうにその映像はあった。それは僕にとっては「映像として在る」という感じで、それが遠い遠い宇宙の向こうにある、想像もつかないほど巨大な物体の姿であると、一瞬では理解できなかったぐらいだ。何色とも形容し難い、しかしモノクロとは違った色調で、天体の本体は見えていた。土星に特有の環も想像以上にくっきりと見える。とても不思議な感覚だった。こっそりまばたきをしたり、レンズを覗き込んでいない方の目だけを開けてみたりする。だけど何をしてもその映像は揺るぎなく静止画としてそこにあった。そう、静止画だ。夜空を見上げて星を眺めるのとは違って、レンズを覗き込めばそこに見えているものは、しん、と動かずにいる。動いているものを見てみたらどうなるんだろう。確か夏休みの合宿では、流星群を見るって言ってた……と考えたところで、「真山くん、終わりー」と言われて次の人と代わらなければいけなかった。

 場所を譲って、輪の外で高鳴る心臓を抑えていると、男の先輩の一人が話しかけてきた。

「真山、どうだった?」

「思ってたよりはっきり見えて、どきどきしました」

「だよなー、わかるよ。俺も去年、同じように見てさ、びっくりしたもん。一回レンズか目離して、もう一回覗き込んで、ってやってたよ。さっきの真山みたいにさ。環もちゃんとさ、環として見えるんだよな」

「去年も土星を観たんですか?」

「そうだよ。最初の天体観測で土星を観るのは、毎年恒例なんだ。見つけるのも結構簡単な方だからさ、必ず二年生が合わせることになってるんだよ」

 腕組みをしながら一年生の列を眺める先輩を見て、僕はゆっくりと理解していった。それじゃあ来年の今頃は、僕らは新入生に土星を見せてやらなくちゃいけないんだ。夜の学校や屋上なんかに浮足立っている場合じゃなくて。なんでもない顔をして機材を扱って。その時僕は同じように「去年は俺も、びっくりしたなー」なんて言っているんだろうか。

 全員が覗き終わると、今度は機材の扱い方を教わった。一回じゃ覚えられないだろうから少しずつでいいよ、と部長が言う。今日は雲もかかっているし予行演習ということで、短い時間で解散することになった。また数週間後に開催されるそうだ。

 その日は金曜日だった。休みが明けて学校に行ったら、初めて見た土星の話を、天野にしようと思っていた。

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