第8話 雪降る帰り道


 うひょおおおおおおおおおおお!!


 おっと、思わず心の中で奇声を上げてしまった。冷静に、冷静にならなければこのおかしい気分が外に出てしまいそうだ。気をつけなければ。


 どうして僕がこんなにもハイなテンションなのかというと、今僕は想い人である門脇さんと一緒に下校しているからである。うん、仕方がないよね。


 発端は、全ての授業が終了したあとに開かれるショートホームルームでのこと。生徒会の用事もなく、部活も行きづらいため、僕としてはこのあと担任の先生の話を適当に聞き流して帰るだけであった。しかし今日ならではの珍しい連絡事項があった。


 曰く、降雪により電車のダイヤに乱れが生じてきたとのこと。そして今後雪が強まる恐れがあることから、今日に限って電車通学している生徒の居残りを禁止とし、即下校せよとのことで、残ることができるのは家が近い生徒と学生寮に住む生徒のみとなった。


 そうして教室を出て昇降口に向かったところ、丁度靴に履き替えた門脇さんと成瀬さんに遭遇したのであった。どうやら門脇さんも成瀬さんも電車通学であるらしく、お達しに従って部活に参加せずに帰るとのこと。


 互いに気がついて二、三言葉を交わしたのち、成瀬さんが「どうせ駅まで一緒なんだから、一緒に行かないか?」と好アシストをしてくれたおかげで、僕はこうして門脇さんたちと一緒に帰ることになったのである。雪の日だからこそ生まれた奇跡! 誰だよ雪で登下校が鬱々とかしんどくなるとか言った奴。ぶっ飛ばしてやる!


 そんなこんなで、しんしんと雪か降りしきる中、僕と門脇さんと成瀬さんは固まって歩道を歩く。ただ住宅地の歩道もそこまで広いわけではないので、門脇さんと成瀬さんが並んで歩いているそのすぐ後ろを僕がついて行くかたちとなった。


 サクッサクッと積もったばかりの雪を踏みしめる。ハーと吐き出す息がすぐ白く濁り出す。ふと見上げると、薄暗く見通しがよくない雪降る空が視界に入る。それらの要素が僕に冬の感触を伝えてくるが、何故か寒さを感じることはなかった。何故だろう? テンションがハイなせいかな。


 そういえば、と僕は思う。僕は門脇さんのことをあまりよく知らない。好きな女の子ではあるが、僕が奥手である故にこれまで接点がなく、彼女と会話をすることがなかった。そのため僕は、門脇さんのことを可憐な女の子という表面的なことしか知らないのだ。


 でも今は幸運にも接点を持つことができた。そしてこうして話す機会に恵まれている。ならばこれを機に門脇さんと話をして、彼女のことをもっと知るべきではないだろうか。


 しかしどう切り出していいのかがわからない。僕には彼女と会話する手札が少ない。そこで少々思案したのち、彼女について知っている唯一のことから話を発展させようと思い至った。


「その、門脇さんは、いつ頃卓球を始めたの?」


 僕が持つ唯一確かな門脇さん情報。それは卓球であった。


 僕の言葉は傘を迂回して前の二人の耳朶に届いたのか、門脇さんも成瀬さんも雪を乗せた傘を揺らしてこちらを振り向いた。ただ狭い歩道であることと歩きながらであることもあり、その振り返る動作が小さい。故に僕は彼女の口元しか見えず、表情は傘の露先が邪魔して窺えなかった。それがまた壁を一枚隔てているかのようであり、僕と門脇さんの関係を如実に表しているかのようだった。


「小学校四年生のときですね。丁度お兄ちゃんが中学で卓球部に入部したのが切っ掛けかな。それに憧れてお母さんに駄々こねたら、近くの市民体育館で開かれている卓球教室に連れて行ってくれたの。結局お兄ちゃんはすぐに幽霊部員となっちゃって、わたしだけ続けるかたちになっちゃったけどね。それで、今に至るって感じかな」


 そう飾り気なく答える門脇さんは、微笑みをたたえている。しかし口元しか見えないため、その微笑みの意味を知ることができなかった。果たして昔を思い出して懐かしんでいるのか、それとも恥ずかしがっているのか、それだけではわからなかった。


 でもそうか、門脇さんにはお兄さんがいるのか。つまり門脇さんは妹属性があると。それはそれでグッとくるものがあるな。もし僕の妹が門脇さんだったら、シスコンになって毎日悶えてしまいそうだ。なにその嬉しい地獄。


「お兄さんいるんだ」


 でもそんな邪な思考を悟られないよう、僕は若干気障になりつつもそう尋ねた。


「うん。でも遠くの大学に行ってしまったから、もうこっちにはいないの」


 門脇さんはすぐに答えてくれたが、しかしながら相手の表情が読めない会話は非常に難しいものだな。今だっていなくなってさみしいのか、それとも逆に清々しているのかがわからん。よって門脇さんとお兄さんの関係性がいまいち把握できない。このままお兄さんネタを引っ張っていいものなかよくわからない。どうしよう、早くも詰んできたぞ。


 それでも僕は必死に会話をつなげようとして、門脇さんの台詞から話題を見出そうとする。


「そうか、お兄さんは大学生か。……そういえば僕たちも来年度は三年生になって、受験しなきゃならないんだな」


 おし! なんとか「大学生」というワードから進路の話に持ち込んだぞ。これなら僕たちに直接関係のある差し迫った話題だから、それなりに話が進展するはずだ。そしてあわよくば門脇さんの進路を知ることができるかもしれない。あれ、もしかして僕、ファインプレーした感じか!?


