第20話 和解へ


 こうして僕たちは鞄を手に取り、ザッと生徒会室を整理したのち退室しようとした。しかし直前で黒木さんが徐に戸棚を開け、中にあるものを取り出した。


 それはエナメルのスポーツバッグだった。


「そんなところに隠していたのか?」


「ええ。そろそろ必要になるのではと思ってね。二、三日前くらいから、あらかじめここに置いておいたのよ」


 二、三日前というと、それは丁度僕が不動さんに声をかけた頃であった。僕は全く気づかなかったが、どうやら僕の行動から黒木さんはそろそろと当たりをつけていたようだ。本当にこの人は、人の行動を読むのが上手いな。


「でもなんでまた生徒会室に? 必要になったとしても、会長確か寮生ですよね。いつでも取りに帰れるじゃないですか」


 僕がそう疑問を投げかけると、黒木さんはクスッと微笑んだのち、できの悪い生徒に勉強を教えるかのように丁寧に答えてくれた。


「だって、寮へ帰るよりも学校に置いた方が時間短縮になるもの。でも部活動に所属していないワタシが教室にこんなものを置いていたら、察しのいい人は訝しむわ。だからこっち。ここなら訪れる人は限られるし、なによりワタシの城だからね。いくらでも都合はつくわ」


「保管場所まで確保していたとは、会長用意周到ですね」


「用意周到でなければ、人の行動を予測しての悪巧みなんてできないわ」


 確かにそれは今に始まったことではない。そうでなければ人間関係を粉砕するような画策を遂行することなんてできないからな。


「ごもっともです」


 僕は独り言のようにそう返事をし、先に扉へ向かい、生徒会室を退室した。


 しかし廊下に出てみると、思わぬ人物と鉢合わせになった。


「遅いー」

「やあ」


 それは番匠と不動さんである。だが不動さんは何故か番匠を羽交い絞めにしていた。番匠と不動さんでは体格差があるため、番匠は不動さんの束縛から逃れられず、時折足を投げ出してブラブラとさせていた。


「……何してるの?」


 なんかあんまり関わりたくないが、流石にスルーできる状況でもなかったので、僕は一応そう尋ねた。


「風香がボクのおっぱい枕を堪能していたところだよ」


「いや明らかに違うだろ」


 なんでそんなしょうもない嘘をつくんだこの人は。まあ不動さんだから仕方がないか。ちなみに二人は体格差があるとはいっても、不動さんは成瀬さんほど長身でもなく、番匠も黒木さんほど低身長であるわけでもないので、不動さんの胸は番匠の首元に押し当てられるかたちになっていた。枕とはいっても、首枕である。


「あら、待たせてしまったかしら?」


 そしてそのとき黒木さんがスポーツバックを肩にかけて生徒会室から出てきたが、二人の謎の状況に全く動じることもなく平然としていた。いや少しはこの状況に疑問を抱いてくださいよ!?


「本当に何しているの?」


「話は全て真理ちゃんから聞いたぞ!」


「まあ、そういうこと。二人が生徒会室で話している間、ボクもボクで風香に事のあらましを語っていたんだ。そしたらせっかちな風香だからさ、二人のところに乗り込もうとしたから、こうして押さえ込んでいるんだ」


「こんなこと聞かされたら、いてもたってもいられないじゃないか」


「……そうだよな」


 番匠にとっては、自分の知らないところでどんどん状況が悪化していき、あまつさえ最終的には一人残されたかたちになったのだから、憤るのも無理はない。


 しかし、実際のところはそうではないようだ。確かに番匠は興奮してここまで来ているようだが、その意味合いは違うらしい。


「智ちゃん! ゴメン」


 僕が不動さんから事情を聞いている間に生徒会室の戸締りを済ませた黒木さんは、表情を引き締めて二人の前に立ったわけだが、最初に言葉を発したのは番匠であった。しかも羽交い絞めされている状況で、いきなり謝罪である。


 これに関してはあの黒木さんも予測できていなかったのか、黒木さんは目を見開いて動揺した。この人が動揺するのも珍しい。一方番匠を取り押さえている不動さんも、口元の微笑が引いていった。僕としても、突然のことで唖然としてしまった。


