20

 しばらくの間、そこでそのまま立っていた。僕らは人だかりを抜けて、花壇の近くのベンチへ移動することにした。

「帆淡」

 しゃがんで目線の高さを帆淡に合わせた。

「公園、なくなるの?」

「そうなんだって……」

「ここが?」

「うん……」

 帆淡はしばらく僕と目を合わせたまま、微動だにせず立ち尽くしていた。帆淡はもう、どこへも行けない。

「どうして?」

「大人たちが決めたことだ」

「大人たちが!」

 途端、帆淡の感情が爆発した。

 顔を真っ赤にして、僕の手を振り払った。ワンピースの裾をわしづかみ、ぎりりと唇を噛み締める。

「どうして! 大人は! 自分勝手に! 無責任に! どうして! 子供を置いて、子供を無視して、どうして! 大人は、大人は!」

「帆淡!」

 僕は帆淡を思い切り抱きしめた。帆淡は、怒りながら泣いていた。確かに涙を流していた。僕は帆淡の憤りがおさまるまで、そうしていた。結局おさまることはなかったが、それでも帆淡は少し息を整えていた。

「……帆淡」

 叶方、と帆淡は呟いた。蝶が花にとまるように。すがりつくように。僕は、この声が誰か大人に届く日を待っていたかった。だけどそれはあまりにも遠いと思ったから、だから、僕が大人になるしかないと思った。

 帆淡は大人を嫌いで、だけど、だからこそ大人を知らない。大人が帆淡の事情を知らないように、帆淡も大人の事情の全てを知ってはいない。

 僕は帆淡の耳元で、そっと、言葉を紡ぎ始めた。

「……僕たちは、いずれ、自分の意思と関係なく、大人になる。無責任で、自分勝手で、狡賢くて、汚いような、大人に。でもそれは、仕方のないことなんだ。

だってね、夢とか希望とか、大人になる時に捨てなくちゃいけないものもたくさんあるだろう。だけどそれと同時に、僕たちは守っていかなくちゃいけないものも、たくさん持つことになるんだ。大人はそういうものを守っていくためには、どんなことだってしなくちゃいけない。守るべきものを守るため。それは仕方のないことなんだよ。

きっと立派な大人は子供を守ってくれると思う。だけど大人が守らなきゃいけないものは、あまりにも多すぎるんだ。だから時々、子供を守れない大人だって出てくる。そういう人たちは、自分とか、自分が自分であるために必要な何かを守っていく、それだけでいっぱいいっぱいなんだ。可哀想なんだ。

だけど僕は、全部守れる大人になりたい。なるよ、帆淡。僕は、帆淡を守れるような、大人になるから――」

 帆淡がこの中から、どれだけ言葉を拾ってくれたのかはわからない。だけど帆淡のしゃくりあげる声と、激しい息切れと、頬に差した赤みは少しずつ引いていった。

 僕は色んな人のことを思い出していた。自分の両親のこと。帆淡の最初の両親、晴子さんと旦那さん。僕らの担任、部活の先輩、クラスメイト、天野勇飛。それから見たこともない、天野のお母さん。

 その日、帆淡は花を摘むこともなく、黙りこくって安西家へ帰って行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る