18

 次の日、学校で顔を合わせた僕と天野は何も喋らなかった。これが、気まずい、というやつかと思った。僕は僕の思った事を言いたかったけれど、今はまだ言えなかった。言おうと思うと帆淡の小ささが頭をちらついた。天野は天野で僕に何かを言いたいみたいだったけれど、まだ僕たちは、上手に取り繕う術を知らなかった。


 その週の土曜日に公園へ行った。ここ数日と同じくあまり気持ちの良い空模様ではなかったけれど、雨は降っていなかった。午前中に行くと、公園には人が少なかった。大きな道路に面した一角に大人が何人か固まっている。大人たちの着た暗い色のスーツは、いつだって場の空気を和やかにはしない。帆淡の公園を汚している気がして、僕はその集団を睨みながら帆淡を探した。いつもの花壇の傍には、また別の大人が三人ぐらいいて、白い紙に何事かを書き留めていた。帆淡は見つからない。

結局、今日は来ていないみたいだったので、僕はすごすごとうちへ帰った。そういえばこの間は雨に濡れたんだった、ということを思い出し、迷った末に安西家に電話をかけることにした。

『帆淡ね、風邪を引いてしまったみたい』

 やっぱりだった。晴子さんは聞き取りづらい声で、帆淡の体調を説明した。

「雨に濡れちゃったからかな。ごめんなさい、僕のせいかも」

『いいえぇ。熱が出たのはずぶ濡れで帰ってきた日から二日後ぐらいだから、違うと思うわよ。それに、どっちにしろ、叶方くんのせいじゃないんだから』

「お見舞いに行っていいですか」

『ええ、ええ。だけど、気に病む必要はないからね』

 僕は電話を終えると、洗面所の掃除をしていた母のところに行って、帆淡のことを説明した。

「だから、昼ごはんを食べたらお見舞いに行ってくる」

「そうなの、よろしくね。熱が出たっていうのは大変だわ。酷くないといいけど」

 昼食の後、歯を磨いて、鞄を持って玄関へ行こうとすると、ベランダに出ていた母に声を掛けられた。

「叶方! 桃、持って行って。机の上に置いてあるから」

「桃?」

 机の上の紙袋を見ると、見事な大きさの桃が二つ入っていた。

「帆淡は、バナナの方が好きだけど」

「そんなの、お見舞いに持っていく果物じゃないでしょう。守らなきゃいけないルールってのも時々あるのよ。持って行くならあるけどね、バナナ」

 僕は少し逡巡してから、紙袋だけをつかんで、帆淡の家へ向かった。


「叶方」

 家に着くと、帆淡はちょうど昼ごはんを食べ終わったところらしくて、布団にもぐっていた。熱は下がらないようだが、他に不調のところはないという。ぺたりとした髪を漉く。弱っている帆淡はいつもよりもっと幼く見えて、本当の親と別れた、五歳の頃とそんなに変わらないようにすら思えた。

「今朝公園に行ったけど、なんだか、大人がたくさんいたよ」

「大人が、たくさん」

「みんな暑苦しいスーツなんか着てね。もっと明るい色ならまだいいのに」

「黒は、大人のいろ」

 虚ろな瞳を天井に向けて、帆淡はぼそぼそと呟く。

「……早く治そうね。そうだ、帆淡、桃があるけど」

「……もも」

 帆淡はありがとう、と言って布団にもぐりこんだ。

 守るべきルールもあるんだよ、と、声には出さず、帆淡の小さな背中に訴えた。

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