 三人が三人とも、番匠が謝った理由がわからなかったのだ。


 謝られる側が謝ったことにより、出鼻をくじかれた。しかしそんな僕たちに構うことなく、番匠は自分の思いを述べる。


「ウチ、卓球部があんな感じになっていたのに、なにもすることができなかった。ウチバカだから、何をどうすれば解決するのかわかんなかった。だからいつも通り考えないようにして、判断を他の人に任せた。……でもそれって、押し付けているだけで、逃げているだけだよね。真理ちゃんから話を聞いたとき、ウチが放り出したことを智ちゃんが全部始末してくれたと思っちゃったから、……なんだか、申し訳なくて」


 番匠は言っている途中から感情が高ぶってしまったのか、吐き出すように言葉を述べ、それに連動するかのように表情を歪めていった。そしてしまいには、番匠の瞳から雫が漏れ出し、頬を伝っていった。


「ゴメン。ウチ、なんの役にも立たなかった。全部押し付けちゃって……ごめんなさい」


「いいのよ、風さん。アナタのそういうところ知っていたからこそ、できるだけアナタを悩ませないようにしたかったのよ。でも、それがかえって、アナタを悩ませてしまったのね。こちらこそごめんなさい。ワタシの不手際でしたわ。何がどうあれ、ワタシはアナタを不快にさせてしまった。本当にごめんなさい」


 そして黒木さんは番匠に歩み寄り、流れ出る涙を指で拭った。それを見ていた不動さんは空気を読んだのか、拘束していた腕を解き、番匠を開放する。すると番匠は衝動に身を任せて目の前にいる黒木さんを抱きしめ、肩に顔を埋めた。ただ番匠も極力みっともない姿を見せたくないと思ったのか、終始声を噛み殺していた。


 抱きつかれた黒木さんは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな表情となり、番匠の背に手を回して優しく撫でた。それはまるで泣き止まない子供をあやす母親のようでもあった。


「真理さんも、ごめんなさいね」


「ボクはいいよ。策に同意して実行した時点で、ボクも同罪だからさ」


 黒木さんは番匠に抱きつかれたまま謝ったのだが、当の不動さんは気にしていなかったのか、肩をすくめながら返事をしただけであった。


 こうして、黒木さんは二人と和解した。


 番匠が泣き止んだところで、僕たちは部活に参加するべく体育棟へ向かうことにした。番匠は泣き止んだ途端にいつもの番匠に戻ったのだが、こういう物事の切り替えが早いという点においては、せっかちもあながち悪い個性でもないように思えた。


 体育棟へ通じる渡り廊下に出ると、やや距離を置いた前方に僕たちと同じく体育棟へ向かう生徒がいることに気がつく。その後ろ姿は、一同見覚えのあるものだった。


 直江さんである。


「やあ、今日は遅いね」


 そしてその後ろ姿に声をかけたのは不動さんだった。なんのことはない、当たり障りなく気さくに話しかけたのだが、当の直江さんは振り向きざまにギロっとした目つきで僕たちを睨みつけた。


「今日は掃除当番だったけど、思ったよりも長引いたのよ。まあ、もとより部活には遅れると言ってあるし、なにより掃除の終了時間が明確に定まっているわけでもないから、私としては予定の範疇ですけどね」


 ……そう言っているけど、直江さんはどことなく不機嫌そうである。しかしそんな状態であるにもかかわらず、直江さんは懇切丁寧に説明してくれた。それも含めて、直江さんは今日も平常運転であった。


「凛さん、お話があるの」


 黒木さんは徐に一歩前へ出て、そう声をかけた。すると対面している直江さんは目を眇めて黒木さんを見つめる。その眼差しはどこか慧眼のようでもあった。


 しかし黒木さんはその眼差しを真正面から受け止めながら、朗々と過去の騒動の真相を話し始めた。


 直江さんは終始相槌を打つことなく、無言で黒木さんの話を聞いていたが、話が終わったところで嘆息をもらす。


「最低な女ね」


 そしてボソッと独り言のようにその言葉を吐き捨てた。


「前々から思ってはいたことだけど、あなたは本当に唾棄すべき女だわ」


 更にそう付け加えた。いつも厳しい口調である直江さんだが、その言葉はいつも以上に辛辣なものであった。まあそう言いたくなるのもわからなくはない。何せ自分たちのあり方を守るとはいえ、騙された上に策略によって部を辞めさせられた――表面上は自主的だが――のだからな。直江さんの気持ちも理解できる。


