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なぜだかそれから、天野は頻繁に帆淡のことを尋ねるようになってきた。
「安西って可愛い? 芸能人で言うと誰?」
「……別に誰にも似てないけど」
「帆淡って名前変わってるよな」
「お母さんが、洋服が好きな人だったらしくて」
「だった? 母親は今は?」
「帆淡の本当のご両親は行方知らずだよ」
「へー、噂本当だったんだな。なんかばーさんと暮らしてるとかって」
晴子さんが里親だということまで言う必要はなかったし、あんまり帆淡のことを勝手にぺらぺら喋りたくはなかった。だけどそう無下にもできない。天野は帆淡についての情報を、仕入れはしても誰かに吹聴している様子はなかった。
安西帆淡という個人に対しての興味。好奇心。それは、不登校の同級生、という曖昧な存在への眼差しとは全く違う種類のものだ。と、僕は感じた。
そして、天野はやっぱりこう言う。
「会わせてくれよ」
……別に、帆淡は僕の所有物じゃない。帆淡に会うことについて僕の許可が必要なわけはない。というのは屁理屈で、確かに実際のところは、僕を通さなければ誰かが帆淡に会うことはほとんど不可能だ。今は個人情報保護の観点から、クラス全員の電話番号と住所が記載された連絡網などというものは存在しない。僕らは学校を出てしまえば、クラスに巡らされた網目からは零れ落ちる。一部の人々は携帯電話で繋がりを作ることができているらしいが、僕はまだ携帯電話を持っていないので、その繋がりがどういうものなのかはわからない。
新たな網の目の集約点にでもいそうな天野は、一体、帆淡に会って何をするつもりだろう。
「真山はすっげー特別なんだな」
それは美術の時間だった。美術室で、僕らは教室と同じ席順で座り、写真を見ながら風景画に着色していた。
「何の話?」
「安西にとって。だって俺のこと言ったら、会いたくないって言うんだろ?」
会ってみたい、という天野に対して、僕は帆淡の返事をそのまま持ってきた、というスタンスを取っていた。帆淡が会いたくないって言ってるから、残念だけど、と。帆淡に天野の話をしたのは、あの最初の一度だけだった。天野という名前すら出してはいない。
「だって、十年前ぐらいから友達だから」
「家がお隣同士で、ってやつだろ? だからって結構難しくね? 同い年の男子と女子が中学になっても仲良くしてんのって」
確かに、同い年だったら難しかったのかもしれない。だけど帆淡は僕にとっては、いつだって、小さな女の子だった。
「兄弟みたいなもんだから。お互いにひとりっこだし」
「まー、ひとりっこ寂しいもんな。俺は弟が欲しかったな」
同じくひとりっこの天野勇飛だが、兄弟当てゲームをすれば、間違いなく弟か妹がいる、と推測されることだろう。長男気質、なんて言葉があるかどうかは知らないが天野は本当にしっかりしていて、面倒見が良かった。顔が広く頭も良い。空気が読める、というのだろうか、係決めなんかで行き詰って、ホームルーム中にクラスが静まり返ってしまった時、天野の一声で、結論は出なくても話が進んでいくということがよくあった。必然、天野はいろんな先生から気に入られているような印象がある。担任も然り。ただ天野の方では、担任の帆淡への入れ込みもあり、あまり気に入っているとは言い難いように僕には思えたが、天野はそういう態度を本人には出さない。
「あー、またはみ出た。苦手なんだよな、美術。真山は得意そうだな」
「そうでもないよ。それに、勉強ができる方がいい」
「いやいや、内申取るには副教科できなきゃだめなんだって」
「内申?」
中学校における内申点というシステムのことを全く知らないわけではなかったが、つい聞き返してしまった。
「副教科と五教科だと、評価のされ方が違うんだったっけ?」
「そーだよ。だから、副教科もできねーとな。どうせ私立に行く金はねえし」
「もう、そんなこと考えてたのか。すごいな」
「ばばあの仕込みだよ」
天野は、自分の母親のことを時々そんな風に呼んだ。いけ好かないと公言している部活の顧問にさえ、敬称をつけているというのに。自分のことを多くは語らないが、なんとなく、母親とは距離を取りたいような思いが見え隠れしていた。そこで反抗して中途半端な不良になるやつもいるのだろうが、天野の場合はそうじゃなかった。
「いい高校行って、いい大学行って、いいとこで働く。そのためにベンキョーしてんだよ。誰だって同じだろ。小学四年の時から思ってたね、俺は」
水色がついた平筆で天野は川の輪郭をなぞっていく。水は水色、という観念の下。澄み切った水に映り込んだ他者は全て蹂躙されて、そこには、不気味なうねりと奇妙に苔生した岩が、必死の形相で折り重なっていた。
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