周りの大人が帆淡の異常に気付いたのは、帆淡が養子となってから二年程が過ぎた頃だった。実際の年齢で言えば七歳であるはずの帆淡が、あの日藤原家に一人残されていた五歳の帆淡から、背丈も肉付きも、ほとんど変わりないようであると、まずはうちの母親が疑問に思った。僕の家へ遊びにきた帆淡を何かの拍子で抱き上げたのだったと思う。あまりの軽さに母は驚き、その場で体重計を引っ張り出してきた。針の差した数値をあとから調べたものと照らし合わせたところ、五歳児の平均すら下回っていたという。帆淡が無事引き取られてからも里親の夫婦と連絡を密に取っていた母はすぐにそのことを知らせた。体つきが貧弱というわけでもないので、食事が足りないなどということは疑わなかった。大人たちは成長盛りの七歳の女の子を不思議そうな目で見つめたが、その時は、どうやらひどく小柄に生まれついたらしいと、そういうことで決着をつけたようである。


 それから半年が過ぎ、一年が過ぎ、それでも帆淡はほとんど五歳児の体型を維持していた。どうしたことだろうかと、さすがに大人たちも生まれつきで片づけることができなくなったということで、帆淡は世間で言うところの保護者である同居人に連れられて医者に行った。

近くの小児科で診てもらい検査を受けたが身体的な異常は見つからなかった。健康そのものの身体はしかし成長の兆しだけを見せず、様々な医療機器を素知らぬ顔で通り過ぎる。判断が下されるのには時間がかかったが、最終的に名医と評判の医者が意地で出した診断は、こういったものだった。


「彼女は大人不信の状況に陥っています。何か、思い当たることはありますでしょうか。彼女は過去の経験から、大人を信用することができなくなり、その存在を認めることすら拒絶してしまっているようです。

従って彼女自身が成長し大人になることは、彼女の世界に矛盾を生じさせる。

成長の遅れている原因は、そうとしか考えられませんね。」


 医者はその後も成長ホルモンの分泌がどうのと説明を続けていたというが、帆淡は二度と病院へ行こうとはせず、同居人も無理強いはしなかった。医者も言っていた通り成長は完全に止まったわけではなく、ごくゆっくりになったにすぎないようで、身体自体は至って健康なのだ。ようやく親子らしい関係が築けてきた頃に強制をして信頼を失うよりは、という判断かららしい。

 そういった信じ難い結果を、病院にまで付き添った母は僕に聞かせてくれた。その話の後も僕たちの関係はなんら変わらなかったが、やはり異常は無くしてしまえるものなら無くしたい。母も僕も、帆淡に「大人」についての説明をすることは、幾度も試みてきた。成長という現象、大人という人間の分類。しかしそういったことを帆淡は全て華麗に聞き流してしまうのだ。最初は大人という言葉を出すにも少し勇気が要った。拒否反応がどの程度のものかわからなかったから。だがどんな言葉を出そうとどんな話をしようと帆淡の心が乱れることはなかった。しっかりこちらの目を見て話を聞いている。ただそれが本当に「聞いている」だけで、理解しようとはしていないらしく、いくら熱弁をふるっても帆淡のあどけなさの前でそれは無意味な行為にすぎないのだった。


 帆淡と大人に関しての話を聞いて、僕は帆淡が学校へ行かなくなってしまったことに納得がいくようになっていた。学校へ通っていた頃、何人かの友達はできて休憩や時には放課後にも遊んでいたらしい帆淡だが、授業中の態度はすこぶる悪かった。小学一年生の授業だから基本的には自主的な挙手によって授業は成り立っていたのだが、帆淡が手を挙げているところは一度も見たことがなかったし、教師に指名されて自分の意見や正しい答えを出しているところも、見たことがなかった。教師は教師なりにいろいろ考えていたのだろうけれど帆淡は教師と二人きりで話すのをとても嫌がっていた。それに帆淡はどんなに楽しい授業の時でも、笑っていなかった。帆淡が学校で笑っていたのは休憩や給食の時だけで、教師と向かい合っている時には決して笑顔を見せなかったのだ。

言葉に出していたわけではなくとも、僕や周囲の友達に帆淡の教師嫌いは自明のこととなっていった。あれは、今思えば担任教師が嫌いだったのではなく、大人を嫌っていたわけだ。小学一年生の周りにいる大人なんて家族か担任教師ぐらいのものだから、わからなかったのだ。


 教師が「ちょっとおはなしする」ことを求めてくる頻度が高まるに連れ帆淡は学校を休みがちになり、週に一度登校するかどうかの三学期を終え、二年生のクラスに帆淡の姿はなかった。


 帆淡がなんとか信用している人間は同居人(一人は一昨年亡くなった)と、おそらくうちの母親だ。学校へ行っていた頃にはクラスの子供との交流もあったが、それが無くなった今、僕の他に繋がりのある人間はいない。

 当然ながら同居人やうちの母親も大人と分類される生物であるので、それを信頼し肯定することは、帆淡の世界に矛盾を生じさせるのではと思うが、帆淡はどうにか折り合いをつけているらしかった。


 帆淡の世界には成長など存在しない。そこで帆淡が自身の嫌う大人になることなどない。永遠に、純粋無垢な清いたましいを持った子供でいるのだ。

 帆淡は、汚く無責任な大人が文字通り産んだ、現代のピーターパンだ。

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