「来年度って言っても、あと二ヶ月だけどね」


「まあそう言うな。来年度であることには変わりない」


 ここで門脇さんはクスッと声に出して笑みを浮かべた。もしかしてウケた感じかな?


「でも、わたし受験のことなんて全然考えてないな……」


「ああ。僕もだ。全然考えてない」


「成瀬さんはどうするの?」


「んーとね、アタシは動き回ることしか能がないから、体育系の学科がある大学かな。でも意外だね。えみ頭いいから受験のこととか真剣に考えているんだと思っていたよ」


 門脇さんは成瀬さんに話を振り、成瀬さんもそれに乗っかったが、そこには妙な違和感があったことを僕は見逃さなかった。というより、以前は大して気にしていなかったが、よくよく考えてみると二人の関係性は奇妙であり、そこにようやく気がついた感じであった。


「そうね。自分のやりたいことがよくわからないから、何をどうしたらいいのか判断つかないの。成瀬さんのようにやりたいことがあれば、すんなり進路を決められそうなのに」


「そっかー。えみも大変だね」


 会話はそこで途切れてしまった。僕としては会話を途切れさせたくないので、新しい話題を提供しようと考えるが、考えようとすると何故か先程の違和感が脳裏によぎってしまう。そのことに触れてしまっていいものなのか判別がつかないが、僕の好奇心がそれを知ることを強く欲していた。僕は数瞬葛藤したのち、意を決して尋ねてみた。


「なあ、気になっていたんだけど、二人はどういう関係なんだ? いやそりゃあ、同じ部活をする仲であることはわかるんだが……その、門脇さんは成瀬さんのこと苗字にさん付けで呼んでいるのに対して、成瀬さんは門脇さんのこと下の名前を呼び捨てで呼んでいるから、なんか二人の距離感が互いにちぐはぐしている感じがしたんだ」


 尋ねてみたはものの、それを言った瞬間、前を歩く二人の時間が停止したかのように、門脇さんも成瀬さんも立ち止まってしまった。


 その不意の行動に、二人の後ろを歩いていた僕は危うくぶつかりそうになったが、なんとか踏みとどまった。僕たちの後ろを歩いていた生徒たちが一度車道に出て、訝しんだ視線を僕たちに向けながら通り過ぎていく。僕はその視線に申しわけなさを覚えながら、彼女たちの反応を待つことしかできなかった。相変わらず彼女たちの表情は傘に隠れて見えない。


「深く考えたことないけど――」


 そして最初に反応したのは、成瀬さんだった。成瀬さんは身体ごと振り返りながら、


「――アタシの場合は、単に馴れ馴れしいだけじゃないかな」


 と真率な態度で答えてくれた。振り返ったことにより成瀬さんの顔がはっきり見えるようになる。その表情は別段不快そうなものではなく、いつも通り男前な女の子の表情だった。


 一方門脇さんの方はなかなか答えが返ってこなかった。傘のふちから窺える口元もだんだんと下向きになっていく。どうやら顔を伏せているようだ。恐らく、沈んだ表情になっているに違いない。


 僕は少し前の僕を呪った。少し考えれば、込み入った事情とか、わけありな事情がそこにはあるのだろうと想像することができたはずだが、愚直にもそれを想像することをせず衝動的に尋ねてしまった。僕の言葉で好きな女の子に不快な思いをさせてしまった。僕はそのことをひどく後悔した。


 人を知る、相手を知るということは、その人の抱える痛みを共有するということ。


 僕は想い故に、そこまでの配慮ができていなかった。恋は盲目とはよく言ったものだ。


「あ……その、すまん」


 僕は言葉を探したが適切な言葉は出てこず、口から出てきたものはなんとも頼りないものでしかなかった。身体が思い出したかのように冬の寒さを感じとってくる。舞い上がっていた僕の心が平常時のそれに戻りつつあった。それによって僕は冷静さを取り戻した。


「……別に、渡部くんが謝るようなことじゃないわ」


 僕が言うべき言葉を探していたそのとき、今まで顔を伏せて沈黙していた門脇さんがスッと静かに声を発した。その声は降りしきる雪のように冷たさを伴ったものだったが、それだけに透き通っていた。


「一つは、単純に下の名前で呼ぶのが気恥ずかしいってだけなの」


 門脇さんは僕の方を振り返ってそのわけを答えてくれた。ただ成瀬さんとは違い相変わらず傘で顔が隠れているため、その表情を窺うことができない。抑揚のない声であり、半ば冷然としているため、今どのような表情をしているのか見当もつかなかった。