「そう言われてしまうと、なにも返せないわ。でも――」


 黒木さんはその言葉に激昂することなく、表情を変えることなく冷静に言葉を返す。だが、


「――アナタの我を通すやり方も、ワタシは好かないわ。内側がまともではないのは、お互い様でしょ」


 続く黒木さんの言葉には、彼女の黒い部分が染み込んでいた。


 それにより直江さんは眉をひそめ、眼鏡の奥の双眸に敵意が宿る。そのまま両者言葉を発することなく、重たい沈黙が辺りを支配した。


 正直勘弁してほしい。僕は切実にそう思う。でもこうなってしまうことも半ば予想ができていた。二人は、番匠みたいに物事の白黒を即座にはっきりさせる性格でもないし、不動さんみたいに損得勘定で物事を判断しているわけではないので、話が拗れやすい。それに両者頭がいい分、ああだこうだと屁理屈を並べてしまうので、一旦拗れると泥沼化する可能性があるのだ。


「会長、直江さんを煽ってどうするんですか! 謝って許してもらうはずでしょ」


 僕は直江さんに聞かれないよう、黒木さんに耳打ちした。それにより黒木さんは「そうでした」と小声で呟いたのち我に返った。ちょっとお茶目ですけど、あざといです。


「過去のことは謝ります。申し訳ご――」


「そんな謝罪の言葉はいらないわ。謝罪なんて、言葉を話せる人であれば誰でも口にすることができるのだから、その行為自体に意味なんてないのよ。もっと明確に誠意を示してもらわないと、私は許せないわ」


 黒木さんが謝ろうとしているまさにその最中、直江さんはその謝罪を強引に遮り、またしても辛辣な言葉を投げかけた。それにより、黒木さんの表情が険しくなる。


 ああもう! 黒木さんも黒木さんだけど、直江さんも直江さんだ。話が解決する糸口が全くわからないぞ!


「いいわ。そこまで言うのであれば、こちらも考えがあります。古くから揉め事の白黒をはっきりする有効な手立てがあるわ。勝負をしましょう。その勝敗で、今後どうするか決めましょう」


「勝負?」


 黒木さんの思わぬ提案に、直江さんは露骨に訝しんだ。


「ええ。まさか拒みませんよね? ここまで言いたいことを言ったのだから、反感を買うのは当たり前。ならば自分が言ったことの責任を取る意味も込めて、ワタシを打ち負かし、ご自分の正義を貫けばよろしいわ」


 黒木さんの言葉には刺があった。それにより、僕はこの人が怒っていることを悟る。こんな黒木さんは初めてだった。この人怒るとこうなるんだな。


「もしワタシが勝ったら、無条件でこちらの要求をのんでもらうわ。といっても、こちらとしては、今までのことはなかったことにして、お互い仲良く部活動を続けるということですけどね。そして仮にワタシが負けたのなら、ワタシは許しを得られるまで何度でも謝罪するわ」


 そして黒木さんは間髪をいれずに自分の要求を述べた。


 一方要求を突きつけられた直江さんはというと、目を伏せ、渋面をつくって逡巡していた。


「あなた、それわざとやっているの?」


「なんのことかしら?」


 直江さんは苦し紛れにそう尋ねるが、黒木さんはとぼけるだけであった。


 直江さんの態度はどこか勝負を拒んでいるように見えた。直江さんにとって、黒木さんとの勝負は分が悪いのだろうか?


「……ずるい女」


 直江さんはそう呟くと普段の表情に戻り、深くため息をついて諦観した。


「いいわ。その勝負、受けましょう」


 そして直江さんは逡巡の末、黒木さんの勝負を受けることにした。






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