15

 次の日の放課後。僕は月に一回の栽培委員の仕事をこなしていた。グラウンドの片隅にある花壇に、ホースで水遣りをする。梅雨のじめじめした時期だ。僕が水をやる前も土はほんのり湿っていたけれど、仕事をさぼったと思われるのは嫌だった。僕らが当番の原則を守ることで、花々は過剰なぐらいに水を与えられていた。

 ぼんやりと水が噴き出すのを眺めていると、裏門へ向かう大人が一人いた。

「……先生」

 大人はぴたりと動きを止めた。

「今日も、行くんですか」

 帰るなら、教職員用の出入り口から出るはずだ。裏門は、公園へ行くのに一番近い通用口だった。

「……ええ、まあ。そのつもりですが」

 半身をこちらへ向け、僕らの担任は立っていた。

「どうしてですか」

「クラスメイトだからです」

 間髪入れずに返ってきた言葉は、事務的な調子を含んでいた。

「……全員が、仲良く、しないと」

「先生、そんなにずっと、帆淡のところへ行って、行っても行っても帆淡はあの調子なのに」

「しんどくはないですよ」

 担任は、僕が質問をするよりも先に回答を出した。

「そう、ですか」

「……義務のようなものですから」

 担任はぽつりと漏らした。四角い鞄と傘を持つ手が、ほんの少し揺れる。担任は何も持っていない方の手で、赤いふちの眼鏡を取った。途端にくるりと表情が変わった気がして、新しく表れた顔には、物憂げな空気をまとっていた。

「義務のようなものです。私はあの子を守りたい」

「帆淡はそれを望んでいないのじゃないかと」

「義務のようなものです」

 担任は繰り返した。

「真山叶方くん。最近あなた、天野勇飛くんと仲が良いわね」

「えっと、はい」

「安西帆淡さんにとっては、あなたが唯一の友達でしょうね」

「……そうかもしれませんね」

「私には、十歳も下の妹がいました」

 担任は灰色の空を見上げ、いつものように唐突に話を始める。

「高校二年だった彼女は、自ら命を絶ちました。飛び降りです。彼女はその二か月前から、学校へ行くことをやめていました。詳しいことはわかりませんが、どうやら友達がいなかったようです。小さな頃は、明るく、笑顔が絶えない子だったのに。

 私は妹に、何もしてあげられなかった。だから私は今、あの子を守ることで、妹を守るつもりになりたい。してあげられなかったことを、今こそ。そうです。私の身勝手な都合です。勝手な義務感です。

 それでは、行きますから」

 担任は眼鏡をかけ直してくるりと踵を返し、足早に立ち去った。

 僕はぼうっと、ホースから出る水を、湿り切った土に与え続けていた。


“だから私は今、あの子を守ることで、妹を守るつもりになりたい”


 担任は、帆淡を守っているつもりだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る