「そしてもう一つは……わたしのコミュニケーション能力の問題。わたしは、相手との距離感がよくわからないの。初対面の人や目上の人が相手であれば、丁寧な言葉遣いをしていればいいけど、仲のいい友人知人に対しては、どこまで打ち解けた口調になっていいのかがいまいち……。一応気にするようにはしているのだけれども……一度人間関係で失敗してしまった分、一歩踏み寄ることができずにいる感じかな」


 一度失敗している。これまでの門脇さんの人生を僕が知っているはずがないのだが、何故だか直感でその失敗がなんなのか思い当たってしまった。


 入部早々に起こった、〝全中四天王〟の集団退部。その一連の出来事のことではないだろうか。


 その騒動で一体何が発生したのかはわからないが、同じ時期に入部した門脇さんであれば、その騒動に一枚噛んでいる可能性があった。そしてその事実は、あのとき卓球部に在籍していた者にとってはずっと絡みついてくる事案である。それ故その事実は、ある種トラウマとして当人を蝕み続けるのであった。


 僕と門脇さんが始めて言葉を交わしたあのとき、僕が目下優先して取り掛からなければならない事柄の話を受けたあのとき、門脇さんはこう言ったのだ。過去の出来事を掘り返そうとしているみたいでなんだが気まずい、話しかけづらい、と。それはその騒動を知っているからというのもあるだろうが、本質的な部分としては、ではないだろうか。


 だからこそ今回再び彼女たちと関わろうとした際、僕という第三者を必要としたのだろう。後ろめたさがある故に、間を取り持ってくれる存在を欲したのかもしれない。


 一体、過去に卓球部で何が起こったのだろか?


 同じ新入部員であったのに、何故〝全中四天王〟は辞めて門脇さんは在籍し続けることができたのだろか?


 門脇さんの立ち位置は、果たして〝全中四天王〟側だったのか、それとも揉め事の相手であった上級生側だったのだろうか。そのあたりのことは、全くもってわからない。


 ただ一つ確実に言えることは、門脇さんは過去の出来事を痛みとして今も抱えているということであった。


 僕は門脇さんのことを思って、あえて過去の出来事について触れずにいた。しかしこのまま〝全中四天王〟の交渉を継続するのであれば、いずれその出来事について知る必要があるように思えた。問題はどうやって、誰から聞き出すかだ。そのあたりのことはよく考えなければならないようだ。


 不意に僕の脇腹に衝撃が走る。何事かと思い衝撃が来た方を見やれば、成瀬さんが肘を突き出していた。どうやら成瀬さんは肘で僕のことを小突いたようであった。それは僕が門脇さんの深い部分に触れてしまったことに対する咎めのようだ。


「えっと、ゴメン。変なこと聞いちゃった。悪意があって聞いたわけじゃないんだ。だから、その、あんまに気にしないでくれ。なんかしょうもない男がアホなことほざいたと思ってくれればいいから。その、本当ゴメン」


 僕は門脇さんの様子を窺いながら、重たくならないよう心がけながら謝るが、相変わらず門脇さんの顔は傘に隠れており、ようとしてその表情が知れなかった。


 僕は「それで」と一旦言葉を区切ってから、続きを言う。


「僕は別に、それでもいいと思う。その、一歩距離を置いた口調。なんというかそこまで気になるような話し方じゃあないしな。あくまで僕が気になったのは呼び方だけだったけど、それも門脇さんらしくていいと思うよ。なんとなくおしとやかな感じがして、むしろ好印象だよ。これはおせっかいかもしれないが、あまり思いつめない方がいいかも。今の状態でも、全然大丈夫だよ」


 僕の言い方は拙く、なんだが取り繕うような感じになってしまったが、なんとか言いたいことを言えたような気がした。


「うん。ありがとう」


 僕の言葉を聞いた門脇さんは、そう返事をした。その際傘の露先が揺れて持ち上がり、それにより彼女の表情があらわになる。門脇さんは屈託のない微笑みをたたえていた。その可憐な微笑みは周りの雪化粧も相まって、なんだか絵になる光景であった。僕はそれに見蕩れ、成瀬さんはホッと安堵をした。


 僕たちは再び歩き出し、駅に向かう。道中僕たちはたわいもない話をした。その片想いの女の子との会話は僕にとって幸福な時間であり、終始恍惚としていた。


 そうこうしているといつの間にか駅に到着していた。これほどまでに二十分が短く感じられたことはなかった。僕たちは改札を抜け、ホームに向かう。


 残念ながら門脇さんたちは乗る電車の方向が真逆であるらしく、どちらかの電車が到着した段階で僕たちは別れなければならなかった。電車は雪の影響で遅延しているため、ホームの電光掲示板には到着時刻が表示されておらず、いつ電車が来るのか不明だった。


 僕は電車を待つ間、思い出したかのように――不思議なことに、今の今までタイミングがなかったのだが――直江さんとの約束を門脇さんに話した。明日の放課後直江さんと会って話すことを。


 門脇さんがその話に了承したところで、丁度門脇さんたちが乗る電車がホームに到着した。僕たちは別れの挨拶を交わす。そして僕は過ぎ去っていく電車を見送った。


 雪が降りしきる中、ホームに一人残された僕は、急に寒さを思い出して身震いした。



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